初日は関西空港から東南アジアの最高峰・キナバル山の山麓までの大移動、2日目は丸一日かけて、ボルネオ島の北端を西から東へ、様々な体験をしながらの長距離バス移動で熱帯雨林を堪能、夕方に植林やリバークルーズのベースとなるキナバタンガン川流域のスカウ村に着いた後は、民家に招かれての歓迎夕食会を楽しみ、3日目は早朝からのリバークルーズでウータンくんやワニさんらとの、貴重な出会いを楽しんで、朝食後は隊員の樹木医N氏によるキナバル山の植物に関する講義を受けました。
ええ、仕事で行けなかったわたくしのかわりに、うちの奥様が・・・うぐぐぐ
で、3日目の午後は、現地の子どもたちと植林する予定地の事前調査。
今回の植林地は、2年前にわたくしが参加したツアーで初めて植林した場所と全く同じ場所で、森から川岸にいたる樹林帯のうち、人間が裸地にしてしまった部分です。
地上に下りられないウータンくんなど樹上動物たちの、川岸の森への往来を復活させるためにも、動物や鳥たちにとって有用な実のなる木を中心に、もともとあった多様な樹種の苗木を植えます。
わたくしたちが2年前に植えたのは25種類280本の苗木、ところが下見に行った現地旅行社N社長から、無事に育っているのは僅か4本のみとゆー報告が入ったのであります!!!
ま、この間には洪水もあったようですが、やはり現地での育林への関心が薄いことも大きな原因と、N社長も大いに反省、今回は現地の大人たちも交えて活着率や樹勢の調査からはじめようと、あらかじめ用意した調査表を持って、昼食後に現地に向かった次第。
ここスカウ村での植林ボランティアは我々N.GKS隊が、おそらくはじめてのはず・・・
'90年代に故・遠山正瑛先生が、たった一人で中国・内モンゴル自治区のクブチ沙漠で、ポプラの植林をはじめた際も、地元の人々はもちろん地方政府も専門家も関心がなく、様々な試行錯誤で何度も何度も失敗を繰り返すうちに、やがて中央政府も巻き込んだ、大規模な緑化運動になり、今やクブチ沙漠の(四国とほぼ同じ)面積そのものが拡大から減少へと、変化しているのですから、我々も「初回ほぼ全滅」ぐらいでは決してめげません。
これからも地元の子どもたちと一緒に試行錯誤を繰り返します。
ええ、何度でも何度でも、何度でも何度でも・・・
と、決意を込めた前置きが長くなりましたが・・・
まずは僅かに残った苗木の前で子どもたちと記念撮影、その後は現地の大人たちも一緒になって、植林地の調査をしたようです。ま、いっぱい撮ってた調査画像は省略しますが・・・
で、調査終了後はいったんロッジに戻り、夕方のリバークルーズへ・・・
マレーシアの国鳥であるサイチョウさん・・・
奥様が調べたけど名前のわからない・・・トリさん・・・(ご存知の方はぜひコメントをお願いします。)
ほかにも様々な生き物に出会ったようで、キナバタンガン川流域はボルネオ島に残された野生の宝庫です。
2年前にも書きましたが川の周辺は全てアブラヤシ畑、ただし川岸だけは畑を洪水被害から守るため、一部の熱帯雨林が残され、そこに他の地域に住めなくなった動物や鳥たちが集まってきたという次第。
ですからまさに皮一枚で残った野生の宝庫で、少し支流を遡れば見渡す限りのアブラヤシ畑が広がります。
で、こちらもボルネオ島でしか味わえない・・・
赤道直下の夕焼け・・・
まさに太陽がストンと落ちる感じで、刻々と変化する空の色がとてもきれいです。
で、夕食後はナイトクルーズへ・・・
遠くにいたワニさんを望遠で撮ったそうですが、やはり暗いシーンでのコンデジ望遠はつらいですね。
フクロウさん・・・こちらを睨みつけてます・・・
ちなみに今回も1000ルーメン超のウルフアイズプロT3-Ⅱとゆーライトを持たせたのですが、今回はナイトクルーズにもN社長が同行してくれてて、奥様が使用について尋ねたところ、やはり強力な白色光は野生動物にはよくないといわれたようで、結局使わなかったとのこと。
2年前は現地クルーのみで特にお咎めもなかったのですが、やはり動物照射には赤色光か緑色光、せいぜいガイドが使っているハロゲン・バッテラのような電球色ぐらいにしておくべきなんでしょうね。
