2012中国・植林ツアー報告の最終回であります。
敦煌のホテルで一泊したわたくし、翌8月9日は昼前の便で直接北京に戻るだけなのに、
けっこう早く目覚めました・・・
まあ、せっかくなので・・・
敦煌の朝焼け・・・
で・・・
ホテルのレストラン・・・
と・・・
わたくしのつつましい朝食・・・この後、皿の中味は何度も変わりましたが・・・
で、搭乗まで少し時間があったので、
敦煌の中心街にある・・・
「夜光杯」の製造直売所へ・・・
このあたり、キレン山脈などから採れる石の加工品が名産で、夜光杯とゆーのは・・・
有名な詩・・・らしいのですが、ま、そーゆーことです・・・って、よくわかりませんね・・・
(記事アップ後、ご教示をいただきましたので、追記させていただきます。)
唐代の王翰の詩で題は「涼州詞」、ご教示いただいた内容からわたくしなりに翻訳すると、
葡萄の美酒、夜光杯にて飲まんと欲すれば、
琵琶をかなで、馬上から催すものあり
酔って沙漠に臥すとも、君笑うことなかれ
古来、戦(いくさ)に徴されしもの、幾人か還る
ただし、ご教示いただいたテキストでは、最後の「徴戦」が「征戦」になっており、
「古来、遠征に赴いたもの、幾人か還る」といった意味になるのでしょうが・・・
いずれにしても遠征してきた兵士を謳った、豪快で悲壮感あふれる詩ですね。
ま、わたくしの場合は・・・
ビールもどき、アクリルグラスにて飲まんと欲すれば、
肉を焼き、鍋を煮るものあり
酔ってテント前に臥すとも、君放置することなかれ
古来、キャンプ宴会の飲み過ぎ、幾人か還る
といったところでしょうか・・・
で、
製造工程の説明、手前の完成品が夜光杯で鉄分の多い石を薄く加工した杯であります。
高級品はきれいな緑色で、液体を注いで、上から光をあてると・・・
こんな感じになり、月光の下なんぞで飲むと、たしかに風情がありそうですね・・・
注いだ水が盛り上がってますが、石に含まれる磁力により表面張力が増すとか・・・
ほかにも飲み物の味をまろやかにするとか、鉄分が多くて健康にいいとか、様々な効能があるようでしたが・・・
わたくしがこのお店で興味を持ったのは・・・
夜光杯照射に使われていた、KAIWEI LIGHT IMPLEMENTブランドのライトでした・・・
こちらはフラットなパターンで、月光がわりに照射するにはぴったりなんでしょうね。
ま、高級な夜光杯はとーぜんお高いので、わたくしは、
お安い玉石なんぞのブレスレットやストラップを敦煌のお土産にしたのですが・・・
帰国後すぐに素敵な女性に召し上げられてプレゼントして、もうありません・・・
で、めずらしく曇り空の敦煌機場(空港)へ
わたくしにとっては「世界最西端への旅」もおしまいであります。我誓再来敦煌!!!
