N.GKS(エヌ・ジクス)のblog

海外での植林ボランティア活動をしていた団体N.GKS(エヌ・ジクス)のブログサイトです。 (2020年8月25日よりURLをhttp://からhttps://に変更しています。)

カテゴリ: 環境関連記事

ひさしぶりの記事更新・・・
瀕死の林業という特集の紹介です
P8053935
月刊誌「Wedgeウェッジ」2023年6月号の特集記事

この特集部分の目次
P8053936
例によって、てきとーな読後メモで思い違いもあり、図表なども紹介してませんので
興味を持たれた方は本書をしっかり読んでくださいね

まずは編集部による現状つーか問題提起より
・4/14の花粉症に関する関係閣僚会議でスギの伐採加速化も掲げられた
(日本の林業・林政はこうした政治発言に左右されてきた歴史がある)
→林業の成長産業化+カーボンニュートラルの潮流
・生産量や自給率など統計上の数値は改善しているが現場は全く違う
→成長産業化の結果は供給過多による価格低下→3割しか再造林できていない
→総額3000億の補助金の活用方法の再検討が必要
→今は補助金獲得自体が目的になっている
・目先の成長を追い求め「持続可能な森林管理」に逆行している
→まさに「木を見て森を見ず」そのものの林政
・現場では森林所有者、森林組合、製材加工業者などに新しい取り組みを
始める改革者もいる
・瀕死の林業を再生する処方箋とは・・・

Part1より
・森林の持つ防災機能からも森林再生がいわれるが異常降雨時には森林も被害者になる
→日本の森林再生はすでに達成している
→いっぽうで日本の林業は受け皿がなく瀕死の状態にある
→林業再生は矛盾だらけで行政優先・机上論理優先で科学や技術は軽視
・費用対効果を軽視してはいけない
→日本の人工造成林は費用対効果が著しく悪い
→伐採跡を植林しない天然更新や植林しても自然木の侵入を許すなどへ移行すべき
→50年後のスギ・ヒノキの価値など分からないのだから多様な品揃えにしておくこと
→補助金と事業の硬直化により、この多様性が失われている
・間伐で森林の価値を下げるケースもある
→無間伐のメリット、間伐のデメリット(略)
→価格低下により標準齢で伐採されないことは森林にはいいことだが行政が許さない
→これが森林経営者の自由度を阻害し森林機能と商品価値の低下にも繋がる
・森林を温存し「待ち」に徹すること
→すでに再生された森林を持続させること→商品価値がないなら無理に伐採しない
→森林の温存は様々な国家リスクへの備えになるので、そのための補助金に
→経営者の自由度を尊重し森林の多様性を支援する(利益が見込めれば伐採)
→林道など基盤設備の整備も必要
→国民への教育、技術者や行政官の現場経験の充実も・・・

Part2より
・宮崎市における盗伐の実態
→被害者は全国1000世帯を超え伐採跡では土砂崩れも
→小規模な偽造伐採届が自治体に受理されると、その何十倍も伐採する
→合法伐採でも再造林が進んでいない
・林野庁の「林業の成長産業化」により自給率は増えたが増産要請で盗伐も増えた
→木材総需要は縮んでいる→経済的に林業が成長しているとはいい難い
→安い合板用や燃料用(バイオマス発電用)が増え、製材価格は抑えられている
→中国に輸出されるのは安価な丸太ばかりで「日本の木材は世界一安いから買う」
→木造建築(CLT直交集成板)が推進されているが鉄筋コンクリートより高い→値下げ圧力
→合板用や燃料用は所有者(山元)への還元が少ない用途のため再造林が進まない
→木材利用を推進すればするほど、はげ山が増える構造
・建築材需要の減少は人口減少と高齢化による(住宅着工件数はピーク時の半分)
・この40年間、価格が下がるたびに所有者(山元)の利益を削ることで対応してきた
(ウッドショックで高騰したのは製材価格で原木価格はさほど上がっていない)
→さらにコスト上昇、大量伐採、作業道敷設、危険作業・・・経営の持続が危ない
→今はウッドショック終息により再び山元への値下げ圧力へ
・産出額より補助金の方が多い林業が「成長産業になった」といえるのか
・1990年代から丸太なら国産材の方が外材より安くなったが製材なら逆のケースも多い
→外材は供給量、品質、流通を商社がしっかり管理し商品アイテムも豊富
→国産材は多くの事業者が関わり相互の情報が伝わらず疑心暗鬼、ロスが多く責任も持てない
→乾燥材は国産材出荷量の3割、外材では8割以上→ここでも差がつく
・盗伐、過剰伐採、再造林放棄の問題とは反対の放置林の問題
→相続人不明、名義人多数の共有林、進まない民有林の地籍調査→放置→災害
・目先の都合だけの政策では経営も持続もできず環境保全も不可能・・・

