N.GKS(エヌ・ジクス)のblog

海外での植林ボランティア活動をしていた団体N.GKS(エヌ・ジクス)のブログサイトです。 (2020年8月25日よりURLをhttp://からhttps://に変更しています。)

カテゴリ: 23次隊・中国西北部

第23次隊で5月19日から5日間、内モンゴル自治区に行ってきました。
参加人数は21名(旅行社T橋氏を含み22名)で、全員元気に帰国しました。
今回ツアーにご寄付をいただいたみなさんに、まずお礼を申し上げます。

N.GKSでは、この数年間たまたまマレーシア・ボルネオ島での熱帯雨林再生のための植林ツアーが続いてました。
そこで故・遠山正瑛翁が内モンゴル自治区・クブチ沙漠の恩格貝で植林ボランティアを始めてから今年で27年目になるし、N.GKS(当時は緑の協力隊・関西澤井隊)として初めて植林してからでも19年目、特に2008年の北京オリンピック前後から中国政府が国を挙げて緑化を推進して10年が経過したので、今回あらためて現地の変容ぶりを確認し、その現状と課題を・・・となった次第。

ま、わたくし98kは今回(宴会担当)副隊長でしたので、いつもどおり食べ物中心の紹介になりますが・・・

昼前に関西空港(東京組は成田空港)に集合、慌ただしく出国手続きを済ませ搭乗ゲートへ・・・
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搭乗予定のエア・チャイナ機は、すでに駐機しているというのに・・・

さっそく搭乗前宴会をやってる宴会担当98k隊員と同担当Y原隊員・・・
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「ありゃま、もう搭乗口に並びはじめたようですよ・・・もぐもぐ・・・」
「ようやく座ったばかりだけど、あわてて飲み切らねば・・・ごくごく・・・」
ちなみに、この画像を撮ってもらってた酒類調達担当のH田(昨年のボルネオ島ではT中)隊員は、搭乗ゲートに来るより先に、混んでた売店の行列に並んでたようで、すでに飲み切った後でした。
さすが酒類調達担当ですねえ・・・あっぱれ、あっぱれ
さらにちなみに、今回はH田隊員の撮った画像もダウンサイズして使わせていただいてます。

と、全員無事に搭乗し巡航高度まで上がると、さっそく・・・
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エア・チャイナのおねいさんに頼んで・・・


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ひさしぶりの燕京ビールをば・・・

やがて軽食が出て・・・
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今や日本と中国との国際線では「もみじ饅頭」がデフォなんですね・・・

とーぜん完食し・・・
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007シリーズを次々と観て、次々と観た作品だったことを思い出してると・・・

無事に北京空港に到着・・・
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で、国内線への乗り換え・・・
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・・・の際のセキュリティ・チェックで、F井隊員が関空免税店で買った限定「余市」ウィスキーが・・・
そう、中国では国内線のセキュリティ・チェックがとても厳しく、空港の免税店で封印した液体でも、国内線には持ち込みできないのでありますね・・・
しかし・・・現役時代は海水淡水化プラントの建設などで海外暮らしの長かったF井隊員、セキュリティと交渉した結果、「この場で飲み乾すなら没収しない。」とゆーことになったようです。
さすが乾杯の国とゆーか、なかなか粋な計らいであります。

で・・・
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なにせ高級な限定「余市」ですから、呑兵衛隊員は魔法瓶のフタで二杯三杯と回し飲み・・・


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「まだ残ってるよ、ウィスキーが苦手な人も味見だけでも・・・
めったにない限定品だよ!!!」
と、N.GKS始まって以来の「セキュリティ・チェック大宴会」となりました。
めでたし、めでたし・・・

わたくしもダブル2杯分ぐらい一気にいただき、へろへろになったのですが、内モンゴル・包頭行きの国内便までには少し時間があり、機内やホテルでの夕食の予定もなかったので・・・
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空港内のレストランで、とりあえず乾杯!!! 

お隣のテーブルでも・・・
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とりあえず乾杯!!!


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みんなで取り分けて、早めの夕食宴会となりました。

と、すっかり暗くなった北京空港を出発・・・
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さっそくエア・チャイナのおねいさんに・・・
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「ビールありますか?」と訊いて「ごめんなさい、ありません。」
と冷たく去られたりして・・・

1時間ちょいで内モンゴル自治区・包頭空港に到着・・・
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最年少のH田誠一朗隊員と、後ろに見えるのは公安のパトカー・・・
カラーリングがキマってます。
今回、彼には重い荷物運びや連絡係など隊員全員がお世話になりました。
ありがとね!!!
ボルネオ島サラワク州で毎回お世話になっていたN嶋さんと同名なのも何かの縁でしょう・・・