で、昼前の離陸で三時過ぎには、植林ツアーで定宿にしている北京空港近くのホテルに到着し、シャワーを浴びてから、某酒飲み隊員と二人で安酒や夜食を入手するためコンビニを求めての周辺散策。
道行く人に愛想よく、「えくすきゅーず・みぃ、請問!!(ちんうぇん!!)」と声をかけてから「どぅゆうのう・ざ・うぇい・つー・こんびにえんす・すとあ?」とか、怪しい英語で訊いたのですが予想どおり通じなかったので、いつも中国ツアーには持参している筆談用のメモ帳に「便利商店在何処?」と書いて見せると、たちまち丁寧に地図まで書いて教えてくれました。で、その地図を頼りに探し歩いて行ってみると・・・半坪ほどのいわゆる「スタンド売店」でした・・・そうか、コンビニは「便宜商店」だったか・・・と、その時に思い出した次第・・・とほほほ
わたくし、こんな「街歩き」が大好きなのですが、今回は北京での数時間だけでした。
結局ホテル近くの酒屋で白酒(パイチュー)のみ購入、ロビーに集合して徒歩で・・・
近くのレストランにて、お別れパーティを兼ねた夕食であります。
なんでもここは、「創作北京料理」のお店だとかで・・・
この後も、北京料理にしてはあっさりとした料理が、いろいろと出てきたのですが・・・
こちらの刺身こんにゃく風のやつと・・・
こちらの「長芋のブルーベリージャム添え」は・・・イマイチでした・・・うぐぐぐ
で、夕食後は・・・
一人で散策してたとゆー最年少のS君に教えてもらい、超級市場(スーパー)へ・・・
夕食前に訪ね歩いて行った、あの「スタンド売店」のすぐ近くにありました・・・
道を訊ねたときに、「超級市場在何処?」とメモに書けばよかったのね・・・ううっ
けっこうでかいスーパーで、中国ワインだけでも・・・
もの凄い品ぞろえでした・・・
ちなみにこちらの右側に延々と並んでいる・・・
沙漠名産のナッツ類やドライフルーツ類は現地価格より二割以上割高でしたが・・・
ま、せっかくなので、お互い記念写真なんぞを・・・
カモフラージュパターンのビールを見つけてよろこぶ98kさん
(多分飲み過ぎで)腸の具合がおかしくなったため、乳酸菌飲料を見つけてよろこぶ、
某酒飲み隊員・・・って、そのインディアナ・ジョーンズのTシャツ、かっこいいなあ・・・
と、わたくしがホテルに戻ってから、売店で買い求めたTシャツがこちら・・・
ええ、人民軍英雄「雷鋒」のTシャツであります。
インディと同じくヒーローだし、ムチのかわりにPPSH持ってるし・・・
とまあ、飲み物や食料なんぞを買い出ししたあとは、夜の北京の街をぶらぶらと・・・
空港近くのホテル周辺のため、外国人も多く・・・
エアラインのおねいさんたちも多かったです。
(今回使ったWG-2、オートピクチャーモードだとコロコロと撮影モードが変わります。)
こちらはご近所の家族連れでしょうか・・・
化粧品店やブティックなどが集まる、いわゆる「女人街」なのでしょうか・・・
若い女性が、やたらと多かったです。じゅるじゅる
ま、わたくしにはこんな店のほうがそそられますが・・・じゅるじゅる
「雄牛火鍋」かぁ・・・名前からしてなんとなく凄そう・・・いったい、どんな料理なんだろ・・・
次回キャンプででも、てきとーに作ってみるか・・・どうせみんな知らないだろうし・・・
とまあ、夜の北京散策も終えて自室に戻り・・・
一人宴会であります。
右側のカモフラパターンのビールは、お土産に持ち帰ろうと思っていたのですが・・・
結局、2本とも空けてしまい・・・
さっきのスーパーで買った麺ではなく、最後の天ぷらそばで仕上げて、この夜は就寝しました。げふっ(ちなみに使っている箸は、red-bicycleさんからいただいたオリーブドラブ箸であります。)
で、翌日は昼前の便で帰国するだけ、空港から近いホテルなので朝寝しました・・・
前日、北京空港には3時前に着いたので、そのまま乗り継げば、夜には関西空港に着いてたはずですが、やはり便の都合からでしょうか、ま、のんびりできて、これはこれでよかったです。
ちなみにこのホテル、90年代から使ってますが水周りなどは改修したようで、基本性能は改善されてました。
ホテルの自室から見た朝の北京・・・
このホテル、庭にプールもあったのね・・・知らなかった・・・
で、一人でのんびりと朝食・・・(他の隊員はとっくに朝食を終え、朝の散策に・・・)
ええ、きわめてシンプルなものであります。
で、やはり空港近くのホテルですから・・・
各エアラインのおねいさんが入れ替わり立ち替わり、朝食を摂ってました。
やはり職業柄でしょうか、みなさんほんとに朝の食事時間は短いんですね。
ま、わたくしは・・・
皿の中味もグラスの中味も変化がありますが、ま、いたってシンプルなものであります。
さらに変化がありますが、いたってシンプル・・・さすがにお腹がくちくなってきたな・・・
そして・・・
誰もいなくなりました。げふっ
のんびりと中国最後の朝食を楽しんだ後は・・・
北京空港に行き・・・って、「味平」ラーメンなのか、「味干」ラーメンなのか・・・
中国人客で満席の関西空港行きに搭乗し・・・
