第23次隊・報告記事も、いよいよ今回が最終回であります。
(はじめからご覧になる場合は23次隊カテゴリへ)
ツアー5日目の朝にホテルの自室から見た北京市街・・・
この日も快晴でした。
泊まったのは「船舶重工酒店」とゆーホテルで、
何か関係があるのかロビーには・・・
中国初の本格空母「遼寧」の1/200模型がありました!!!
旧ソ連からウクライナの所有となってた未完成の艦体を「マカオの海上カジノにする」という名目で、スクラップとして2000万ドルで購入、大連で長い年月をかけて艤装した、いわくつきの空母です。
艦載機は殲-15ですね・・・
これも遼寧に合わせ開発された初の艦上戦闘機。
ま、せっかくなので・・・
遼寧・・・よりフロントのおねいさんとツーショット・・・
と、ツアー最後の朝食であります。
さすが北京のホテル、全ては味見できないほどの種類がありましたが・・・
特にこちらの湯麺は白湯スープで旨かったなあ・・・
って、前夜遅くに醤油とんこつラーメンを食べたような気もしますが・・・
まあ気のせいでしょう。
と、朝食後は近くのコンビニで・・・
お安いパイチュウを買ったりして荷物をパッキング・・・
この日は朝から世界遺産「故宮博物院」(紫禁城)へ・・・(ただし高齢の澤井代表はT橋さんとホテルで待機、昼食会場で合流します。)
故宮博物院・・・故宮とも紫禁城とも呼ばれます・・・
明の時代から清のラスト・エンペラー愛新覚羅溥儀までの中国歴代皇帝が住んでいた王宮で、世界最大の木造建築群、ただし中にあった宝物の大部分は台湾・台北市にある「故宮博物院」に展示されています・・・と、バスの車中で通訳ガイドのワンさんからの説明。
なので数多くの宝物を見るなら台北へ、建物を見るなら北京へ、とゆーことになりますが、2009年には初の共同展も開催されてるようですね。ま、どちらも「故宮博物院」でややこしいので、今回記事では紫禁城で統一します。
お馴染みの天安門・・・紫禁城の南端の門であります。
正面の毛沢東の巨大な肖像画は3年に一度、新しく書き換えられているそうです。隊員の一人と話してたのですが、正面スローガンにある「人民」も「共和国」も「世界」も「団結」も、すべて明治期の日本で欧米の概念を翻訳する際に造られた日本語が中国に逆輸入されたもので本来の中国語は「中華」と「万歳」だけ、他にも頻繁に使われる和製中国語は多いとか・・・まあ、今の日本のように何でもカタカナ(中国の場合は意味と発音で当て字)にするよりいいですね。
天安門前広場では100万人規模の集会ができるそうで、毛沢東が中華人民共和国の成立を宣言したのもここでした。
広場には、あちこちに下水管が埋めてあり、舗装を外せば臨時トイレになる仕組みで、以前、大阪でもこの仕組みを災害対策用に全ての公園に作ろうという動きがありましたが費用が・・・
と、せっかくなので・・・
「いー、あーる、さん、茄子(ちぇいずっ)!!!」と記念撮影して・・・
周辺の中国人観光客に大受けしてから、いよいよ紫禁城の内部へ・・・
わたくしは通訳ガイドのワンさんにぴったりと寄り添って・・・
もちろん、しっかりと説明を聴くためですよ!!!
天安門を抜け、次の午門・・・桝形配置でやはり守りの城ですね。
この門から内部が紫禁城の有料区域で入場には予約が必要、セキュリティ・チェックもあります。ワンさんによると予約は一日10万人まで(ネット情報では8万人まで)に制限されてるとのこと。同じくネットによると2017年の入場者数は約800万人でパリのルーブル城に次いで世界第2位。日本で入場者数が一番多い大阪城天守閣で年間255万人ですから、入場制限してても物凄い数で、スケールが違いますね。この日も凄い人出でした。さらに紫禁城でも大阪城でも無料区域まで来る人は、入場者の何倍にもなるはず・・・そう、天安門前広場とか天守閣前(本丸)広場とかで写真だけ撮って帰る観光客の多いこと!!!