林野庁森林整備部計画課長へのインタビューより
・供給量拡大への取り組み
→戦後や高度成長期に植えた人工林が成熟して利用可能になった
→木材利用はカーボンニュートラルにも貢献すると認識され、需要拡大策も功を奏した
→ただし販売収入が少なく、重労働を要する再造林をしないなど課題も多い
・収支面での取り組み
→高性能機械の導入、労働削減技術の開発実証、花粉量半分で成長1.5倍のエリートツリー
・最終価格の2%しか山元に還元されない仕組みや価格への取り組み
→原木を製材用、合板用、チップ用と仕分けして供給することが重要
→製材技術開発、フル活用に向けた事業者連携、持続可能なサプライチェーンの構築で再造林に
→昨年6月に林業木材産業関係団体が共同で宣言を出した→業界の意識も変わりつつある
・伐採のための補助金のあり方について
→間伐への補助はあるが目的は森林の健全性を保ち公益的機能を発揮させるため
→皆伐への補助はない
→国際商品の価格は海外を含む需給関係で決定されるので補助金の影響はない
→需要無視の伐採は好ましくないので需給情報を公表している
→レーザー航測技術を使って林業適地を見定め関係者で共有することも進めたい

Part3より
・1980年代以降の世界的潮流は「持続可能な森林管理」
→95年のモントリオール・プロセスには日本を含む12ヶ国が参加→日本は逆行している
・戦後の林政の振り返り
→戦争で荒廃した天然林の伐採跡や原野を人工林に置き換える拡大造林政策
→高度成長期には林業振興で森林の公益的機能も発揮できるという「予定調和論」へ
→これには丁寧で集約的な技術が要求されるが外材輸入による価格低迷で技術基盤が崩壊した
→2001年の法改正では「持続可能な森林管理」が検討されたが最終的には予定調和論に
→補助金を投入した工場の大型化の結果、大量安価な供給が必要になった
→2011年には温暖化防止ロジックで短伐期皆伐再造林施策へ→真の目的は大量安価な供給
→2016年には林業の成長産業化
→2021年には「グリーン成長を新しい林業で実現させる」
→転換に見せかけた成長産業化の継承強化で「持続可能な森林管理」とは相反するもの
・森林管理には科学的理論が根底にあるべき
→地域ごとに生産林と環境林に分け目標林型に応じて短伐期皆伐を選択するなら理解できる
→ところが施策は全国一律
・「持続可能な森林管理」を基本にした森林法制への転換が不可欠
→林業は特殊な条件下でしか成り立たないことが前提
→地域(山村)政策、環境政策としてEUの農業政策のような所得補償
(条件不利地域論・デカップリング論の取り込み、入林権の保証など国民的な議論で)

Part4より
・速水林業はFSC森林認証を日本で初めて取得した環境保全型林業
→1070㌶東京ドーム228個分
→最新外国製重機の修理やメンテナンスも自社で行う
→人材、道路網の密度、再造林と育林、苗木が揃わなければ林業は成り立たない
→2010年以降、専業事業者が売却・離脱している
→国の施策(環境保全)で間伐が加速し供給過多で立木価格が大きく低下
→安くても売れるうちに売り、植えなければいいという発想
→今は森林資源が持続できるかどうかの瀬戸際に
→補助金でしか変われない林業から脱却すべき
→誰がどう管理しどう利用されるか分からない数十年、数百年先の理想の森林を思い描き、
そこに向かって今できる限りのことを真面目にやる、それが面白くなければ林業は面白くない

Part5より
・銘建工業は構造用集成材のトップメーカー
→CLT直交集成板を日本に紹介し初めて建築物を建てた→鉄筋コンクリートより軽い
→日本の規制は厳しくコストが高くなり年間使用量は欧州の1/100で工場稼働率は低い
→フィンランドやスウェーデンでは時間をかけたインフラ整備で林業の生産性を上げた
→地元の真庭市にはバイオマス発電所がある
→チップだけでなく街路樹の剪定枝まで集まる仕組みができている
→林業もそれぞれの地域でビジョンを持つことが大事になる