で、ようやく包頭市内のホテルの部屋に到着したのは現地時間の23時過ぎ・・・
日本時間では、すでに日付が変わってました。
なので、この日はシャワーを浴びてすぐに就寝・・・
するはずもなく、同室だったI倉隊員と、レトルトししゃもやナッツでウィスキーをかぱかぱと・・・
彼はシーバス・リーガルの500mlペットに「角」を、わたくしはジョニーウォーカー黒ラベルの500mlペットに「赤ラベル」を入れて持参してました・・・
いやあ、「安物にすり替え仲間」だったんですねえ・・・
彼は現在も放置された竹林の管理再生ボランティアをされてるそうで、飲みながら興味あるお話が聴けました。
と、この日わたくしは現地時間の1時半ぐらいに就寝・・・

翌朝、ホテルの部屋から見た包頭市内であります。
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手前の古いアパートは全て無人のようでした。

包頭市は山崎豊子の「大地の子」でも知られる鉄鋼の街、1999年の春にはじめて来たときには、外国人が泊まれるのはロシア式の「青山賓館」など数えるほどしかなく、道路は未舗装部分も多く、鉄や石炭を積んだ大型トラックが頻繁に通るので池のような大きな水溜りがあちこちにできてて、バスが大揺れに揺れてました。
今ではレアメタルの産地として世界中からバイヤーが集まり高層ホテルが乱立、道路網も整備され夜でも不夜城のように明るく、街には緑がいっぱいでした。

ともかく朝食であります。じゅるじゅる
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ま、わたくしはごく質素に・・・
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何度かおかわりしましたが・・・

ちなみに今回はじめて気づいたのですが・・・
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偶数は双号、奇数は単号なんですね・・・
で、エレベーターホールが中央ですから、中央の左隣がまず401、中央の右隣りが402、401の左隣(もしくは向かい)が403、402の右隣り(もしくは向かい)が404・・・となるので、左側は全て単号、右側は全て双号になるんですね・・・
ちなみに中国では劇場の指定席なども同様だそうです。


ホテル前の様子・・・
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鹿は包頭のシンボルで、昔は高層ビルがなく、どこからでも見えましたね。

コンビニ・・・
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さりげに某コンビニ・チェーンと色遣いが似てました・・・


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泊まったホテルでは結婚式でしょうか、正面玄関でお祝い準備をしてました。
クルマはドイツ車が多く、今回お世話になった旅行社のT橋さんによると、天安門事件の際に、アメリカや日本の自動車メーカーは引き上げたけど、ドイツの各社は留まったので今でも多いとか・・・

で、貸し切りバスに乗り込みホテルを出発・・・
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今回案内いただく通訳のバヤンさんはモンゴル族で、実家では羊など500頭を飼っておられるとか。

そういえば包頭の街でもモンゴル語併記が、さらに増えてましたね・・・
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「明立」の左にあるのがモンゴル文字で、漢字以外の使用は長いあいだ許されなかったのですが、各自治区では漢民族以外の文化や伝統も大事にしてますよ、とゆーアピールなんでしょうね。
モンゴル国も長年ソビエト・ロシアの支配下にあってキリル文字以外の使用は許されなかったのですが独立後はモンゴル文字を併記するようになってますね。

と、バスは包頭市を出てオルドス市に向かいます。

(以下次号に続きます。)

mixiチェック

前回記事からの続きであります。
内モンゴル二日目の朝、包頭市内のホテルを出た一行のバスは高速道路をひたすら南下し、オルドス市を目指すことになります。
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包頭市のシンボル、鹿のモニュメントともお別れし・・・


バスは黄河を渡ります。
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ご覧のとおり、今は近くに何本もの橋が架かってますが、植林ツアーの初期には近くに橋はなく、鉄の箱舟を並べて鉄板を乗せた「浮橋」を渡るので、車体を軽くするためバスから降りて鉄板上を歩いたり、道路でも未舗装部分で何度も砂に埋もれてスタックし、みんなで押したりしてましたが、現在は片側4車線の高速道路が平行して何本も走っています。
さらに当時は郊外へ出ると、貧しい家は日干しの泥レンガ作りで、ふつーの家は焼きレンガ作り、金持ちの家になると壁はタイル張りが定番でしたが、
今では・・・
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どの家も真っ白な壁と赤い屋根で統一され、とてもきれいになってました。
ただ、すべて同じ色で、しかも新しいので不思議に思ってると、旅行社のT橋さんから説明があり、新しい市長が郊外をクルマで走ってみると、あまりに家屋がみすぼらしかったので、全ての壁を白く、屋根を赤く塗るよう指示して補助したからで、中味は昔のままとのことでした。

他にも、大規模な緑化でオルドス市までの200kmも見渡す限り植林したけど、あくまで政府要人が高速道路を走る際に見える範囲だけで、そこに枯れた木があれば急いで緑のペンキを塗ってたとか、いかにも現代中国らしいエピソードも、
あれこれと話してくれてました。
そう・・・
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この稜線の向こうは沙漠のままなんですよね・・・
グーグルの衛星写真で見ると、すぐにわかるんですが・・・
まあ、砂を固定して道路を守るため、まず道路周辺から緑化していくのは確かに基本なんですが、「見える範囲」とゆーのが、やはり現代中国らしいです。

と、料金所をいくつか通過・・・
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ちなみに料金所では何回か交通警察が抜き打ちで車内に入ってきて、シートベルトの着用を確認してました。
けっこう厳しいですが着用率を高めるには有効ですね。