税関申告書を書いたり・・・
ふむふむ、化学兵器の原材料が禁止で、リクガメさんは制限されてるのね・・・
最後の機内食で、最後の燕京ビールを飲んだりしてると・・・
あっとゆー間に・・・
敦煌より暑い、大阪に着いたのであります。
ツアー中、ずっとカラッとしていた衣服が関空ターミナルを出た途端、汗でベトベトに・・・
中国・植林ツアー報告の記事は、今回でおしまいであります。ながらくのご愛読ありがとうございました。
わたくしが帰国した直後に尖閣諸島への上陸事件があり、その後急速に中国との関係が怪しくなってますね。
中国世論には、韓国世論などと同様、今まで延々と続けてきた反日教育の影響も大きいとは思いますが、もちろん、決してそれだけではありません・・・
わたくしが90年代から植林してきた中国西北部でも、歴史的な事実として満蒙開拓団や旧軍との軋轢がありましたし、はじめて行った頃は、その事実に裏打ちされた反日感情もまだまだ強かったと記憶しています。その後、ひたすら植林に来る日本人たちと実際に接するうちに、人同士の理解も生まれてきたと思っています。
昨年も植林してきたモンゴルでも、歴史的にはノモンハンをはじめ中国と同じ日本との軋轢が事実としてありました。さらに、旧ソビエト連邦も基本的には反日教育でしたから、その影響も大きかったはずです。今は「昔からの親日国」といわれているモンゴルでも、自分たちがロシアの衛星国から独立し一番苦しかった時に唯一無償援助を続けてくれた国、といった理由だけではなく、実際に様々な援助にやってきた日本人と接する中で、あるいは支援を受けて日本に来て、実際にいろんな日本人と接する中で、やはり人同士の理解が生まれてきたはず。
(実際に、来日して人に騙され苦労された方から、日本人にも悪い人もいい人もいることがよく分かったから、けっして日本そのものを憎むことはしません、という言葉をいただいたことがあります。)
教育の影響を無視することはできませんが、やはりお互いわかりあうためには、まず相手を理解しようとすること。そのためには、できるだけ客観的な事実関係を理解したうえで少しでも相手と話し合うこと、そしてお互い相手のためにたとえ僅かでもできることをする、あるいはしようとすること、これに尽きると思います。
国と国とは、これからも様々な軋轢があるでしょうが、人と人とは、ある程度までは理解しあえるはず・・・と信じて、今後もささやかながら、植林ボランティアなんぞを続けていくつもりです。
最後にえらそーなことを書きましたが、次回からふつーの記事に戻りますので、これからもよろしくねっ!!!
2012年09月
17次隊・中国西北部ツアー9/10
早朝から、万里の長城では最西端の砦、嘉峪関を見学した御一行、さらに400km南西にある敦煌まで、前日と同じ現代のシルクロードをバスで7時間かけて戻り、そのまま敦煌・莫高窟へ直行しました。
敦煌・莫高窟(とんこう・ばっこうくつ)・・・
敦煌市街から約25km、鳴沙山という大砂丘の東側断崖に穿たれた700以上の石窟群で、わたくし2004年に蘭州の近郊で植林した際に炳霊寺石窟群は訪ねたことがあるのですが、敦煌の莫高窟ははじめてです。西暦350年頃から1000年以上かけて作られた仏教遺跡で、井上靖氏の小説などで日本でもおなじみですね。
この涸れた川の左側に見えるのが鳴沙山の大砂丘、ご覧のとおり、その断崖の下部約2kmにわたって延々と石窟群が続いています。こんな砂丘状態でも下の地層は固まるようで、黄土高原の横穴と同じく、比較的掘りやすいのでしょうね。
断崖の外側に見える通路や支柱は、近年になって見学・補強用に作られたもの。
で、いよいよ窟に入るのですが内部は撮影禁止、カメラはここで添乗員に預けます。
ま、せっかくなので、カメラを預ける前に記念撮影・・・
内部では、敦煌研究院所属の日本語専門のガイドさんが、全員に耳かけ式のレシーバーを配布、流暢な日本語で二時間ほどかけて、有名な窟を案内・解説してくれたのですが、内部照明は殆どなく、けっこう明るいフラッシュライトを照射して説明しておられました。
他の隊員たちが、壁画や仏像についてあれこれと質問する中、わたくしはそちらが気になり、
「ねえねえ、そのライトは充電式? どこの製品? ちょっと見せて下さいな・・・じゅるじゅる」
「はいはい、窟の案内が終わってからね・・・」
つーことで、
莫高窟内の画像は一切なく、いきなり外へ出てすぐの画像・・・
敦煌研究院のオリジナルモデルだったのね・・・って、かなり使い込まれてますね。
レンズ集光式できれいなスポットになり、遠くの天井画や大きな仏像の部分説明なんかにはぴったり、LEDは「田」の形をしたのが1個でしたから、けっこう高級品なんでしょうね・・・まあ、白色LEDで雰囲気はイマイチでしたがフィラメントや蛍光灯よりは壁画への影響は少ないかな・・・
ま、せっかくなので、持参したARC-AAA wingスペシャルと一緒に・・・
(ちなみに他のライトはすべてバスの中でした・・・この日のために持ってきてたのにぃ)
わははは、しあわせなARC-AAAじゃあ!!!