Part6より
・皆伐された山林の7割は木を植えず放置されている
・大分県の佐伯森林組合では100%再造林している
→国・県・市の再造林補助金で88%はカバーできるが残りは関係者の基金で苗の生産も組合
→再造林の直営は15人で請負は115人、請負には年収1000万を超えるメンバーが4,5人いる
→5年間は同じ山を世話するので愛着も責任も感じるし山元も信頼する
→所有形態が細分化しているので結果的に皆伐にならずモザイク状に分散し生態系維持にも
・大分県のうすき林業では混交林の択伐を行っている
→皆伐と再造林の林業を続けるのはきついし自分の代でサイクルが循環しない
→専門家と話して防火帯の雑木を残すと自然に混合林になり択伐方式にしている
→混交林つくりは難しく何を植えて何を伐るか、間伐コントロールなど試行錯誤の連続
→現在はスギとヒノキだけの出材だが、いずれ高価な広葉樹も出したいと商品化を模索中
・所有者不明土地や放棄林の問題→少しずつ進めるしかない
→相続時不動産登記の義務化と国庫帰属制度
→植林育林会社や木材会社による買取サービスなど
・林業に重要なのは時間感覚
→一般の経済活動とは異なるスパンが必要
→吉野の山林王・土倉庄三郎のような思慮と覚悟で林業が展開されることを願う・・・

Part7より
・伊佐ホームズは2017年に森林パートナーズを設立した
→住宅を建てる際のサプライチェーンを構成する事業者が株主となり出資・参画する
→流通連携による林業の収益化
→透明性の確保→信頼関係→付加価値→山元にも還元→森林を守り続ける
→工務店が山元から直接購入→詳細な木材情報を事業者全体で共有
→全てのデータがオープンなのでコスト・納期・在庫などが明確になりメリットが多い
→事業者間の透明性と信頼関係は住宅購入者にも大きな価値となる
・大型パネル工法
→1980年に93万人だった大工は2020年には30万人に、しかも60歳以上が40%を超えた
→耐震性や防火性、調湿性などの性能強化で建築部品の複雑化・重量化も進んだ
→大工の労働時間の半分以上は梱包外し、採寸、仕分けなどで現場作業は危険も多い
→大型パネルなら本来の仕事である造作や仕上げに集中でき人手不足解消にもなる
・大型パネル工法開発者の話
→いかに森林資源と生活者、需要があるエリアと供給可能なエリアを最適な線で結べるか
→究極には林業をクラスター(圧縮統合)させ地域ごとのサプライチェーンを多数構築すること
→大規模化などの成長一辺倒ではなく、徹底的に持続することを目指す
→着実な持続こそ、結果として大成長につながる
さらに・・・
→これまでの木材はエンジンだけで売ってきたようなもの
→付加価値をつけて自動車として売ること
→我々は良質な木材を使いサッシや断熱材も付けた大型パネルという建築物として売っている
→生活者目線で主語を木材ではなく建築にし生活産業の一員として事業を行っている

云々・・・
と、確かに改革者の動きも一部にはあるようですが・・・
さてさて、部外者にできることはなんでしょう・・・

mixiチェック

本の紹介です・・・
植林ボランティアの方々にも参考になるかと・・・
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市民と行政の協働~ごみ紛争から考える地域創造への視座~
濱 真理著 社会評論社 2022年8月25日初版第1刷発行・・・
とゆー本であります

表紙下部にある惹句の拡大
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奥付にあった著者紹介
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例によって目次のみのご紹介
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参考文献や索引も含めると250頁を超える、著者の博士論文をベースにした専門書ですが、国内外の様々な事例から市民と行政の対立と変容、格差と葛藤などを分かりやすく紹介、その協働を促進するうえでの第三者(機関)の役割、対立を超えた地域社会創造への提案まで、豊富な実務経験と多岐にわたる
文献資料だけでなく、各地での聞き取り調査も行い、長年の研究成果をまとめられた、新たな公共政策論であります

とても全ては紹介できませんが、以下はわたくしが興味を持った部分の読後メモです。
当サイト恒例の「思いつくままメモ」なので、わたくしの思い違いも多々あるはずですし、正しくは本書のご熟読をお願いしますね