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イタリアのアウトストラーダではTELEPASSでしたが、中国は日本と同じETCなんですね・・・ただ後払いではなく先払いで、このETCが全国に普及する前に、すでにスマホを使う最新のITCがあちこちで導入されているようです。中国の高速道路は植林初期には粗末なものでしたが、今や全国に13万km、さらに毎年6000km以上を延伸しているとか・・・日本の高速道路の総延長が9000kmですから凄い勢いです。これも現代中国らしいですねえ・・・

と、あちこちに炭鉱(跡?)が見えてくると・・・
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いよいよオルドス市の中心部に近づいてきたようです。

(以下ウィキペディアより一部抜粋)

オルドス市
は内モンゴル自治区西南部に位置する地級市。
黄河が北に大きく屈曲した地点にあたるオルドス高原に位置する。
2002年2月26日、伊克昭(イフ・ジョー)盟から市となった。

オルドス市の市域は(近代化以前は)遊牧の好適地であるとともに、モンゴル高原から華北、華北からモンゴル高原に通じる交通上の要衝であり、古くは匈奴と秦・漢が争奪した地帯である。
匈奴の呼韓邪単于は、後漢に従いこの地に王庭をおいた。
15世紀にモンゴル族のオルドス部が移住してきたため、これにちなんで地名の上でもオルドスと呼ばれるようになった。
オルドスはモンゴル語・テュルク語で「宮廷」を意味する「オルド」が語源であり、この集団はモンゴル帝国の始祖チンギス・ハーンの生前の宮廷をチンギスの霊廟として奉祀しており、現在も成吉思汗陵が存在している。(ただし実際の墓ではない。もともと移動式のゲルでチンギス・ハーンを祀っていたのを変更して、周恩来とウランフの後押しで1956年にできた建物であり遺骸は棺になく弓矢や鞍などが祀られてる。しかし棺を担いだオルドスの扎薩克で中国最後のモンゴル王公である奇忠義は人骨の一部が納められていたとも証言している。)

貧困都市であったが、1990年代から石炭生産に力を入れたことで中国有数の産炭地となり、石炭バブルによって空前の好景気に沸いた。2000年の西部大開発プロジェクトを受けて開発が進み、人口も約30万人から200万近くに急増した。1人当たり域内総生産(GDP)が2007年に北京や上海を抜き、2010年には香港やマカオと並ぶ中国トップクラスとなり、バブル崩壊まで「中国一豊かな都市」と呼ばれた。

2003年から建設が始まった康巴什新区(カンバシ新区)のような巨大なニュータウンでは、開発と不動産投資が急速に進みすぎ、人の住まない住宅が増えて鬼城(ゴーストタウン)化も問題視されるようになっている。『浙商網・浙江経済報道』の2013年の報道によると、石炭価格の大幅な値下がりにより市内に35ある炭鉱の半数以上が停止しており、市の成長率は内モンゴル最下位にまで落ち込んだと報じられており、1,000億元以上の負債を抱え、不動産市場が崩壊しているオルドス市は危機に瀕しており、中国の地方政府として初の破産に直面していると報じる中国メディアもあった。
・・・
ちなみに旅行社のT橋さんによると、現在の人口は40万人とのことです。
そう、不動産バブルが崩壊して石炭価格も下落、新築や建築中のまま放置された高層マンションや高層ビルが立ち並ぶ「最新廃墟都市」で、廃墟好きとしては一度は見ておきたかったのであります。

以下、さくさくっと・・・

まだ郊外ですが・・・
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建築途中で放置されてるのがお分かりでしょうか・・・

せっかくなので動画でもご紹介・・・




この一画は見渡す限り建築中で・・・
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どの棟も放置されたままです。


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こちらは完成してますが、住んでるのは数世帯だそうです。まさに鬼城・・・


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こちらも窓ガラスがなく全棟が未完成・・・


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人が住んでるのはごく一部のようですが、街路樹や道路などのインフラは今のところ、まだ管理されているようでした・・・

こちらは商店や事務所・・・
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やはり無人であります・・・

こちらは・・・
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官公庁でしょうか・・・
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日曜日のせいもあるのでしょうが、ほぼ無人でした・・・

オルドス市のシンボルは「馬」・・・
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中心部なのでクルマは走ってましたが包頭の比ではなく、住んでる人は少なそうです。


こちらは低層の高級コンドミニアム・・・
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やはり無人のままが多いようです。

ま、日曜日でしたから・・・
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人工湖のほとりや・・・


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「オルドス婚礼文化園」とゆー公園施設には人も集まってましたが、
都市規模の割には圧倒的に少数で、やはり包頭の比ではありません。

こちらは日本でいう「国民体育大会」のために建てられたスタジアム・・・
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オリンピックの開会式でもできそうですが、今は利用されていないそうです。

ともかく・・・
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日本でもバブル崩壊後に放置された建物やリゾートはけっこうありますが、
なにせ規模が違いました。いやはや・・・

