ウランバートルから朝7時にソウルのホテルに着き、三時間弱の仮眠だけで夜まで市内を観光したわたくし、ほんとは一人で夜の街に出て、せめてコンビニでカップ麺とビールぐらいは買いたかったのですが、さすがにこの夜は、自室で残り酒を飲んだだけで、日付が変わる前に寝てしまいました。
で、翌日のホテルでの朝食後は一路、烏頭山統一展望台へ・・・
この日は午前中だけですが、いちおー「DMZツアー」の予定だったのであります。
DMZ・・・DeMilitarized Zone、いわゆる「非武装中立地帯」であります。
東西ドイツが統一された今、残っているのは韓半島の38度線だけで、最近の韓国映画でもいくつか取り上げられ、ご承知の方も多いと思いますが、背景をざっと整理しておくと・・・
現在でも北朝鮮(朝鮮人民民主主義共和国)と韓国(大韓民国)との間には、正確には国境というものはなく1953年7月27日に休戦協定が発効したときの、陸上で両軍が対峙していた最前線をそのまま繋いだだけの軍事境界線(MDL・・・Military Demarcation Line)が事実上の国境となっているのであります。ですから、一般に38度線とはいっても、西部では軍事境界線は北緯38度より南側ですし、東部では逆に北側になっています。
で、このMDLでの武力衝突を避けるため、そこから南北双方に原則幅2kmにわたって定められたのが非武装中立地帯DMZ、韓国側ではさらにその南側の一部に、民間人統制線(CCL・・・Civilian Control Line)が定められているのであります。
今回訪問した烏頭山統一展望台は、北から流れてくる臨津江(イムジンガン)と、南から流れてくる漢江(ハンガン)が一つに合流してやがて黄海に注ぐ、まさにその合流点を眼下に望む位置にあるのですが、このあたりでは川の真ん中が軍事境界線MDLになっており、その南北の川幅そのものがDMZになっているのであります。
ま、ソウルもちょうどこの日から梅雨入り、とゆーことで、DMZツアーにはあいにくのお天気だったのですが、ソウルから北に向けて、漢江沿いの「自由路」をひた走ると、やがて・・・
あちこちに監視所が目立ち始めます。
ちなみにこの「自由路」、戦車の走行にも耐え、戦闘機が離着陸できるだけの耐荷重や直線距離や幅員などが備えられています・・・
監視所の窓に映る、銃を持った兵士のシルエットがお分かりでしょうか・・・
この鉄条網は民間人統制線(CCL)境界で、内部へは厳しくチェックされた地元の農民と漁民しか下りることができません。
このあたりの対岸はまだ韓国なんですが、夜陰に乗じて川から潜入される可能性があるためCCLが設定されているとのこと。なので、このあたりの河原でキャンプ宴会したり、川下り宴会したりするのはおそらく命がけ・・・
漢江沿いから臨津江沿いへ曲がる手前で自由路からはずれ、つづら折れになった坂を烏頭山の頂上まで登りつめると・・・
緑の山の中に、どどーんと立派な展望台が現れます。
晴れた日には対岸(北朝鮮側)の様子がくっきりと見える山頂の広場にはこんなものが・・・
先祖のお墓が北にあり墓参ができない方々は、お盆などにはここで供養されるそうであります。
で、周囲にはそれらしいポストも・・・
「わっ、わたくし、けっして川を渡ってきたわけでは・・・いっ、いや、濡れているのはただの汗でして・・・そりゃあ、たしかに目立ちにくい服装はしてますが、これはまあ、好みとゆーやつで・・・へらへらへら・・・」
と、なんとかセキュリティチェックをすり抜け・・・って、今は誰でも自由に中に入れるのですが、少し前までは民間人統制線のないこの展望台でも、ほんとに軍による厳しい入山チェックがあったそうです。
で、中に入ったわたくしを、まず出迎えてくれたのは・・・
おおっ、あのJSAの主人公たちが・・・
とーぜん、記念撮影はこちらの方と・・・でへへへ
ちなみに、この展望台からイムジン川の上流を渡ってクルマで20分ほど走れば、軍事境界線上に唯一存在する、あの共同警備区域JSA・・・Joint Security Areaの「板門店」なのですが、さすがにJSAへは事前の申し込みから「撃たれても文句は言いません。」という誓約書や、徹底した身体検査、さらには軍服に類似した服装の着用禁止!、などの厳しいルールや事前審査があり、今回は残念ながら行けませんでした。
入館すると外国人は4階、韓国人は3階にある全く同じ円形展望ホールに案内され・・・
対岸を眺めながら(って、この日は殆ど見えませんでしたが・・・)歴史や現状について、
映像と英語音声での説明を受けます。
ホールの前方に置いてあるのが、この展望台周辺のジオラマ・・・