ちなみにわたくしが首から下げてるのがレシーバー本体でノイズもなく、彼女の声がよく聞き取れました。嘉峪関や兵馬俑坑では、各グループの添乗員やガイドが拡声器で一斉に説明するので、混んでくると大騒音になってましたが、こちらでは鍵を持った研究院のガイドなしでは窟に入れないとゆー仕組みで順路も全員が分散するので、狭い窟でも待ち時間がなく、チャンネルもグループ別に設定してあり、彼女と離れていても耳元でそっと囁かれたような感じになりどきどきしてました。
で、窟内の見学を終え、外側を歩いて戻るときの様子・・・
砂丘の断崖に何層にも窟が穿たれているのがおわかりだと思います・・・
この上部には鳴沙山の大砂丘が拡がっています・・・
壁面も一部、塗装や吹きつけで補強してるようですね。
こちらは途中の出口付近、補強された外壁ですが、最上部には壁画も残ってますね。
で、さらにガイドさんの案内で、研究院付属の工芸美術品店へ・・・
彼女が着ているのは敦煌研究院の制服、壁画の花文様がパターン化されてました。
ここでは入らなかった窟の壁画などの説明がありましたが、ここで最も有名な日本人は平山郁夫画伯だそうで、彼の直弟子が模写した壁画なども展示販売しており、けっこうなお値段でした。
彼女、ここではライトを照射してませんが、ライトを説明対象に正確に向けるのが習慣になってるようです・・・
ま、模写壁画なんぞは撮影可能でしたので、せめて一部だけでもご紹介・・・
模写のすべてには窟の番号が記されてましたが、備忘のために、わたくしが実際に見学した窟は・・・
29-17-426-427(飛天、上の模写画像)-259(敦煌のビーナス)-257-93(33mの大仏)-148(大涅槃像)
の計8窟・・・だったはず・・・
彼女によると、敦煌に数週間以上滞在して、一日数窟ずつ、じっくりと見学される方もおられるそうですが・・・
壁画や仏像なんぞにあまり興味のないわたくし・・・
早々に店を出て、外で売ってた冷たい青島ビールなんぞをじっくりと・・・でへへへ
莫高窟(と青島ビール)を楽しんだわたくし、対岸にあるバスの駐車場に向かいます。
途中にあるこちらの広大な建物、莫高窟の内部を忠実に再現した最新の博物館で、なんと入場無料・・・だそうですが、ほとんどの人はスルーするとのこと。そりゃあ、ここまで来たら誰でもレプリカではなく本物を見たいとゆーぐらい、設計前でもわかったはず・・・ ま、本物の見学は完全予約制ですから、通りすがりの人が・・・でも、莫高窟を通りすがる人ってどんだけ・・・
で、本物の莫高窟を見学し、今度はその奥に拡がっている鳴沙山へ行きました。
信じられませんが、近くに月牙泉という泉があるとかで、こちらも敦煌の有名な観光地。
大砂丘のいったいどこに泉が・・・みなさんレンタルのスパッツを履いて登ってますが・・・
ま、せっかくなので・・・
我々は後ろに見えるラクダに乗って月牙泉を目指します。
ラクダなのでレンタルスパッツは不要と判断・・・
こちらがラクダ乗り場、いったい何頭いるのやら・・・
ラクダに乗り、はるか頂上目指して進んで行きます。標高差100m以上はあるぞ・・・
実際に下りてくる人たちもいるし、みんなスパッツ履いてるし・・・びくびく・・・
登りはじめて20分、やっとひとつめのコル(鞍部)に着きました・・・
あの小さな小屋が泉なのかっ???・・・でも、まだまだ先までラクダの列は続いてるし・・・
ここの砂はきわめて粒子が細かく、風が吹くとバンダナでマスクしてても、生地の隙間から侵入してきます。