ま、わたくしはセキュリティ・チェックを受ける際にも・・・
ワンさんにぴったり寄り添って・・・
もちろん、しっかりと説明を聴くためですよ!!!・・・
って、しっかりと手を握ってるな・・・
もちろん、迷子にならないためですよっ!!!・・・
午門の次の太和門と手前に流れるのは金水河・・・
この辺りは宮殿の造りで日本の城でいえば本丸御殿への門ですね。
こちらは内側から見た太和門で、
中央は皇帝専用の階段、そう映画ラスト・エンペラーの冒頭シーンで使われてましたね。この広場を埋め尽くすエキストラを使ってたわけで、やはり大作です。
城の中しか自転車で走れなかったラスト・エンペラー・・・なのかっ???
城の中は清だったけど、外はもう中華民国だったんですよね・・・
で、太和殿であります・・・
太和殿、中和殿、保和殿の総称で紫禁城の中心建物・・・
まさに王宮の中心部ですね。
ま、せっかくなので・・・
ここでも記念写真・・・
ともかく凄い人出で同じような建物が続いてたので、ま、あとはてきとーに・・・
こちら、防火用の水瓶・・・
冬の凍結に備えて下部で火が焚けるようになってました。
もうすぐ完成する北京で一番高いビル・・・
まだまだ成長は続いてる印象でした。
紫禁城の北にある景山も離宮として人工的に造られたものなんですね。太和門の前を流れる金水河も、もちろん人工的に引き込んだもので、宮廷は山を背にして川に面するのが吉とされる風水の「背山面水」に基づいてるそうです。ふむふむ
太和殿の西にあり西太后など歴代の妃たちの居住地、西六宮へ・・・
以外と簡素な感じでした。
と、ようやく
一番北の門「神武門」を抜けて外へ出ました。
道を隔てて北側は景山・・・
北の濠を東に歩きます。
北東の隅櫓・・・やはりお城で「北京の55日」では籠城してましたね。
ま、せっかくなので・・・
記念写真を撮ってもらったり・・・
こちらでも記念写真を撮ってもらってました・・・
結婚式用の撮影でしょうか・・・多くのカップルが一斉に・・・
こちら・・・
登録すれば自由に使えるレンタサイクルの回収車。1時間3元とお安く、スマホでロック解除するそうで、市内のあちこちで見かけました。
と、紫禁城の東北側からバスに乗り・・・
前日の夕食サヨナラパーティー会場と同じ、老舗の北京料理店へ
おいしい昼食であります。ばくばくばく・・・
これで昼食宴会も最後なので・・・
燕京ビールの純生もごくごくごく・・・
ちなみに窓から見えた改築中の建物・・・
足場に竹とか間伐材を使っているのか???
と、よく見たら・・・
塗装した鉄パイプでした・・・
と、まったりと昼食後は・・・
渋滞する中、北京空港を目指します。
空港では奇跡的にセキュリティ・チェックも無事通過・・・
少し時間があったので、最年少のH田誠一朗隊員と・・・
空港内の紫禁城???で・・・
限定のスタバ・ミッドナイト・モカとゆーのをまったりと味わい・・・
北京空港のおねいさんたちともお別れ・・・
搭乗ゲートが屋外に変更になったエア・チャイナ機に無事搭乗し・・・
北京の街とも中国ともお別れしました。
ま、最後の画像は恒例により・・・
機内食と燕京ビールで大団円!!!