ご覧のとおり、右上(北側)から流れてきた臨津江(イムジン河)と、左下(南側)から流れてきた漢江(ハンガン)がここで合流、左上へ流れて黄海に注ぐのですが、赤と青のテープが示すとおり、川の中央が軍事境界線、で中央からの川幅自体が、それぞれの非武装中立地帯DMZになっているのであります。
ちなみに画像左上のあたりから上(北)に曲がって黄海になるのですが、前述のように合意された軍事境界線は陸上のみ、黄海上では南の主張する北方限界線(NLL・・・Northern Limit Line)と、北の主張する海上の軍事境界線が交錯しており、こちらの河口の沖合に、昨年秋に大規模な砲撃事件のあった延坪島があります。
で、画像手前の山頂にあるのが・・・
今まさにわたくしがいる烏頭山統一展望台、この青い円形部分の最上階です。
ちなみにここでの川幅はテープが示すように3200mですから、南北1600mずつのDMZ、とゆーことになります。ジオラマをよくみると、南北両岸ともに、厳重な川岸のフェンスが再現されていますね。
さらにちなみに、ここから下流は干満の差も激しく、黄海が入りこんでますから、合意された陸上の軍事境界線は、ちょうどこのテープのあたりが西の起点、ということだと思うんですが、わたくし詳しくは調べられませんでした。
で、実際の展望台からの様子・・・
この日は梅雨入り、中央に僅かに黒く浮かび上がっているのが対岸(北朝鮮側)です。
ま、画像がこれだけ、とゆーのもなんなので、わたくし決死の潜入撮影をば・・・
軍事境界線まで行った時の様子・・・
なぜかモノクロ撮影、兵士の制服や小銃も、どーゆーわけか旧式ですが・・・
凛々しいセーラー服の水兵さんもいました。うふっ
JSA板門店の様子・・・
って、こちらも制服や建物が古いですが・・・手前は野戦用テントだし・・・
付近に展開していた、最新装備の米軍・・・
ま、個人携行用の対戦車装備の形状は大戦以来、あまり変わってませんね・・・
潜入してきた小型潜航艇・・・
決死の潜入撮影を終えて、DMZ内の地雷原でお昼寝なんかしていると・・・
なにやら頭上を探るものが・・・
とまあ、以上の画像は展望台に展示されていたパネルからなんですが、それ以外にも・・・
北のファッションや、南北のミリタリーグッズなども展示されており、もっとゆっくりと見学したかったのですが、この日の午後の便で帰国するため、時間がありませんでした・・・次回はぜひJSAにも・・・完全装備で・・・
で、この後、インチョン空港への途上でビビンパとビールの昼食を食べ、夕方には関西空港に帰り着き、約一週間のモンゴル植林ツアーの全行程を無事に終えた、とゆー次第なのであります。
今回のモンゴル植林ツアーについては、東日本大震災の影響により、一時は延期や目的地変更も検討したのですが、最終的には、震災支援へのお礼のメッセージを書いたTシャツを作製し子どもたちに着てもらい実施することにしましたが、当初の予定どおりモンゴルの子どもたちと一緒に木を植えることができて、本当によかったと思っています。
また今回は、終戦後の2年間モンゴルで強制労働に従事させられ、故郷を見ることなく死んでいった将兵たちが眠っているウランバートル近郊の日本人墓地や、東西冷戦の負の遺産ともいうべき、韓半島の非武装中立地帯DMZにも行きました。
DMZについては、南北1000人ずつの監視員のみに入域制限している上に地雷原もいっぱいで、殆ど人間が入らずに60年が経過したため、激戦地が今や韓国では貴重な自然の宝庫になっている、という皮肉な結果にもなっています。
人類の営みによる沙漠化や荒漠地化をくい止める本筋は、やはり環境を考えた持続性のある発展でしょう。ただ、いったんその地域で紛争が起きればすべては「おじゃん」、ともかく紛争が起きないようにすることも重要です。紛争がなく、環境への意識を持てば、人類がある程度豊かに暮らしていけるだけの恵みは地球が与えてくれるはず。
以前にも書きましたが、過去の紛争の原因は宗教や思想、民族の対立など、いろいろ云われてますが、それぞれの当時の状況を見ると、その殆どの背景には、貧困や富の偏りの問題があります。沙漠化、荒漠地化が進んでいる地域の多くは貧困や富の偏りの問題を抱えており、今後は紛争の火種にもなるでしょう。その前に、沙漠化、荒漠地化をくい止め、本来の豊かさを取り戻すためには、やはり国際的な協力と意識の変革が不可欠・・・
現地の子どもたちと一緒に木を植えるという、わたくしたちの活動にも意義はある、と確信している次第なのであります。
なんか、えらそうなことを書きましたが、ま、お気楽にできる範囲で、今後もぼちぼちと続けていきたいと思っています。
来年はボルネオの熱帯雨林で、現地の子どもたちと一緒に木を植える予定ですので、機会があればご一緒しましょう。
(2011モンゴル紀行はおしまい、次回からいつもの記事に戻ります。ご愛読ありがとうございました。)