「カメラは必ずビニール袋に入れてバッグの中へ、たとえ風がないときでも出すのは一瞬だけにして下さい。それでもレンズが動かなくなるトラブルが多いので、心配な人はカメラを持ち込まないように。」
と、現地添乗員さんがバスの中で、何度も注意していたのですが・・・
そう、わたくしのWG-2 GPSは12m防水、レンズ可動部も完全密閉で各操作部の防水・防塵性能も高く、ずっと出しっぱなしでもまったくノントラブルでした・・・あとでシャワーで洗い流せばいいし・・・むひひひ
で、せっかくなので自分の記念写真も・・・
ラクダは馬と歩き方がまったく異なり、前後だけでなく左右の揺れも加わり、長く乗ってるとけっこう疲れます。
で、ピーク付近には大きな休憩所もあったのですが、その少し手前から今度は別ルートへ下りはじめ、登りはじめてから一時間ほどでやっと泉が見えてきました。結局、スタート地点と同高度にあったのね・・・
泉の位置を知らないわたくしが先頭で5頭ほどが繋がっており、その隊を牽いて歩いてた少年が、分岐点で何度も止まって話しかけてくるものの、まったく意味がわからず、じつはかなり不安でした。どうやら、10元くれたら、ここから頂上まで行くよ、とか、ここから遠回りするよ、とか言ってたようで、
いくつものコースがある中、我々の最終目的地は、あらかじめ指示されていたようでした。ほっ
ラクダさんとはここでお別れ、重い荷物でのアップダウン、お疲れさまでした。
でも、これに荷物を積んで何ヶ月も旅するシルクロードとゆーのは、かなりハードなルートだったんですね。東西を結ぶ海上輸送ルートが確立されてから、敦煌などシルクロード沿いの貿易で栄えたオアシス都市が急激に衰退していった理由が実感できました。なにせ、たった一時間でお尻が・・・ううっ
二枚前の画像にある泉と、こちらの泉の間には浅瀬のような跡もあり、この三日月状の泉ももっと広かったようですが、最近になって水量が極端に減っているそうです。地球温暖化が関係しているのか、それとも過剰な緑化や農業開発が原因なのか・・・
我が隊の代表によると、昔ここを訪れた故遠山正瑛先生が、当時のもっと大きな湖を見て沙漠での農業を決意されたとのことですが、今の状況をご覧になったら、なんといわれるか・・・
ある意味、日本からの植林ボランティア隊の原点ともいえる泉でありますが、付近での緑化や農業開発のための過剰な地下水の汲み上げなどが水位低下の原因だとしたら、ここでの持続可能な発展は見込めないわけで、遠山先生もそこまでの沙漠緑化は意図していなかったはず・・・と思いたいところです。いくら沙漠緑化といっても、現地の水環境とのバランスが大切で、その慎重な見極めが重要なんですね。
といいつつ、ま、せっかくなので・・・
ちなみに後ろに見える道路、この日はとーとつな舗装工事で車両通行止めでした。
ここからエントランスまではカートで戻る予定でしたが、結局、20分ほど歩くことに・・・
旅行社には舗装工事やカート運休情報などはまったく入らないそうで・・・いやはや・・・
とか、ぶつぶついってると・・・
やがて・・・
古くからあって文化大革命で破壊され、また最近復元したという寺院建築・・・
(以前は大きな泉の中心にあったそうで、手前の低地もその名残りでしょうか・・・)
・・・の向こうに陽が傾く頃には・・・
何とかエントランスまで帰りつきました・・・
わたくしの腕時計(関空で買った煙草のおまけ)を見ると、ちょうど8時だったんですね。
で、街あかりが灯りはじめた敦煌の街に入り・・・