と、この後は120万人規模で完成しマンションも完売したけど2万人しか住んでいないとゆー最新の「カンバシ新区」へ入って詳細を見る予定だったのですがドライバーが道を間違えたようで、ついに時間切れとなり、たどり着くことはできませんでした。

いやあ、それにしても・・・
と、複雑な思いを抱きながら一行はさらに南下、いよいよ上記ウィキペディアの説明にもあった、チンギス・ハーン陵(成吉思汗陵)???に向かいます。

(以下、次号に続きます。)

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前回記事からの続きであります。
一行はオルドス市の中心部から、さらに南下してチンギス・ハーン(成吉思汗)陵とされているところへ向かいました。
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あちこちの炭鉱(跡?)を過ぎ・・・


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こちらの砂丘は「植林のし忘れ」つーより、砂漠遊園地として残してあるようですね。なにせ高速道路から「見える範囲」ですからねえ・・・

数少ない営業中の服務区(SA)でトイレ休憩・・・
バブル崩壊後は鬼城化した新設SAも多いとか・・・
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成陵(成吉思汗陵)服務区(SA)の公共衛生間(公衆トイレ)へ急ぎます。
鬼城化したSAは閉まってるし、昔のように高速道路の走行車線にバスを停めて道端で用を足すと今は厳しく罰せられるそうですから、この日のトイレ休憩はここが初めてでした。

さすが「習近平トイレ改革」は徹底されてて・・・
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公衆トイレはどこもぴかぴか、清掃も行き届いてました。
しかも個室はドアが上から下まであって、きちんとロックできるようになってました。6年前に嘉峪関付近で入った新設SAのトイレは清潔でしたが、男子小用の間仕切りはなく、個室のドアは中ほど1/3程度でロックはなかったので、まさに全国的な大改革ですね・・・

と、ふたたびバスに乗り込み走ります・・・
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この辺りは植林地に囲まれて牧草地が回復し牛さんが放牧されてました。
ただし稜線の向こう側は砂漠化したまま・・・なんでしょうね・・・
なにせ高速道路から「見える範囲」だけですからねえ・・・

と、ようやく・・・
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成陵(成吉思汗陵)インターの出口へ・・・
いよいよチンギス・ハーン陵・・・
・・・へ行く前に・・・
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まずは「草原情大酒店・餐飲部」で昼食であります。
店名がいかにもです・・・

で・・・
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とりあえずは乾杯・・・


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ドイツ系でしょうか、このビールも旨かったな・・・かぱかぱ・・・

まあ、あとはみなさん・・・
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ひたすら、ばくばく、ごくごく、もぐもぐ、んぐんぐ・・・
ここのビールは旅行社T橋さんの奢りだったので、ご覧のとおり空き瓶がずらっと並びました。T橋さん、ご馳走様でした!!!

で、ようやく人心地がついて、店を出て一息・・・
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オート三輪も植林ツアーの初期に較べ新車が増えましたねえ・・・

と、今度こそチンギス・ハーン陵へ向かいます・・・
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このあたりの青い屋根はチンギス・ハーン陵で働く人たちの住宅街だそうです。

前回紹介したウィキペディア記事にもありましたが、ここは15世紀に移住してきたモンゴル族オルドス部の人たちがチンギス・ハーンを祀っている場所で、通訳ガイドのバヤンさんのお母さんもチンギス・ハーンの第三夫人を祀る仕事を先祖から受け継いで今は37代目だそうです。
お墓は別としても、この辺りにチンギス・ハーンの宮廷あるいは休息所があったことは事実でしょうし、ずっとここでチンギス・ハーンを祀り続けている人たちがいることは紛れもない事実でした。

と、ようやくチンギス・ハーン陵(とされるところ)に到着、まずは記念撮影であります。
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はるか奥に見えるのが陵墓(とされるところ)で、ここから歩きます。

反対側には・・・
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さらに長い参道が伸びています。

そう、
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画像をクリックして拡大いただくと分かりますが、我々は赤い線で囲まれた施設の9割以上をショートカットして、左上の駐車場まで来たのですが、それでもかなり歩くことになります。

以下、さくさくっと・・・
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12年前に訪れた時と同じ騎馬像の前で・・・

そう・・・こちらが12年前の画像であります。
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施設は充実してるようですが、本人の体型はあまり変わりませんね・・・

でも、あの時はモンゴル族のおねいさんのガイド付きだったものなあ・・・
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彼女もモンゴル族オルドス部の出身だったんでしょうね・・・
今頃どうしてるのかな・・・


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12年前には、確かこんなのはなかったはずです・・・

正面左側にある天に祈るための祭壇・・・
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正面にある霊廟(お墓とされるところ)・・・
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12年前にも書きましたが、いずれも基壇部は中国伝統の陰陽説による円形と方形の組み合わせ、上部構造はモンゴル伝統のゲルや祭壇になっています。
まさに民族融和の象徴として建てられたんですね・・・