第Ⅰ編~市民と行政の対立と変容、協働~
序章より
・東京都小金井市の市長辞任の例
(略)
→近隣に廃棄物処理施設が建設されると聞いたら、あなたはどうするか・・・
→その反応に行政はどう対応するか・・・
・フィリピン・スモーキーマウンテンのスカベンジャーの例
(略)
→ごみ問題は貧富の格差の問題、行政と住民の力の格差の問題でもある
・ディケンズの小説に現れる「第三者」の例
→弱者を支援する第三者、NGO、第三者機関・・・
・コロナ禍でのマスク着用という公共政策の例
→日本では啓発活動という政策手法のみで、合意形成の手続きは(必要?)なかった
→欧米では(個人の自由の侵害で)議会討論を経た立法など合意形成の手続きが必要だろう
→日本での政策参加は、それに関わる市民や、その分野に得意な市民だけでいい?
→対立しない政策でも市民と行政が協働で形成する方が望ましい政策もあるはず

第1章より
・大阪市住之江工場の事例

→完全対立のままの例
→紛争勃発から最高裁上告棄却まで、歴代3人の市長リーダーシップによるものではなく、ずっと行政主導型の政策形成だった
→議会も(共産以外)全て与党で、行政が政治アクターと調整し政策を形成・推進していた
→これらが反対住民を「かたくな」にさせたが、住民側の学習による変容が進展
東京都杉並清掃工場の事例
→和解成立と住民の運営参加の例
→都知事と住民の対話→混乱の激化→ごみ戦争→地裁からの和解勧告→和解条項の監視へ→運営協議会設立→34年間の行政との協働での学習と運営→現場公務員との信頼関係の醸成→短期間での現地建て替え合意へ

第2章より
・第1章の住民の学習による変容は特殊な現象ではなく一般的なもの
・武蔵野クリーンセンターの住民の学習と変容の例
→煙突から排出される水蒸気は冷えると白い煙に見える→再加熱して透明にしていた→再加熱には石油を大量消費する→住民委員から
無駄な(毎年億単位の)税金支出との意見→学習・議論して再加熱をやめることに決定→有害な煙ではないことの地域住民への説明は住民委員が自ら実施した
・ジョン・ロールズの反省的均衡から
→学習による反省→変容→葛藤から均衡→合意形成→やがて市民文化をも変容させる
・個人の意思形成過程
→アダム・スミスの道徳感情論・国富論から→公平な観察者になると他者の利益に理解を示す
→行動経済学の「良き市民」から→学習を重ねると同感し向き合う方向に変容する
・個人の意思決定と集団の意思決定
→タルコット・パーソンズのLIGAモデルから考える
→住民共有の情報→学習による共同幻想的な(潜在的な文化システム)の醸成=Latency
→具体的な地域の共通認識→疑似地域計画の形成=Integlation
→個々の住民レベルまで消化・内面化された明確な地域目標=Goal
→個々人が目標に適合的な行動を開始=Adaptation
・市民文化の変容
→市民文化には地域差が存在する(米英独伊墨の意識調査の例)
→市民の政策参加意識は変化してきている(ドイツの地方自治活動などの例)
→変化して定着した市民文化が集合的記憶になる(戦後日本の民主主義の例)
→日本の情報公開・行政手続など制度の変遷からは市民参加を重視する方向にある
→日本の市民文化は徐々に公共政策参加志向に変容していくと期待される
・共同行動するコミュニティ(第1章の例など)
・意思決定できるコミュニティ(他の多くの地域)
・機能しないコミュニティ(トレーラーハウス街やスラム街、ワンルーム街などの一部)
・地域コミュニティの変容
→すべての政策がすべてのステークホルダーにとってウィンウィンとはならない
→社会的弱者を含む
すべてのステークホルダーが納得する条件下で、
→便益とコストがフェアに配分されるのが理想的な政策の形成・履行の姿
→これが社会的ジレンマ現象の根本的解決になる
→反対運動が起こらずアンフェアが定着するより反対運動が起こるほうが望ましい
・町内会
→地域の反対意見とは誰の反対意見なのか、行政はどう判断するのか?
→個人?→町内会長?→町内の複数人の署名?→町内会の決議?
→町内では賛成意見が多くても有力な町内会長のよる町内会の決議が反対ならどうか?
→異質な者を統合するのが町内会の機能で、最大公約数的な価値に基づく合意が形成される
→それは往々にして実利を優先する価値観による価値
→ふだん行政の手先でも保守系議員の選挙基盤でも、大損すると感じたら鮮明に反対する