関空到着は予定より30分ほど遅れましたが、離陸が1時間以上遅れてたので、よしとしましょう。と、いろいろありましたが、ともかく全員無事で元気に帰国することができました。
旅行社T橋さんはじめ通訳ガイドのみなさん、恩格貝生態示範区管理委員会のみなさん、日本沙漠緑化実践協会T城氏はじめ現地スタッフのみなさん、そして王明海氏・・・みなさんのおかげでとても有意義なツアーになりました。
ありがとうございました。
特に王明海氏と管理委員会の周書記には連日で宴席にお招きいただき、お礼の言葉もありません。とても美味しく、とても楽しかったです。
恩格貝はじめ中国西北部だけでも、近年人類が沙漠化してしまった土地はまだまだ広大ですが、植林した地域でも間伐禁止や大規模農業による地下水の汲み上げなど様々な課題があることが、今回のツアーであらためて実感できました。
さらにオルドス市の石炭・不動産バブル崩壊による新市街の鬼城(ゴーストタウン)化の問題や、レアメタルの国際取引所もでき発展を続ける包頭市でも、過剰汲み上げによる地下水位の低下や一部レアメタル抽出の際に生じる放射性廃液の処理問題(この処理に莫大な費用を要するので埋蔵量はあるものの採算性から生産していない国も多い中、なぜか包頭では安価に生産してたそうで、さすがに最近はその処理費用名目で値上げしたりしてるようですが、ずっと井戸水を利用していた住民には異常を訴える人も多いとか)など、そのまま放置すれば、いずれ不毛の地になりかねないような課題も、現地で見聞して初めて知りました。
いっぽうで、中央政府や地方政府が緑化政策を大規模に推進した結果、以前とは見違えるほどの緑の大地になってたのも事実です。逆に言えば、それが日本からの植林ボランティア活動が衰退してきている一因ともいえるかも知れません。ただし前述のとおり緑化についても、まだまだ課題は多いので今後も注視していく必要があるのは間違いありません。
日中友好平和条約が締結されて今年で(まだ)40年、それよりも長い間、両国は戦争状態だったのですから、政府間では今後もぎくしゃくすることがあるでしょう。それでも王明海氏と遠山先生のように、民間レベルでお互いを理解しあい、できることはあるはずです。機会があれば、またいつかご一緒しましょう!!!
最後になりましたが、Y崎隊長はじめ画像提供いただいたH田さんなど参加者のみなさんにも本当にお世話になりました。今回様々なご寄付をいただいた方々と合わせて、あらためてお礼を申し上げます。
謝謝了!!!
(はじめからご覧になる場合は23次隊カテゴリへ)
ツアー5日目の朝にホテルの自室から見た北京市街・・・
この日も快晴でした。
泊まったのは「船舶重工酒店」とゆーホテルで、
何か関係があるのかロビーには・・・
中国初の本格空母「遼寧」の1/200模型がありました!!!
旧ソ連からウクライナの所有となってた未完成の艦体を「マカオの海上カジノにする」という名目で、スクラップとして2000万ドルで購入、大連で長い年月をかけて艤装した、いわくつきの空母です。
艦載機は殲-15ですね・・・
これも遼寧に合わせ開発された初の艦上戦闘機。
ま、せっかくなので・・・
遼寧・・・よりフロントのおねいさんとツーショット・・・
と、ツアー最後の朝食であります。
さすが北京のホテル、全ては味見できないほどの種類がありましたが・・・
特にこちらの湯麺は白湯スープで旨かったなあ・・・
って、前夜遅くに醤油とんこつラーメンを食べたような気もしますが・・・
まあ気のせいでしょう。
と、朝食後は近くのコンビニで・・・
お安いパイチュウを買ったりして荷物をパッキング・・・
この日は朝から世界遺産「故宮博物院」(紫禁城)へ・・・(ただし高齢の澤井代表はT橋さんとホテルで待機、昼食会場で合流します。)
故宮博物院・・・故宮とも紫禁城とも呼ばれます・・・
明の時代から清のラスト・エンペラー愛新覚羅溥儀までの中国歴代皇帝が住んでいた王宮で、世界最大の木造建築群、ただし中にあった宝物の大部分は台湾・台北市にある「故宮博物院」に展示されています・・・と、バスの車中で通訳ガイドのワンさんからの説明。
なので数多くの宝物を見るなら台北へ、建物を見るなら北京へ、とゆーことになりますが、2009年には初の共同展も開催されてるようですね。ま、どちらも「故宮博物院」でややこしいので、今回記事では紫禁城で統一します。
お馴染みの天安門・・・紫禁城の南端の門であります。