せっかくなので・・・
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霊廟前でも記念写真。
ちなみに今回のツアーでは、集合写真はH田隊員の一眼レフで、旅行社T橋さんにシャッターを押してもらってたのですが、T橋さんが記念写真での中国式掛け声を教えてくれました。「1,2,3,茄子!!!(いー、あー、さん、ちぇいずっ!!!)、ダメダメもっと大きな声でもう一度!!!」 そう「チーズ!!!」は英語なので中国語ではよく似た発音の「茄子!!!」でやってるんですね。その後、観光地でこれを大声でやると、周りの中国人観光客から大受けでした。

で・・・
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ここから中は撮影禁止でしたが、12年前にあった近代的(ソビエト的)な怪しい展示は一掃され、発掘された遺物などが中心になってました。

通訳ガイドのバヤンさんによると内部に灯されている灯明は、混乱期には遠くの省まで運ばれて、ずっとオルドス部の人たちが守り続け、これまで一度も消したことはないそうです。

で、戻る道すがら・・・
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旅行社のT橋さんの指し示す、このあたりの松9本が・・・
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1991年に故・遠山正瑛翁が自ら隊員を募集し隊長を務めた「日本沙漠緑化実践協会」の第1次隊が植樹したもので、第1次隊は悪天候で恩格貝へ入れず、やむなくここで記念植樹されたとか・・・今では協会からの派遣隊だけでも250回を超えているようです。

T橋さんによると、第1次隊の記念プレートが見つからず、工事のため一時的に保管されているか新しく作り直されているのではないか、とのことでした。

ま、せっかくなので12年前の画像をご紹介・・・
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少なくとも松は大きく無事に育ってるようですね・・・よかったよかった・・・

まあ、近くにできてた新しいプレートにも・・・
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故・遠山正瑛翁の座右の銘が書かれてたので、当面はよしとしましょう・・・
とのことでした。

で、駐車場まで戻り、12年前よりはるかに立派になってた売店へ・・・
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モンゴル服はすでに奥様用のがあるしなあ・・・


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中国の国内線では、武器類は託送荷物に入れててもひっかかるし・・・

白酒(パイチュウ)入りのよさげなスキットルがあったのですが、実用には軽いペットボトルが一番だし・・・とゆー次第で、今回みなさんへのお土産は一切ありません・・・げひげひ

と、チンギス・ハーン陵(とされるところ)を後にした一行は、いよいよクブチ沙漠の植林拠点となっている恩格貝を目指します。

(次号に続きます。)

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前回記事からの続きであります。
チンギス・ハーン陵(とされるところ)を後にした一行は、
高速を途中まで包頭方面へ戻ります・・・

こちらは往路で撮影した画像ですが・・・
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復路も反対車線は超大型トラックで渋滞してました。
この日は日曜日で時間的にも逆方向になったのか、大きな渋滞には巻き込まれずに済みましたが、旅行社のT橋さんによると、ひどい時は石炭60t積み大型トラック(80tぐらいに過積載してるそうで、長距離なので罰金を払っても儲かるとか・・・)が包頭・オルドス間を埋め尽くすようです。
そう、渋滞区間が200km以上となり、包頭・オルドス間が全線クルマで繋がってしまうとのこと。そうなると新旧の高速道路が何日間も全く動かなくなるので、できればこの区間は避けたかったそうですが、ま、オルドス市はどうしても見たかったわけで・・・

で、こちら・・・
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6年前に乗った包頭から西安へ向かう新線でしょうか、
その向こうにも鉄道橋が見えますね。

と、途中からクブチ沙漠を西へ走る高速に入り・・・
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鳴沙湾・服務区(SA)でトイレ休憩・・・
ちなみに中国語でサービスは服務、エリアは区ですからまさに直訳で、
じつに分かりやすいです。


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見渡す限りの緑が広がってますが・・・


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あくまで「見渡す限り」で、稜線の向こうはクブチ沙漠です。

もちろん、こちらの公共衛生間(公衆トイレ)も・・・
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巨大でぴかぴかでした・・・
さすが習近平トイレ改革が徹底されてますね。
ちなみに6年前は新しいSAの公衆トイレも「公厠」と書かれてましたから、習近平トイレ改革以降に設置されたものは「公共衛生間」に統一しているのかも知れませんね。

鳴沙湾・旅游区・・・
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前日までの大雨で砂の中の種子が一斉に芽吹き、一面に草が生えてますが、
本来は「鳴き砂」で有名な砂丘です。

偶然ですが、1998年にN.GKS澤井代表が恩格貝で植林した際に、我が家の次男に送った絵葉書が、たまたま出てきたので紹介しておきます。
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スタンプは1994.4.21になってますが、ここ鳴沙湾の絵葉書です。


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1998.10.27に北京から送られてきた絵葉書で、発行はオルドス市になる前のイフ・ジョー盟の郵票公司になってますね。オルドス市になったのは2002年ですから、とーぜんなんですが・・・

この翌年の1999年に澤井代表がN.GKS(当時は緑の協力隊・関西澤井隊)の第1次隊を率いて恩格貝で植林、その後モンゴルの草原やボルネオ島・アマゾンの熱帯雨林でも植林しましたが、内モンゴルでも何度か植林ツアーを組織し、今回2018年の第23次隊まで続けてきた次第。なのでクブチ沙漠の恩格貝はN.GKS活動の原点だったのであります。