宿泊するホテルのレストランで夕食であります。
まだ前菜の段階ですが・・・飲みはじめたので・・・以後の料理画像はありません・・・
ちなみに・・・
こちらの黄河ビールとゆーのは、はじめてでした・・・冷えてませんでしたが・・・
さらにちなみに・・・
この地方でははじめて常温の紹興酒を注文してみましたが・・・イマイチでした・・・
さらに紹興酒の燗を頼んだ隊員には・・・とんでもないものがでてきて・・・
まあ、ビールを冷やしたり紹興酒を燗して飲んだりすることが少ないのでしょうね。
さすがにここまで西に来ると(国が尽きるといわれた嘉峪関より西ですから・・・)
まだまだ昔の怪しい雰囲気は残っており・・・
たとえば部屋に置いてあったブラウン管式テレビ・・・
あれっ、コニカがテレビなんか出してたっけ・・・いや、よく見るとノキアのロゴか・・・
じつは・・・
コンカだったり・・・
莫高窟見学の日本人が多いのか、環境配慮プレートにも日本語表記がありましたが・・・
助詞の使い方とか、なんとなく不思議な感じでしたし・・・
まあそれでも・・・
深夜のお夜食に悩んで・・・
眠るベッドの上には・・・
有名な莫高窟の鹿物語の壁画があったのでありますね。これはきっぱりと
(次号、ツアー報告最終回に続きます。)
敦煌・莫高窟(とんこう・ばっこうくつ)・・・
敦煌市街から約25km、鳴沙山という大砂丘の東側断崖に穿たれた700以上の石窟群で、わたくし2004年に蘭州の近郊で植林した際に炳霊寺石窟群は訪ねたことがあるのですが、敦煌の莫高窟ははじめてです。西暦350年頃から1000年以上かけて作られた仏教遺跡で、井上靖氏の小説などで日本でもおなじみですね。
この涸れた川の左側に見えるのが鳴沙山の大砂丘、ご覧のとおり、その断崖の下部約2kmにわたって延々と石窟群が続いています。こんな砂丘状態でも下の地層は固まるようで、黄土高原の横穴と同じく、比較的掘りやすいのでしょうね。
断崖の外側に見える通路や支柱は、近年になって見学・補強用に作られたもの。
で、いよいよ窟に入るのですが内部は撮影禁止、カメラはここで添乗員に預けます。
ま、せっかくなので、カメラを預ける前に記念撮影・・・
内部では、敦煌研究院所属の日本語専門のガイドさんが、全員に耳かけ式のレシーバーを配布、流暢な日本語で二時間ほどかけて、有名な窟を案内・解説してくれたのですが、内部照明は殆どなく、けっこう明るいフラッシュライトを照射して説明しておられました。
他の隊員たちが、壁画や仏像についてあれこれと質問する中、わたくしはそちらが気になり、
「ねえねえ、そのライトは充電式? どこの製品? ちょっと見せて下さいな・・・じゅるじゅる」
「はいはい、窟の案内が終わってからね・・・」
つーことで、
莫高窟内の画像は一切なく、いきなり外へ出てすぐの画像・・・
敦煌研究院のオリジナルモデルだったのね・・・って、かなり使い込まれてますね。
レンズ集光式できれいなスポットになり、遠くの天井画や大きな仏像の部分説明なんかにはぴったり、LEDは「田」の形をしたのが1個でしたから、けっこう高級品なんでしょうね・・・まあ、白色LEDで雰囲気はイマイチでしたがフィラメントや蛍光灯よりは壁画への影響は少ないかな・・・
ま、せっかくなので、持参したARC-AAA wingスペシャルと一緒に・・・
(ちなみに他のライトはすべてバスの中でした・・・この日のために持ってきてたのにぃ)
わははは、しあわせなARC-AAAじゃあ!!!