正面の毛沢東の巨大な肖像画は3年に一度、新しく書き換えられているそうです。隊員の一人と話してたのですが、正面スローガンにある「人民」も「共和国」も「世界」も「団結」も、すべて明治期の日本で欧米の概念を翻訳する際に造られた日本語が中国に逆輸入されたもので本来の中国語は「中華」と「万歳」だけ、他にも頻繁に使われる和製中国語は多いとか・・・まあ、今の日本のように何でもカタカナ(中国の場合は意味と発音で当て字)にするよりいいですね。
天安門前広場では100万人規模の集会ができるそうで、毛沢東が中華人民共和国の成立を宣言したのもここでした。
広場には、あちこちに下水管が埋めてあり、舗装を外せば臨時トイレになる仕組みで、以前、大阪でもこの仕組みを災害対策用に全ての公園に作ろうという動きがありましたが費用が・・・
と、せっかくなので・・・
「いー、あーる、さん、茄子(ちぇいずっ)!!!」と記念撮影して・・・
周辺の中国人観光客に大受けしてから、いよいよ紫禁城の内部へ・・・
わたくしは通訳ガイドのワンさんにぴったりと寄り添って・・・
もちろん、しっかりと説明を聴くためですよ!!!
天安門を抜け、次の午門・・・桝形配置でやはり守りの城ですね。
この門から内部が紫禁城の有料区域で入場には予約が必要、セキュリティ・チェックもあります。ワンさんによると予約は一日10万人まで(ネット情報では8万人まで)に制限されてるとのこと。同じくネットによると2017年の入場者数は約800万人でパリのルーブル城に次いで世界第2位。日本で入場者数が一番多い大阪城天守閣で年間255万人ですから、入場制限してても物凄い数で、スケールが違いますね。この日も凄い人出でした。さらに紫禁城でも大阪城でも無料区域まで来る人は、入場者の何倍にもなるはず・・・そう、天安門前広場とか天守閣前(本丸)広場とかで写真だけ撮って帰る観光客の多いこと!!!
ま、わたくしはセキュリティ・チェックを受ける際にも・・・
ワンさんにぴったり寄り添って・・・
もちろん、しっかりと説明を聴くためですよ!!!・・・
って、しっかりと手を握ってるな・・・
もちろん、迷子にならないためですよっ!!!・・・
午門の次の太和門と手前に流れるのは金水河・・・
この辺りは宮殿の造りで日本の城でいえば本丸御殿への門ですね。
こちらは内側から見た太和門で、
中央は皇帝専用の階段、そう映画ラスト・エンペラーの冒頭シーンで使われてましたね。この広場を埋め尽くすエキストラを使ってたわけで、やはり大作です。
城の中しか自転車で走れなかったラスト・エンペラー・・・なのかっ???
城の中は清だったけど、外はもう中華民国だったんですよね・・・
で、太和殿であります・・・
太和殿、中和殿、保和殿の総称で紫禁城の中心建物・・・
まさに王宮の中心部ですね。
ま、せっかくなので・・・
ここでも記念写真・・・
ともかく凄い人出で同じような建物が続いてたので、ま、あとはてきとーに・・・
こちら、防火用の水瓶・・・
冬の凍結に備えて下部で火が焚けるようになってました。
もうすぐ完成する北京で一番高いビル・・・
まだまだ成長は続いてる印象でした。
紫禁城の北にある景山も離宮として人工的に造られたものなんですね。太和門の前を流れる金水河も、もちろん人工的に引き込んだもので、宮廷は山を背にして川に面するのが吉とされる風水の「背山面水」に基づいてるそうです。ふむふむ
太和殿の西にあり西太后など歴代の妃たちの居住地、西六宮へ・・・
以外と簡素な感じでした。
と、ようやく
一番北の門「神武門」を抜けて外へ出ました。
道を隔てて北側は景山・・・
北の濠を東に歩きます。
北東の隅櫓・・・やはりお城で「北京の55日」では籠城してましたね。
ま、せっかくなので・・・
記念写真を撮ってもらったり・・・
こちらでも記念写真を撮ってもらってました・・・
結婚式用の撮影でしょうか・・・多くのカップルが一斉に・・・
こちら・・・
登録すれば自由に使えるレンタサイクルの回収車。1時間3元とお安く、スマホでロック解除するそうで、市内のあちこちで見かけました。
と、紫禁城の東北側からバスに乗り・・・
前日の夕食サヨナラパーティー会場と同じ、老舗の北京料理店へ
おいしい昼食であります。ばくばくばく・・・
これで昼食宴会も最後なので・・・
燕京ビールの純生もごくごくごく・・・
ちなみに窓から見えた改築中の建物・・・
足場に竹とか間伐材を使っているのか???