つーことで、次回ナイトクルーズ用に電球色の強力なライトが要るかなあ・・・じゅるじゅる
わたくしのはクールホワイトだけどニュートラルホワイトやデイライトでいいのかな・・・じゅるじゅる
ま、3000Kから5000Kぐらいまでの色温度で・・・今の特注T3なら5300Kか・・・じゅるじゅる
そーいや高演色の明るいライトも欲しかったんだよなあ・・・じゅるじゅる
って・・・わわっ、もう新しいライトは買いませんっ・・・ぼかっべきっぐしゃ
閑話休題
4日目も早朝からリバークルーズであります。
支流に渡してあるのは、大阪・堺市消防の古ホースを利用してボランティアが架けた吊り橋、水を怖がるウータンくんはじめ、様々な動物たちの行動範囲が拡がり、繁殖の機会も増えます。
おなじみのテングザルくん
オオトカゲさん
さらにアップ・・・
いやあ、さすがに高倍率コンデジ、けっこう迫力があります。
で、昼食後には、わたくしも行ったスカウ村のアブラヤシ農園を見学・・・
もとの熱帯雨林にあった板根を持った巨木を伐採、一面のアブラヤシ畑にした様子がよくわかります。
前回も書きましたが、ボルネオの熱帯雨林は高木・中低木・薄い地表で立体的に成立している生態系、アブラヤシ畑と搬出用の道路(裸地)だけになってしまうと、本来の多様な生態系は維持できなくなります。
もちろん、アブラヤシは我々にとっても地元の人々にとっても今や必要不可欠なものですし、なにせ「木を植え育てて」その実を収穫する農業ですから、大規模な焼き畑などに比べると環境に優しいともいえ、さらにたっぷりの植物油だけでなく、殻や搾りかすも無駄なく使える有用でエコな植物です。
ただ、これも前回に書いたとおり、ボルネオ島の大部分をアブラヤシ畑にしなければ暮らしていけないのか、熱帯雨林を熱帯雨林として(部分的に回復して)活用する、計画的な林業やエコツアーなどによっても、人口密度が極めて低い地元の人々は、きちんとした仕組みさえできれば、豊かに暮らせるはずです・・・
そのためには地元の人たちと合意した上で、林業やエコツアーでも豊かに暮らしていける仕組みを作ること、それを支援する政府や地方政府、森林開発公社などの制度、それに国際的な協力が必要です。
今回もお世話になったN社長も、エコツアーのためのロッジ経営やクルーズ船の運営などを、外部からの資本と経営ではなく、地元の資本と経営で自立してやってもらおうと奮闘しておられ、
我々のスカウでの植林活動についても熱心に勉強され、積極的に協力していただいてます。
と、またまた話が長くなりましたが・・・
アブラヤシ農園の見学後はスカウ村の小学校を訪問
ちょうど下校時で、ボートで帰宅する子どもはライフジャケット(P.F.D)を持ってます。(右端の法被姿はT隊長)
すでに歓迎夕食会、植林地調査で顔なじみになってるので、みんなこっちに集まってくれたそうです。
で、下校した子どもたちと一緒に、いよいよ植林作業であります。
わたくしと2年前にチームになってた女の子も、がむばって植えてますねえ・・・
ちなみに彼女も着ているお揃いのオリジナルTシャツは今回ツアーで全員にプレゼントしたもの、「DO YOU KYOTO?」は平成9年の京都議定書にちなんで「キョートしてる?」「環境にいいことしてる?」とゆー京都から世界中に発信している合言葉、イラストは切り絵作家の隊長T氏によるオリジナル作品、祇園祭の山鉾が巨木の幹や枝なんぞになってますね・・・
って、わたくしのやってたピースサイン、すっかり子どもたちに定着したようですね・・・あはは
ま、うちの奥様も写真を撮ってばかりでなく、少しはがむばって・・・
って、どーせペアの年長の男の子に、ぜーんぶ任せてたんでしょうが・・・
ちなみに立ってる年少の男の子、植林中ずっとN.GKS隊旗を持ってて、記念写真を撮ろうとすると、どこにでも駆け付けて、こんな感じでかざしてくれてたそうです。
で・・・
ほぼ前回並みの樹種と本数を植えて植林作業は終了、次回こそ成長を見るのが楽しみですが、もし壊滅状態だったら、また方法を考えて植えなおします。