ちなみにわたくしが首から下げてるのがレシーバー本体でノイズもなく、彼女の声がよく聞き取れました。嘉峪関や兵馬俑坑では、各グループの添乗員やガイドが拡声器で一斉に説明するので、混んでくると大騒音になってましたが、こちらでは鍵を持った研究院のガイドなしでは窟に入れないとゆー仕組みで順路も全員が分散するので、狭い窟でも待ち時間がなく、チャンネルもグループ別に設定してあり、彼女と離れていても耳元でそっと囁かれたような感じになりどきどきしてました。
で、窟内の見学を終え、外側を歩いて戻るときの様子・・・
砂丘の断崖に何層にも窟が穿たれているのがおわかりだと思います・・・
この上部には鳴沙山の大砂丘が拡がっています・・・
壁面も一部、塗装や吹きつけで補強してるようですね。
こちらは途中の出口付近、補強された外壁ですが、最上部には壁画も残ってますね。
で、さらにガイドさんの案内で、研究院付属の工芸美術品店へ・・・
彼女が着ているのは敦煌研究院の制服、壁画の花文様がパターン化されてました。
ここでは入らなかった窟の壁画などの説明がありましたが、ここで最も有名な日本人は平山郁夫画伯だそうで、彼の直弟子が模写した壁画なども展示販売しており、けっこうなお値段でした。
彼女、ここではライトを照射してませんが、ライトを説明対象に正確に向けるのが習慣になってるようです・・・
ま、模写壁画なんぞは撮影可能でしたので、せめて一部だけでもご紹介・・・
模写のすべてには窟の番号が記されてましたが、備忘のために、わたくしが実際に見学した窟は・・・
29-17-426-427(飛天、上の模写画像)-259(敦煌のビーナス)-257-93(33mの大仏)-148(大涅槃像)
の計8窟・・・だったはず・・・
彼女によると、敦煌に数週間以上滞在して、一日数窟ずつ、じっくりと見学される方もおられるそうですが・・・
壁画や仏像なんぞにあまり興味のないわたくし・・・
早々に店を出て、外で売ってた冷たい青島ビールなんぞをじっくりと・・・でへへへ
莫高窟(と青島ビール)を楽しんだわたくし、対岸にあるバスの駐車場に向かいます。
途中にあるこちらの広大な建物、莫高窟の内部を忠実に再現した最新の博物館で、なんと入場無料・・・だそうですが、ほとんどの人はスルーするとのこと。そりゃあ、ここまで来たら誰でもレプリカではなく本物を見たいとゆーぐらい、設計前でもわかったはず・・・ ま、本物の見学は完全予約制ですから、通りすがりの人が・・・でも、莫高窟を通りすがる人ってどんだけ・・・
で、本物の莫高窟を見学し、今度はその奥に拡がっている鳴沙山へ行きました。
信じられませんが、近くに月牙泉という泉があるとかで、こちらも敦煌の有名な観光地。
大砂丘のいったいどこに泉が・・・みなさんレンタルのスパッツを履いて登ってますが・・・
ま、せっかくなので・・・
我々は後ろに見えるラクダに乗って月牙泉を目指します。
ラクダなのでレンタルスパッツは不要と判断・・・
こちらがラクダ乗り場、いったい何頭いるのやら・・・
ラクダに乗り、はるか頂上目指して進んで行きます。標高差100m以上はあるぞ・・・
実際に下りてくる人たちもいるし、みんなスパッツ履いてるし・・・びくびく・・・
登りはじめて20分、やっとひとつめのコル(鞍部)に着きました・・・
あの小さな小屋が泉なのかっ???・・・でも、まだまだ先までラクダの列は続いてるし・・・
ここの砂はきわめて粒子が細かく、風が吹くとバンダナでマスクしてても、生地の隙間から侵入してきます。
「カメラは必ずビニール袋に入れてバッグの中へ、たとえ風がないときでも出すのは一瞬だけにして下さい。それでもレンズが動かなくなるトラブルが多いので、心配な人はカメラを持ち込まないように。」
と、現地添乗員さんがバスの中で、何度も注意していたのですが・・・
そう、わたくしのWG-2 GPSは12m防水、レンズ可動部も完全密閉で各操作部の防水・防塵性能も高く、ずっと出しっぱなしでもまったくノントラブルでした・・・あとでシャワーで洗い流せばいいし・・・むひひひ
で、せっかくなので自分の記念写真も・・・