と、よく見たら・・・
塗装した鉄パイプでした・・・
と、まったりと昼食後は・・・
渋滞する中、北京空港を目指します。
空港では奇跡的にセキュリティ・チェックも無事通過・・・
少し時間があったので、最年少のH田誠一朗隊員と・・・
空港内の紫禁城???で・・・
限定のスタバ・ミッドナイト・モカとゆーのをまったりと味わい・・・
北京空港のおねいさんたちともお別れ・・・
搭乗ゲートが屋外に変更になったエア・チャイナ機に無事搭乗し・・・
北京の街とも中国ともお別れしました。
ま、最後の画像は恒例により・・・
機内食と燕京ビールで大団円!!!
関空到着は予定より30分ほど遅れましたが、離陸が1時間以上遅れてたので、よしとしましょう。と、いろいろありましたが、ともかく全員無事で元気に帰国することができました。
旅行社T橋さんはじめ通訳ガイドのみなさん、恩格貝生態示範区管理委員会のみなさん、日本沙漠緑化実践協会T城氏はじめ現地スタッフのみなさん、そして王明海氏・・・みなさんのおかげでとても有意義なツアーになりました。
ありがとうございました。
特に王明海氏と管理委員会の周書記には連日で宴席にお招きいただき、お礼の言葉もありません。とても美味しく、とても楽しかったです。
恩格貝はじめ中国西北部だけでも、近年人類が沙漠化してしまった土地はまだまだ広大ですが、植林した地域でも間伐禁止や大規模農業による地下水の汲み上げなど様々な課題があることが、今回のツアーであらためて実感できました。
さらにオルドス市の石炭・不動産バブル崩壊による新市街の鬼城(ゴーストタウン)化の問題や、レアメタルの国際取引所もでき発展を続ける包頭市でも、過剰汲み上げによる地下水位の低下や一部レアメタル抽出の際に生じる放射性廃液の処理問題(この処理に莫大な費用を要するので埋蔵量はあるものの採算性から生産していない国も多い中、なぜか包頭では安価に生産してたそうで、さすがに最近はその処理費用名目で値上げしたりしてるようですが、ずっと井戸水を利用していた住民には異常を訴える人も多いとか)など、そのまま放置すれば、いずれ不毛の地になりかねないような課題も、現地で見聞して初めて知りました。
いっぽうで、中央政府や地方政府が緑化政策を大規模に推進した結果、以前とは見違えるほどの緑の大地になってたのも事実です。逆に言えば、それが日本からの植林ボランティア活動が衰退してきている一因ともいえるかも知れません。ただし前述のとおり緑化についても、まだまだ課題は多いので今後も注視していく必要があるのは間違いありません。
日中友好平和条約が締結されて今年で(まだ)40年、それよりも長い間、両国は戦争状態だったのですから、政府間では今後もぎくしゃくすることがあるでしょう。それでも王明海氏と遠山先生のように、民間レベルでお互いを理解しあい、できることはあるはずです。機会があれば、またいつかご一緒しましょう!!!
最後になりましたが、Y崎隊長はじめ画像提供いただいたH田さんなど参加者のみなさんにも本当にお世話になりました。今回様々なご寄付をいただいた方々と合わせて、あらためてお礼を申し上げます。
謝謝了!!!