ええ、何度でも何度でも・・・
で、この日も夕方はリバークルーズの予定でしたが、今や稀少種のボルネオゾウ(ピグミーエレファント)が、道路沿いに現れたとの情報が入り、急きょボートで現場付近まで直行・・・
途中からは徒歩で、子どもたちと一緒に観察に向かいます。
かなり画像が荒れてますが・・・
ご覧のとおり、ほぼ日没状態で、さすがにコンデジ望遠側での撮影はつらかったようです。
ちなみにこの時には、スカウ村に滞在していたNHKの取材班もあわてて撮影に来てたそうで、やはりボルネオゾウにはめったに遭えないんですねえ・・・今回も出会えてよかったです。
こちらはゾウさんとの出会いから戻る船中・・・
背景はレタッチしたようですが、夕暮れの空に月?と星が浮かんでますね・・・
で、夕食後は最後の交流会・お別れ会であります。
今度は子どもたちにも浴衣を着てもらい・・・
うちの奥様お得意のパネルシアター(日本で40年前に発明されたもの)なんぞを持参して・・・
ゾウさんのお話とか・・・
ダイナソーさんのお話とか・・・
うちの奥様のオカリナ伴奏で日本の歌を合唱したりとか・・・
うちの奥様も交流会では大活躍したようですね・・・
ええ、植林現場とは対照的に・・・
さらにみんなで輪になって踊ったりして・・・
最後はニッポンのカブトを被って記念撮影・・・
って、大人もさりげにピースサインしてますね・・・
5日目は朝から、サンダカン近郊にあるセピロク・オランウータン・リハビリテーションセンターへ
マレーシアではマレー語、英語、中国語の三か国語表示が多く、しかもマレー語はアルファベット表記、とてもわかりやすくてマレー語も覚えやすいです。
この看板でも、ウェルカム・歓迎光臨はマレー語ではスラマット・ダタンだとゆーことがわかります。
ちなみにこのあたりはイギリスの植民地だったためCENTREはイギリス英語になってますね。
さらにちなみに、中国語表記でセピロクは西必洛、オランウータンは人猿、センターは中心になってて、こちらも我々にはわかりやすいです。
ここでは、わたくしが行けなかったウータンくんの「屋外保育園」にも行ったそうで・・・
こちらは室内から、ウータンくんたちを間近に観察できるようになっています。
間近とはいえ、やはり高倍率の威力は凄いですね・・・
で、やはりわたくしが行ったことのない、センター内のマレーグマくん保護区にも行って・・・
ここでは日本から運んできた車椅子を寄贈してきました。
じつはスカウ村でも、もう一台寄贈してたのであります。
そう、隊員の中に「空飛ぶ車椅子」活動をされている方もおられ、今回も2台を運びました。
ご存知の方も多いでしょうが、全国から集められ工業高校の生徒たちが再生した車椅子を空港で受け取り、
まだまだ車椅子が不足しているアジアの国々に手荷物として運ぶのが「空飛ぶ車椅子」ボランティア・・・
特に団体の場合は空港で預ける託送荷物の総重量に比較的余裕がありますし、現地空港からは、貸し切りバスを利用する場合がほとんどですから、わりとお気楽に何台かは運べるとゆー次第。
ホテルや空港まで現地ボランティアに引き取りに来てもらったこともありましたが、今回はスカウとセピロクで直接、村やセンターの代表者に手渡すことができたようです。
植林以外にも様々なボランティア活動をされている参加者も多く、本当にいつも頭の下がる思いです。
ま、わたくしにとっては、いつもショクリンよりショクヨクがメインのツアーなんですが・・・じゅるじゅる
で、この後はサンダカン空港からコタキナバル空港へ、コタキナバルではサバ大学の熱帯林研究所へ表敬訪問する組と、市内でショッピングなんぞを楽しむ組に別れ(とーぜんうちの奥様はショッピング組)夕方には合流してクアラルンプール空港へ、深夜の便で翌日早朝に関西空港へ帰ってきました。
ええ、うちの奥様が・・・
わたくしも行きたかったなあ・・・ぐすん
次回の企画も早めにこのサイトでお知らせしますので、次回こそ、ぜひご一緒しましょう!!!