クブチ沙漠は日本の四国ほどの面積で近代化によって人が砂漠化したところ、葉書にもありますが、この時点では故・遠山正瑛翁が率いていた日本人ボランティアが中心になって大阪市の市域ほどが植林されていたのであります。

その後に2000年の西部大開発プロジェクトや2008年の北京オリンピックへ向けた中国政府主導の緑化政策が進み、これまでの記事で見てきたように「見える範囲」はずいぶんと緑化されましたが、グーグル画像で見ると一目瞭然、クブチ沙漠はまだまだ西へ広がったままなのであります。

と、いよいよ恩格貝が近づいてきました。
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この辺りはすでに植林地に囲まれ砂が固定してるので、様々な投資家が様々な事業を展開しているとかで、こちらは見渡す限りのビニールハウス、クロレラを栽培してヨーロッパに輸出しているそうです。

こちらは見渡す限りのソーラーパネル・・・
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地平線に森林が広がっているのがおわかりでしょうか・・・
そう、ここでも植林地が砂を固定してるのでソーラーパネルの設置が容易になったんですね。ちなみにパネルの下は日陰になるので強い太陽熱に弱い作物も育つそうです。
6年前にはタクラマカン砂漠で見渡す限りの発電用風車群を見ましたがソーラーパネルは砂を被れば発電できませんから、砂が固定しているのは投資家にとっては魅力的なんでしょうね・・・
ただ、ビニールハウスの水耕栽培にせよソーラーパネルの洗浄にせよ、大量に使う水はすべて地下水の汲み上げですから、最近は恩格貝の湧き水の水位が著しく下がってきているそうで、太陽光だけのクリーンなクロレラだ、クリーンなエネルギーだ、と手放しでは喜べません。本来は水の循環利用とかも考えなければいけないのですが、恩格貝では大規模な農業も含めすべて投資家たちが事業としてやってますから効率優先、しかも失敗すればそのまま放置・・・そう、課題は大きいのですが、一方で雇用が激増して現地が豊かになっていることも事実・・・

ま、この話は今後の記事で詳しく書きたいと思っています。

二泊三日の宿舎となる恩格貝賓館への道・・・
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植林ツアー初期には街路灯や樹木はもちろん舗装もなく、沙漠のど真ん中の悪路でしたが、来る度に見違えるほど、きれいになってますね・・・

恩格貝賓館であります。
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宿舎の反対側には一面の緑が広がっています・・・
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・・・が、画像をクリックして拡大して見ていただくと、
その先にはクブチ沙漠が広がっています。

で、まずは宿舎の玄関で、モンゴル族伝統の歓迎を受けます。
せっかくなので、今回は(H田さん撮影)動画でご紹介・・・


注いでもらった強い蒸留酒・白酒(パイチュウ)を右手の薬指で、その地の天と地と人々、そして自分に捧げ、一気に飲み干すもので歓迎の唄が続いている間は何杯飲んでもいいはず・・・

昔は大きな牛の角をくり抜いた杯で老若男女を問わず飲めない人でも飲まされたものですが、さすがに最近は「無理しなくていいです。」とゆーことになったようです。

と、歓迎の儀式を受け、自室で一息ついた後は・・・

とーぜん大宴会であります・・・
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今回はN.GKSの澤井代表が高齢を押して、ひさしぶりに名誉隊長として参加してたので、古くからの長期ボランティアT城氏や現地スタッフ、日本沙漠緑化実践協会の現地責任者であるO常務理事なども来てくれました。

そして・・・

27年前に一人だけ遠山先生の趣旨に賛同し、住民にも政府にも全く理解されていなかった植林事業に二人三脚で取り組んできた地元の実業家、王明海氏も到着。
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澤井代表とは、じつにひさしぶりの対面であります。

彼はこの恩格貝賓館のオーナーでもありハウス栽培なども幅広く経営する
地元の名士・・・
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並んだ料理もいつもより何となく豪華な感じ・・・


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最初からずらっと並んでた高級白酒(パイチュウ)や・・・


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ビールも含め、すべて王明海氏が用意して下さったもの・・・

ちなみに宴席でのパイチュウは・・・
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こんな徳利に移し替えて飲むんですね・・・
なくなると、すぐに注ぎに来てくれてました。

と・・・
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Y崎隊長の発声で、まずは日本式にビールで乾杯・・・

続いて・・・
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N.GKS澤井代表から王明海氏の娘さんへの百人一首おかきのプレゼントや
ご本人への日本酒(奈良の地酒)などなどのプレゼントとか・・・
ちなみに中央は現地スタッフで通訳のモンゴル族のナランさん。

Y崎隊長から日本沙漠緑化実践協会の現地責任者O常務理事へ
「岸和田だんじり祭り」タオルの贈呈とか・・・
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そう、昨年3月のボルネオ植林ツアーに参加されたS井さんから、今回も大量のタオルを預かってて協会や隊員にプレゼントしたのであります。高品質で名高い大阪・泉州製のタオルですから丈夫で長持ち、植林作業にもぴったりです!!!