ラクダは馬と歩き方がまったく異なり、前後だけでなく左右の揺れも加わり、長く乗ってるとけっこう疲れます。
で、ピーク付近には大きな休憩所もあったのですが、その少し手前から今度は別ルートへ下りはじめ、登りはじめてから一時間ほどでやっと泉が見えてきました。結局、スタート地点と同高度にあったのね・・・
泉の位置を知らないわたくしが先頭で5頭ほどが繋がっており、その隊を牽いて歩いてた少年が、分岐点で何度も止まって話しかけてくるものの、まったく意味がわからず、じつはかなり不安でした。どうやら、10元くれたら、ここから頂上まで行くよ、とか、ここから遠回りするよ、とか言ってたようで、
いくつものコースがある中、我々の最終目的地は、あらかじめ指示されていたようでした。ほっ
ラクダさんとはここでお別れ、重い荷物でのアップダウン、お疲れさまでした。
でも、これに荷物を積んで何ヶ月も旅するシルクロードとゆーのは、かなりハードなルートだったんですね。東西を結ぶ海上輸送ルートが確立されてから、敦煌などシルクロード沿いの貿易で栄えたオアシス都市が急激に衰退していった理由が実感できました。なにせ、たった一時間でお尻が・・・ううっ
二枚前の画像にある泉と、こちらの泉の間には浅瀬のような跡もあり、この三日月状の泉ももっと広かったようですが、最近になって水量が極端に減っているそうです。地球温暖化が関係しているのか、それとも過剰な緑化や農業開発が原因なのか・・・
我が隊の代表によると、昔ここを訪れた故遠山正瑛先生が、当時のもっと大きな湖を見て沙漠での農業を決意されたとのことですが、今の状況をご覧になったら、なんといわれるか・・・
ある意味、日本からの植林ボランティア隊の原点ともいえる泉でありますが、付近での緑化や農業開発のための過剰な地下水の汲み上げなどが水位低下の原因だとしたら、ここでの持続可能な発展は見込めないわけで、遠山先生もそこまでの沙漠緑化は意図していなかったはず・・・と思いたいところです。いくら沙漠緑化といっても、現地の水環境とのバランスが大切で、その慎重な見極めが重要なんですね。
といいつつ、ま、せっかくなので・・・
ちなみに後ろに見える道路、この日はとーとつな舗装工事で車両通行止めでした。
ここからエントランスまではカートで戻る予定でしたが、結局、20分ほど歩くことに・・・
旅行社には舗装工事やカート運休情報などはまったく入らないそうで・・・いやはや・・・
とか、ぶつぶついってると・・・
やがて・・・
古くからあって文化大革命で破壊され、また最近復元したという寺院建築・・・
(以前は大きな泉の中心にあったそうで、手前の低地もその名残りでしょうか・・・)
・・・の向こうに陽が傾く頃には・・・
何とかエントランスまで帰りつきました・・・
わたくしの腕時計(関空で買った煙草のおまけ)を見ると、ちょうど8時だったんですね。
で、街あかりが灯りはじめた敦煌の街に入り・・・
宿泊するホテルのレストランで夕食であります。
まだ前菜の段階ですが・・・飲みはじめたので・・・以後の料理画像はありません・・・
ちなみに・・・
こちらの黄河ビールとゆーのは、はじめてでした・・・冷えてませんでしたが・・・
さらにちなみに・・・
この地方でははじめて常温の紹興酒を注文してみましたが・・・イマイチでした・・・
さらに紹興酒の燗を頼んだ隊員には・・・とんでもないものがでてきて・・・
まあ、ビールを冷やしたり紹興酒を燗して飲んだりすることが少ないのでしょうね。
さすがにここまで西に来ると(国が尽きるといわれた嘉峪関より西ですから・・・)
まだまだ昔の怪しい雰囲気は残っており・・・
たとえば部屋に置いてあったブラウン管式テレビ・・・
あれっ、コニカがテレビなんか出してたっけ・・・いや、よく見るとノキアのロゴか・・・
じつは・・・
コンカだったり・・・
莫高窟見学の日本人が多いのか、環境配慮プレートにも日本語表記がありましたが・・・
助詞の使い方とか、なんとなく不思議な感じでしたし・・・
まあそれでも・・・
深夜のお夜食に悩んで・・・
眠るベッドの上には・・・
有名な莫高窟の鹿物語の壁画があったのでありますね。これはきっぱりと
(次号、ツアー報告最終回に続きます。)