第3章より
・行政の変容
→社会に有用な公共政策とは、歩み寄りによる均衡点を持つ政策
(各ステークホルダーが合理的に行動・変容すれば均衡点への経路のある政策)
→行政も市民と同様に学習・変容できれば、
社会に有用な公共政策は実現できるはず
→住民の変容事例は確認できたが行政の変容事例は、まだエビデンスを得るほどは・・・
→ただし長期的・制度的には、海外の影響もあり変容しているのは確か
→行政は政治家の政策を実行するだけでなく政策を企画し実行する政治機能を有している
・行政の政治機能
→日本の国家官僚は、60年代までは使命感を持ち政策を立案・遂行する「国士型」
→70年代には団体活動や政党環境の変化からステークホルダーを調整する「調整型」
→80年代の中頃以降から政治家や社会の圧力が強まり必要最小限だけする「官吏型」
→地方政府職員も
政策を立案・遂行するのは同様だが、国の省庁による「官僚内閣制」が近年の政治主導の制度改革で弱まるのとは異なり、もともと首長が政策決定することが可能
→ただし縦割りを廃した場合でも個々の政策案は担当部局の行政職員が立案することが多い
→議員は地元の不利益になる政策提案者にはなりたがらず、職員や首長が嫌われ役になる
→制度変更には専門性も必要なので行政は政治過程である政策形成に大きな位置を占める
・地方の首長と議会、行政の政治機能
首長・議員は政治問題化していない政策の初動対応には意見を述べてから職員に委ねる
→政治問題化しているときや関心が強いときは政策形成を主導することがある
・行政の意思形成過程
→地方行政の政策形成では枠組み(福祉・環境・教育など)ごとの、前例による価値基準や実施手順、共通する行政姿勢や価値観といった慣行と、それと表裏一体である発想枠がある
→これが明文化されていない職員の「共通枠組み」で、いわば行政文化を形成している
→これがメタ政策形成レベルの判断規範になっている
→廃棄物処理施設を立地する場合、住民に押し付けるか、意見を聴く「カタチ」にするか、真に協働して決定するかは、この判断規範に属し個別の政策形成で検討されることはない
・この「メ
タ政策形成レベルの共通枠組み」を簡単に「しがらみ」と呼べば・・・
→行政への反対抵抗運動の多くは、この「しがらみ」の変更を求める行動
→住民は学習(情報の論理的・客観的・科学的処理)により短期間で変容する
→住民は「しがらみ」に縛られないので「事実がそうならこうあるべき」という思考も生まれる
→住民交渉窓口職員が「しがらみ」の矛盾に気づいても行政組織として変えることは容易ではない
→行政組織は学習では変容しないが、職員個人は学習により変容することがある
→その職員は新たな行政規範(あるいは良心)と「しがらみ」の間で悩むことになる
→行政組織は「しがらみ」を変えることによって変容する
→これに大きく作用するのは市民応答での長期的調整と社会の常識・規範・価値観の変化
→「しがらみ」のうち慣行や単なる発想枠は外部からの作用で一転してしまうことがある
→政策形成や政治的言動を左右する発想枠は固着的でコアな行政組織文化で、時間を要する
・官僚制の
合理性と批判(略)
(ポピュリスト首相・首長の合理的でない政策の強要に、抵抗する官僚と追従に走る官僚)
・ロバート・パットナムの実証的な分析(