まあ、その後は中国式とゆーかモンゴル式とゆーか、
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すべてのテーブルで延々と乾杯が繰り返され、このテーブルは女性も多くビール中心でしたが、あとのテーブルでは次々とパイチュウで乾杯、まあ、現地のみなさんのよく乾杯すること・・・ま、わたくしも宴会担当副隊長としての責任上、最後までお付き合いしましたが・・・げひげひ

と、すっかりへろへろになり、宴会場を出る頃には・・・
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周辺はすっかり暗くなってました。
停電の多かった昔に比べて随分明るくなったとはいっても、やはり沙漠のど真ん中ですから晴れてたら満天の星が見えるのですが、この日はあいにくの曇り空でした・・・

で、自室に戻ってすぐに就寝・・・するはずもなく・・・
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王明海氏が澤井代表のために用意してくれてた貴賓室の応接間で二次会!!!
宴会場からもらってきたパイチュウにフロントで買った缶ビール、酒類調達担当のH田さんが持参した黒霧島に赤霧島、シーバスリーガル・ペットに入った角に、ジョニ黒・ペットに入った赤なんぞを、持参した乾き物なんぞでかぱかぱ、夜遅くまでの大騒ぎとなりました。

ええ・・・
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奥の部屋では澤井代表が一足先に寝てたのですが・・・
と、恩格貝での第一夜も、へろへろと更けたのでありました・・・ひっく
(次号に続きます
。)

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前回記事からの続きであります。
恩格貝2日目の朝・・・
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早朝から散策していた隊員たちが作業帰りのオート三輪に乗せてもらって、
戻ってきてました。


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左は沙漠の緑化基地として全国的に有名になってから観光用に建てられた展望台。ただし窓ガラスの内外にびっしりと細かい砂が付いてて眺望は良くないようです。そりゃあ窓ガラスの外側をメンテするのは大変だし、飛砂ですりガラスになるでしょう。
右の風車は植林初期にドイツの援助で建てられた風力発電用で、こちらも完成してすぐに砂で動かなくなったそうで、稼働後のメンテへの援助や指導は一切なかったようです。まさに海外援助失敗例の典型ですね。

ちなみに6年前の恩格貝賓館は中国全土からの見学客でいっぱいでしたが、今回は我々だけ、日本沙漠緑化実践協会の数次隊も参加者がめっきり減ったようで、やはり中国政府が本腰を入れて緑化政策をやり出すと、そのやり方は別としても我々のボランティア活動は一段落という感じでしたし、中国国内でも一時期はブームに沸いたものの、あちこちで緑化が進むと、ここまで来ないでしょう。

ここ恩格貝での植林と育林、農業開発と観光開発は、まさに試行錯誤の繰り返しで、政府や地方、投資家たちの思惑もあり、遠山先生の遺志を継ぐためにも今後も注視しなければなりません。

・・・といったよーなことは、いったんおいといて・・・
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とりあえずは朝食であります。
この後、熱々の饅頭なども出ましたが都市部のホテルに較べるとシンプルなものであります。
ま、わたくしはチャーハンのおかわりを頼みましたが・・・げふっ

と、たっぷりのシンプルな朝食後は・・・
恩格貝宿舎前
まずは恩格貝賓館前で記念写真。
この日は全員N.GKSの「DO YOU KYOTO?」バージョンTシャツを着ています。1997年の地球温暖化防止京都会議(COP3)に因んで京都から世界へ発信している合言葉で、「京都してる?」というのは「環境にいいことしてる?」という意味、祇園祭の山鉾と大樹を組み合わせたデザインはN.GKS隊で何度も隊長をされてる切り絵作家T富さんのもの・・・


と、高齢の澤井代表以外は、まずは徒歩で・・・
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池畔にずらりと並べてあるのは電動?レンタサイクル・・・


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荷台がソーラーパネルになってるのですが、ボトムブラケット(BB)にモーターは付いてなかったし、後輪のリムかタイヤをローラーで廻してるのか、ソーラーだけで充電できるとも思えませんが・・・ひょっとしてテールランプがさりげに光るだけ・・・だったりして・・・

と、あれこれ考えながら・・・
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池の対岸にある石壁を目指します。

そう・・・
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1989年からの恩格貝での緑化功労者の名前が刻まれている石壁です。

ええ・・・
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我がN.GKS澤井代表の名前もありました。わたくしの名前も(壁の裏側に)刻まれてたはずですが残念ながら確認する時間はありませんでした。

その後は・・・
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近くにある遠山正瑛記念館へ・・・

ま、せっかくなので・・・
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緑化功労者の二人・・・
って、
6年前にも同じことしてるな・・・まったく進歩がないな・・・

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記念館という名称ですが本人の遺志で分骨されてるので、ここが恩格貝での先生のお墓、外の彫像も、この記念館も、すべて中国政府によって作られたもの。

