2012中国・植林ツアー報告の最終回であります。
敦煌のホテルで一泊したわたくし、翌8月9日は昼前の便で直接北京に戻るだけなのに、
けっこう早く目覚めました・・・
まあ、せっかくなので・・・
敦煌の朝焼け・・・
で・・・
ホテルのレストラン・・・
と・・・
わたくしのつつましい朝食・・・この後、皿の中味は何度も変わりましたが・・・
で、搭乗まで少し時間があったので、
敦煌の中心街にある・・・
「夜光杯」の製造直売所へ・・・
このあたり、キレン山脈などから採れる石の加工品が名産で、夜光杯とゆーのは・・・
有名な詩・・・らしいのですが、ま、そーゆーことです・・・って、よくわかりませんね・・・
(記事アップ後、ご教示をいただきましたので、追記させていただきます。)
唐代の王翰の詩で題は「涼州詞」、ご教示いただいた内容からわたくしなりに翻訳すると、
葡萄の美酒、夜光杯にて飲まんと欲すれば、
琵琶をかなで、馬上から催すものあり
酔って沙漠に臥すとも、君笑うことなかれ
古来、戦(いくさ)に徴されしもの、幾人か還る
ただし、ご教示いただいたテキストでは、最後の「徴戦」が「征戦」になっており、
「古来、遠征に赴いたもの、幾人か還る」といった意味になるのでしょうが・・・
いずれにしても遠征してきた兵士を謳った、豪快で悲壮感あふれる詩ですね。
ま、わたくしの場合は・・・
ビールもどき、アクリルグラスにて飲まんと欲すれば、
肉を焼き、鍋を煮るものあり
酔ってテント前に臥すとも、君放置することなかれ
古来、キャンプ宴会の飲み過ぎ、幾人か還る
といったところでしょうか・・・
で、
製造工程の説明、手前の完成品が夜光杯で鉄分の多い石を薄く加工した杯であります。
高級品はきれいな緑色で、液体を注いで、上から光をあてると・・・
こんな感じになり、月光の下なんぞで飲むと、たしかに風情がありそうですね・・・
注いだ水が盛り上がってますが、石に含まれる磁力により表面張力が増すとか・・・
ほかにも飲み物の味をまろやかにするとか、鉄分が多くて健康にいいとか、様々な効能があるようでしたが・・・
わたくしがこのお店で興味を持ったのは・・・
夜光杯照射に使われていた、KAIWEI LIGHT IMPLEMENTブランドのライトでした・・・
こちらはフラットなパターンで、月光がわりに照射するにはぴったりなんでしょうね。
ま、高級な夜光杯はとーぜんお高いので、わたくしは、
お安い玉石なんぞのブレスレットやストラップを敦煌のお土産にしたのですが・・・
帰国後すぐに素敵な女性に召し上げられてプレゼントして、もうありません・・・
で、めずらしく曇り空の敦煌機場(空港)へ
わたくしにとっては「世界最西端への旅」もおしまいであります。我誓再来敦煌!!!
で、昼前の離陸で三時過ぎには、植林ツアーで定宿にしている北京空港近くのホテルに到着し、シャワーを浴びてから、某酒飲み隊員と二人で安酒や夜食を入手するためコンビニを求めての周辺散策。
道行く人に愛想よく、「えくすきゅーず・みぃ、請問!!(ちんうぇん!!)」と声をかけてから「どぅゆうのう・ざ・うぇい・つー・こんびにえんす・すとあ?」とか、怪しい英語で訊いたのですが予想どおり通じなかったので、いつも中国ツアーには持参している筆談用のメモ帳に「便利商店在何処?」と書いて見せると、たちまち丁寧に地図まで書いて教えてくれました。で、その地図を頼りに探し歩いて行ってみると・・・半坪ほどのいわゆる「スタンド売店」でした・・・そうか、コンビニは「便宜商店」だったか・・・と、その時に思い出した次第・・・とほほほ
わたくし、こんな「街歩き」が大好きなのですが、今回は北京での数時間だけでした。
結局ホテル近くの酒屋で白酒(パイチュー)のみ購入、ロビーに集合して徒歩で・・・
近くのレストランにて、お別れパーティを兼ねた夕食であります。
なんでもここは、「創作北京料理」のお店だとかで・・・
この後も、北京料理にしてはあっさりとした料理が、いろいろと出てきたのですが・・・
こちらの刺身こんにゃく風のやつと・・・
こちらの「長芋のブルーベリージャム添え」は・・・イマイチでした・・・うぐぐぐ
で、夕食後は・・・
一人で散策してたとゆー最年少のS君に教えてもらい、超級市場(スーパー)へ・・・
夕食前に訪ね歩いて行った、あの「スタンド売店」のすぐ近くにありました・・・
道を訊ねたときに、「超級市場在何処?」とメモに書けばよかったのね・・・ううっ
けっこうでかいスーパーで、中国ワインだけでも・・・
もの凄い品ぞろえでした・・・
ちなみにこちらの右側に延々と並んでいる・・・
沙漠名産のナッツ類やドライフルーツ類は現地価格より二割以上割高でしたが・・・
ま、せっかくなので、お互い記念写真なんぞを・・・
カモフラージュパターンのビールを見つけてよろこぶ98kさん
(多分飲み過ぎで)腸の具合がおかしくなったため、乳酸菌飲料を見つけてよろこぶ、
某酒飲み隊員・・・って、そのインディアナ・ジョーンズのTシャツ、かっこいいなあ・・・
と、わたくしがホテルに戻ってから、売店で買い求めたTシャツがこちら・・・
ええ、人民軍英雄「雷鋒」のTシャツであります。
インディと同じくヒーローだし、ムチのかわりにPPSH持ってるし・・・