北イタリアと南イタリアの違いから→略)
→統治機構のパフォーマンスと市民文化との関係→ゲームの理論
・廃棄物政策の例
・前世紀末の廃棄物処理問題の原因は分断型社会(植田和弘)
→戦後しばらくの生ごみから、プラ・大型家電なども
→高度成長期・バブル期など急増期も
→ステークホルダーは行政だけでなく製造者・販売者・消費者も重要なアクターなのだが、これらが分断され、市町村のみが汲々としていた
分断型社会だった
→焼却・埋め立てでは追いつかずリサイクルへ→消費者による分別が必要になった(協働)
→根本的解決には製造者・販売者が主軸のリユース・リデュースも必要になった(協働)
→やがて市町村が共同して
製造者・販売者・消費者への対処や国への規制を要請
→国も動き減量リサイクル優先の国家施策に転換が図られ、分断型社会は改善方向へ
・市民と協働する行政
廃棄物政策の例はステークホルダー全てが関わって生じている
→単に市民の意見を尊重するだけで事足りる問題ではなかった
→このような事象には政策立案・履行にステークホルダー各々が情報を共有し意思形成に参加して取り組むほうが効果的
→行政には、潜在するステークホルダーも巻き込み、協働して解決のための政策を進める積極性が求められる
→これが「受け身の市民参加」を超えたレベルの「協働を目指す行政」(パットナムの分析例では北イタリアの行政)
・市民の類型と行政の類型の関係
→意思決定・行動できない市民には、押し付け型行政(意見を聴くのは無駄だから)
→意思決定できる市民には、住民意思優先型行政(対応しないと履行できないか低下するから)
→行動する市民には、協働型行政
→これらは市民に応答して行政が変容することを示している
→市民との協働が最も効果的な政策推進をもたらすという共通認識が行政組織に共有されると行政は協働による政策推進を積極的に選ぶようになり、
協働型行政が定着する
→市民の類型に応答した行政のコスト(略)
・行政を変容させる他の環境、引き金など・・・
→大災害を経験すると新防災計画の策定や設備投資へ
→学校でのいじめ、廃棄物の増量、かつての公害問題なども引き金になるが・・・
→社会問題に即した行政の変容は(政策ニーズへの対応としては遅いが)制度変更はされる
→ただし職員の「しがらみ」に変容がなければカタチだけで実が伴わない場合もある
・地方自治体の制度変更は国に先行することが多い
→その要因として(特に都道府県・政令市・大都市に多い)相互参照(情報交換)がある
→先行したモデルケースの成功情報が拡散され、実施されていく
・変容のトリガー候補は職員・首長・議員(上部構造)だが、緊急事態や外部の大きな要請など、客観的に確認しうる政策ニーズ(下部構造)が存在しているときにアクションを起こせば動く
→予兆を最初に察知できるのは行政職員の場合が多いが「しがらみ」の変容につながるか・・・
・市民のあり様に直接影響されての行政の変容
・これとは別に社会の常識・規範・価値観に合わせた行政の変容がある
→この
社会の常識・規範・価値観の変容は市民文化から
・協働のパートナーは対等でなければならない
→自治度の高いコミュニティ(行動する市民)は行政と対等に渡り合える可能性があるが、その他のコミュニティには難しい→行政との力量の差異があるから
→この格差への対処を第Ⅱ編で・・・