中にあった古い写真・・・
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今の恩格貝賓館がちょうど完成した頃でしょうか・・・
移設前の遠山先生の像が噴水の下に見えますが、記事冒頭の画像とは樹木のボリュームが全く違いますね。
右上に見えるロ型の平屋建てが古い宿舎で、遠山先生もずっとここで暮らされてました。
わたくしも初期にはここに泊まってましたが、当時はトイレもシャワーも共同で、トイレは一本の溝に簡単な間仕切りがあるだけ、しかも慣れない日本人がトイレットペーパーを一緒に流してしまうので、よく詰まってました。シャワーもお湯が出るのは夕方の一瞬だけで、しかも温度調節は至難、熱湯や冷水を浴びてました。食事も当時は羊肉と野菜を獣油で炒めた全く同じ味付けのものが野菜を変えて数種類、おかずもご飯もお皿もコップも、すべてが砂まみれでした。
ま、わたくしはその当時でも何度もおかわりしてましたが・・・ばくばくばく

で、古い宿舎では毎晩・・・
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遠山先生の沙漠講座があり、先生も我々も植林で疲れ果て夕食でたっぷり食べて飲んだ後でしたが、それでも短期ボランティアのために熱心に話されてました。
ま、わたくしはうとうとしてましたが・・・


で、記念館の隣の棟に、その古い宿舎での先生の部屋の内装が移されてました。
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今回はじめて見ましたが、粗末なベッドと机だけのじつに質素な部屋だったんですね。
晩年にマグサイサイ賞を受賞され、ノーベル平和賞の受賞直前に亡くなられた偉人の部屋とは、とても信じられませんが、90歳を過ぎても、ずっとここで暮らされてたんですね。

と、感慨に浸りつつ記念館で澤井代表と合流、バスに乗りました。
道すがら・・・
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6年前にはなかった施設が・・・
何をやるつもりなのか、よくわかりませんでしたが・・・

歩行者・自転車専用道まで整備されてました・・・
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この辺りは全滅した植林地の沿道に再植林してるようですが・・・

よく見ると・・・
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高く育っている部分、あまり育っていない部分、全滅して草地になっている部分があります。
高く育っている部分は洪水で栄養分の豊富な砂が運ばれてきたところ、ところがそんな場所は大洪水になると何万本もの苗木が一度に流されてしまうこともあり、過去にN.GKSで3000本(自分たちで植えたのは300本で残りは現地スタッフに植えてもらいましたが)を植林した場所も、低地で地下水が溜まりやすい場所だったので、きっと大きく育つだろうと期待していたら、大洪水で全て流されてしまったこともありました。まさに試行錯誤ですね。

全滅している部分は、当初は放牧されたヒツジさんに苗木の柔らかい樹皮を食べられてたもので、牧柵で入れないようにして3年も経つと樹皮が硬くなって食べられなくなるのですが、少し生態系が回復してくると、今度はウサギさんが登場、硬い樹皮も食べるし牧柵も穴を掘って越えるので大増殖、今ではウサギさんの被害が一番大きいそうです。さらに生態系が回復して、ウサギさんの天敵である猛禽類などが戻ってくるとバランスの取れた森になるそうですが・・・

そこで・・・
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王明海氏が自らの管理地に設置した5kmにも及ぶ「万里の長城」!!!
地下は20cmまであり、ヒツジさんはもちろん、さすがのウサギさんも侵入できないとか・・・

さっそく中に入って・・・
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N.GKSのTシャツを着て待っていただいてた王明海氏ご本人から、
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直接説明を受けます。
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中央にあるのはナツメの苗木で、地元の雇用も考えると今はナツメの植林が一番いいと考えているとのことでしたが、N.GKSの澤井代表からは、現地の土壌からナツメの化石は出土しているのか、ニレやマツやポプラなどはあったが化石にないものを植えるのはリスクが大きいと指摘がありました。
現地長期ボランティアのT城さんによると、今は古い土壌の上にタクラマカンの砂が堆積しており、この砂でも育つよう品種改良されたナツメを植えているとのことでしたが、やはり試行錯誤なんですね。

そう、じつは今回、遠山先生と苦労を共にされてきた王明海氏に何かプレゼントしたいと打診したところ、モノは要らないので、そのお金でN.GKSの森を作りましょう、とおっしゃっていただき、ここが、その予定地だったのであります。
ちなみに1000本のナツメ森を作るのに必要なお金は澤井代表と今回の隊員とN.GKSで出し合い昨夜の贈呈式で奈良の地酒などととともに、ご本人に渡しました。

ま、せっかくなので・・・
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「N.GKSの森」予定地で王明海氏と記念撮影・・・

と、この後は恩格貝でのボランティア植林の最前線へ移動・・・
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手前の植林地はヒツジさんやウサギさんで全滅してましゅが・・・

バスを舗装路に停めてからは徒歩で・・・
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昔は包頭・恩格貝間の道もこんな状態でした・・・

と、とことこ歩いて今回の植林地を目指します・・・
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そう、いよいよ植林作業であります。
(と、次号に続きます。)

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