とまあ、飲み物や食料なんぞを買い出ししたあとは、夜の北京の街をぶらぶらと・・・
空港近くのホテル周辺のため、外国人も多く・・・
エアラインのおねいさんたちも多かったです。
(今回使ったWG-2、オートピクチャーモードだとコロコロと撮影モードが変わります。)
こちらはご近所の家族連れでしょうか・・・
化粧品店やブティックなどが集まる、いわゆる「女人街」なのでしょうか・・・
若い女性が、やたらと多かったです。じゅるじゅる
ま、わたくしにはこんな店のほうがそそられますが・・・じゅるじゅる
「雄牛火鍋」かぁ・・・名前からしてなんとなく凄そう・・・いったい、どんな料理なんだろ・・・
次回キャンプででも、てきとーに作ってみるか・・・どうせみんな知らないだろうし・・・
とまあ、夜の北京散策も終えて自室に戻り・・・
一人宴会であります。
右側のカモフラパターンのビールは、お土産に持ち帰ろうと思っていたのですが・・・
結局、2本とも空けてしまい・・・
さっきのスーパーで買った麺ではなく、最後の天ぷらそばで仕上げて、この夜は就寝しました。げふっ(ちなみに使っている箸は、red-bicycleさんからいただいたオリーブドラブ箸であります。)
で、翌日は昼前の便で帰国するだけ、空港から近いホテルなので朝寝しました・・・
前日、北京空港には3時前に着いたので、そのまま乗り継げば、夜には関西空港に着いてたはずですが、やはり便の都合からでしょうか、ま、のんびりできて、これはこれでよかったです。
ちなみにこのホテル、90年代から使ってますが水周りなどは改修したようで、基本性能は改善されてました。
ホテルの自室から見た朝の北京・・・
このホテル、庭にプールもあったのね・・・知らなかった・・・
で、一人でのんびりと朝食・・・(他の隊員はとっくに朝食を終え、朝の散策に・・・)
ええ、きわめてシンプルなものであります。
で、やはり空港近くのホテルですから・・・
各エアラインのおねいさんが入れ替わり立ち替わり、朝食を摂ってました。
やはり職業柄でしょうか、みなさんほんとに朝の食事時間は短いんですね。
ま、わたくしは・・・
皿の中味もグラスの中味も変化がありますが、ま、いたってシンプルなものであります。
さらに変化がありますが、いたってシンプル・・・さすがにお腹がくちくなってきたな・・・
そして・・・
誰もいなくなりました。げふっ
のんびりと中国最後の朝食を楽しんだ後は・・・
北京空港に行き・・・って、「味平」ラーメンなのか、「味干」ラーメンなのか・・・
中国人客で満席の関西空港行きに搭乗し・・・
税関申告書を書いたり・・・
ふむふむ、化学兵器の原材料が禁止で、リクガメさんは制限されてるのね・・・
最後の機内食で、最後の燕京ビールを飲んだりしてると・・・
あっとゆー間に・・・
敦煌より暑い、大阪に着いたのであります。
ツアー中、ずっとカラッとしていた衣服が関空ターミナルを出た途端、汗でベトベトに・・・
中国・植林ツアー報告の記事は、今回でおしまいであります。ながらくのご愛読ありがとうございました。
わたくしが帰国した直後に尖閣諸島への上陸事件があり、その後急速に中国との関係が怪しくなってますね。
中国世論には、韓国世論などと同様、今まで延々と続けてきた反日教育の影響も大きいとは思いますが、もちろん、決してそれだけではありません・・・
わたくしが90年代から植林してきた中国西北部でも、歴史的な事実として満蒙開拓団や旧軍との軋轢がありましたし、はじめて行った頃は、その事実に裏打ちされた反日感情もまだまだ強かったと記憶しています。その後、ひたすら植林に来る日本人たちと実際に接するうちに、人同士の理解も生まれてきたと思っています。
昨年も植林してきたモンゴルでも、歴史的にはノモンハンをはじめ中国と同じ日本との軋轢が事実としてありました。さらに、旧ソビエト連邦も基本的には反日教育でしたから、その影響も大きかったはずです。今は「昔からの親日国」といわれているモンゴルでも、自分たちがロシアの衛星国から独立し一番苦しかった時に唯一無償援助を続けてくれた国、といった理由だけではなく、実際に様々な援助にやってきた日本人と接する中で、あるいは支援を受けて日本に来て、実際にいろんな日本人と接する中で、やはり人同士の理解が生まれてきたはず。
(実際に、来日して人に騙され苦労された方から、日本人にも悪い人もいい人もいることがよく分かったから、けっして日本そのものを憎むことはしません、という言葉をいただいたことがあります。)
教育の影響を無視することはできませんが、やはりお互いわかりあうためには、まず相手を理解しようとすること。そのためには、できるだけ客観的な事実関係を理解したうえで少しでも相手と話し合うこと、そしてお互い相手のためにたとえ僅かでもできることをする、あるいはしようとすること、これに尽きると思います。
国と国とは、これからも様々な軋轢があるでしょうが、人と人とは、ある程度までは理解しあえるはず・・・と信じて、今後もささやかながら、植林ボランティアなんぞを続けていくつもりです。
最後にえらそーなことを書きましたが、次回からふつーの記事に戻りますので、これからもよろしくねっ!!!
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