第Ⅱ編~市民に関わる格差と葛藤~
第4章より
・行政は統治権力の執行機関であり、地域住民とは圧倒的な力の差異がある
→民主制の統治システムでは国民が主権者で上位のはずだが現実は逆・・・
→どうすれば対等に議論・交渉できるのか、政策や計画の合意が形成されるのか
→情報格差の解消と行政裁量の統制から・・・
・政府組織に知識・情報が集中する社会は問題(ハイエク)
・弁護士など行政情報提供業の担い手が市民対行政関係調整業になることが理想(足立忠夫)
→情報の非対称性の解消には当初からの住民参加だが、その場合でも基礎的な常識は必要
→なので足立の説く第三者の存在は重要
・ハイエクの情報・知識論から(略)
・地方自治に住民が参画して初めて情報は市民にとって意味を持つ(ドイツ・武蔵野の例→略)
・権力としての行政の統制
(行政法・財政学・福祉国家論など、めんどーなハナシなので略)

第5章より
・ごみ処理施設に関わった住民への聴き取りでは当初からの市民参加に全員が疑問を呈した
→利害が絡む地元の話し合いは難しく、不利益分配の行司役は行えないから・・・
→参加すれば、自分たちでは決められない、では済まないから・・・
→しかし行政が決めるしかないと考えている訳ではなく、押し付けへの反発が運動の原点
→自分たちが決定すると確信しているが、行政が用意した合意形成の場への参加には懐疑的
・武蔵野クリーンセンターの市民参加による合意形成の事例
→複数候補地の住民参加による委員会で理性的な熟議により用地が選定された
→建設後も運営協議会が常設され住民が施設の運営に参加した
→20年後の建て替えでも市民参加の委員会で準備を進め短期間で稼働した
→これは典型的な成功例で、参加実態への異議を呈する研究も見当たらない
(成功の要因)
→市民が情報蓄積により、ごみ問題の重要性・緊急性を認識していた
→市長が早くから市民参加を推進した
→市民参加による政策課題の解決という市民文化が定着していた
→市役所職員が市民をパートナーとする市役所文化が定着していた
・猪名川上流広域ごみ処理施設組合「国崎クリーンセンター」の紛争と合意形成の事例
→反対運動が二つに集約され、一方は訴訟(最高裁上告不受理)、もう一方は会議参加から施設運営を継続して監視していく立場を選択した
→行政側は当初は押し付け、その後は一貫して住民参加推進の姿勢で竣工後も継続している
→多くの地域住民が旧施設のダイオキシン排出報道で新施設の必要性を認識していた
→行政の方向転換に加え、住民が情報を蓄え認識を深めていたことで参加による合意形成に
・長野県中信地区の産業廃棄物処理施設の合意形成の事例
→複数候補地の住民参加による市民委員会方式で建設用地選定方法を確定したのが特徴
→当時の田中康夫知事が全面バックアップしていた
→その後、アセスメント→用地決定→建設のスケジュールだったが知事の指示で中断した
(廃棄物発生を抑制し処理施設を作らない趣旨の条例を検討していて議論が拡大したから)
→それでもアセスメントへ→候補地2か所選定となったが住民説明会で反発された
→処理施設整備の議論へ、新たに廃棄物減量の議論が展開され合意形成できなかった
・観察した社会学者は予定地の住民が納得して賛同した経緯になっていないと指摘している
→市民参加の委員会形式では多様な実情をノイズとして均質化してしまい正義の強者が現れる
→行政は市民参加を振りかざし現れたが、行政との格差を実感していた住民にとっては、行政自身が「正義の強者」だったのである
・なぜ住民たちは行政が主宰する市民参加の場に躊躇するのか
→意識的あるいは無意識に行政との格差を感じていたからではないか
(その要因)
→行政は情報量において圧倒的に優位
→市民参加の委員会でも情報は行政から提供される
→勉強してもわからないことは対峙する行政に教えられ、選択肢まで暗示される
・これでは議論しても到底勝ち目はないと感じる
→偏らない科学的な情報を提供し、自発的な学習を支え、結論が客観的に見えてくるよう議論の進行を流れに委ねていなければ、住民は参加を危ういと直感する
(成功例は市民と行政の情報量の格差、問題認識や理解の差異、方向性の差異が小さかった)
・行政とのケンカなら、やり方は住民が選べるが、行政の仕組みに嵌れば自由はほぼない
→「正しい手続き」に異は唱えられず、分別ある大人の話し合いで決まってしまう
→このような市民参加なら嫌がるのは当然
・行政には世論を形成する力もありメディアへの影響力も大きい
→弱い立場の住民が市民からも悪者にされ、地域エゴだという世論に苦しめられる
・行政にとっての合意形成の意味
→今は押し付けでなく市民参加により合意形成を図るべきという手続的規範
→合意形成で政策の実現可能性が一気に高まるという意味で望ましい価値を帯び規範的(決めるから参加せよといわれた住民にとっての意味とは全く異なる)
・合意形成のステップ

→住民にとっての合意形成の場への参加は、合意形成に合意したことを意味する
・地方行政に求められるもの
→ステークホルダー間の経常的に良好な関係
(情報公開、公平な対応、透明性、誠実さなどによる)
→信頼関係が構築されていない場合に溝を埋めるのが第三者
・廃棄物の増量トレンドは収まり、処理施設は新設よりリプレイスの時代に
→めいわく施設は建設後も「喉元過ぎれば」がなく住民との関係が続くのでむしろメリット
→焼却施設は30年前後は稼働するので住民との対等な関係、情報共有、意見反映が続けば、信頼関係が築かれて施設更新も円滑に進むだろう・・・

第6章より
・カナダ・アルバータ州の総合廃棄物処理施設と地域格差の例
→アルバータ州スワンヒルズでは施設立地の住民投票で79%が賛成し立地が確定した
→市民参加による合意形成が喧伝されたが、研究者から以下のような批判があった
①予定地の外縁隣接住民はトレーラーハウスに住み非定住で生活に精一杯、建設反対運動を
展開できるようなコミュニティではなかった
②ステークホルダーのうち反対するであろう①の住民には投票権が付与されなかった
・ステークホルダーの認識・確定
→行政が認定の範囲を歪めてしまうという問題
→悪意なら行政内部の「しがらみ」を変えねばならない
→裁量の濫用の問題でもある→コントロールの役割は第三者・・・
→ステークホルダーであっても自ら認識できない、社会に関心を向ける余裕がない、共同して行動を展開できる自治力がない、といったことで自己申告しないで把握洩れに
→合意形成の合意の前に
ステークホルダーの認識・確定を行政手順に組み込んでおくこと
・ケイパビリティに欠ける住民と地域
→ハーシュマンの組織と構成員の関係論考では構成員・関係者は組織の変化や衰退に対して離脱か発言か忠誠か、いずれかの行動をとると論じている
→これは個人が自立して行動する架空社会のハナシ
→現実にはその選択をするケイパビリティに欠ける住民が存在する→忍従しかない
→新自由主義で福祉国家論には翳りが見えたが貧困や格差はますます拡大している
→社会的弱者を支える政策が公的部門から消えることはないだろう
→住民と地域のケイパビリティを引き上げて助け合うコミュニティを築くこと
→引き上げるアクターは行政かNPOか営利団体か・・・
・行政の住民学習支援ケアサービスの実例(アメリカ)から
→埋め立て処分場の汚染が発覚し、環境保護庁EPAは環境対策の実施に周辺コミュニティの市民参加による政策形成方式を導入、地域住民で構成する組織を設立して金銭支援
→住民たちには汚染の知識がないのでEPAが情報提供し住民が専門家を雇う費用を全額支出
→EPAは知恵と金は出すが口は出さない
→専門の第三者が参加して意見形成環境を醸成した
→政策形成には望ましい結果をもたらし、住民のケイパビリティも育ち高まった
→やがてその居住区が自治能力の高い地域に変貌することも期待できる
・市民・地域間に格差が定着し再生産される理由
(社会学・
教育社会学・都市社会地理学のハナシなので→略)
市民・地域間の格差に対する対処への思想
→アマルティア・センの思想(略)
→ジョン・ロールズの正義論
(略)
・政策の失敗への対応(福島原発事故の教訓から一般的対処策を考察)
→事故と被害について
(略)
・教訓からの予防ルール
①巨大な悪影響がある政策、実施することにより大変な危険・危機を招く政策、あるいは正義にもとる政策は実施すべきでない。してはいけない政策は実施しない
②実施しても便益がほとんどない無意味な政策は実施されるべきではない
③政策を実施するにあたっては政策の効果や影響および政策遂行の進め方の適切さを充分に事前評価しなければならない
・教訓からの地域復興ルール
①政策失敗の被害対応にあたる行政などの復興推進主体は「人間の復興」を目的として復興を進めて行かなければならない
復興推進主体は(復興対象が生活してきた)「地域そのものの復興」を念頭に置いて取り組みを進めて行かなければならない
③復興政策はその対象である地域の人々の参画のもとに進められる必要がある
・廃棄物処理施設立地・建設政策の失敗への対処策
(略)

第Ⅲ編~協働を促進する第三者の役割と課題~
第7章より
・第三者の機能としての公平な主体による交渉や介入(メディエーション)の事例
「社会的弱者への支援介入」例
→アイルランドの地域組織による弱者支援
→米国のアドヴォカシー・プランニングによる住民の都市計画参画
「大学によるもの」例
→ワシントンの地域交通問題の解決
→米国たばこ農業振興と健康増進の対立解決
「国際NGOによるもの」例
→ガーナの鳥獣保護区の事例
(保護担当政府職員と部族民のトラブル多発に現地で支援活動していたNGOが介入し解決)
・紛争を伴わない公共的取り組みに第三者が関わる事例
→ソーシャル・イノベーションにおけるチェンジ・エージェント
→芸術(映画など)・文化(著作物など)における仲介エージェントなど
・現代の米国における(公共)メディエーションの定着の例
→紛争メディエーションを実施する機関が存在している
→民間会社、非営利団体、連邦政府組織、州政府機関、大学とこれらの提携もある
・他国の例(カナダ、英国西欧など、中国)→略
・NGOの例(前述のガーナやボリヴィアの森林開発)
・日本におけるメディエーションのための社会的基盤創設の展望
→アメリカでは市場で提供されているが、品質や供給不足が懸念される
→ユーザーには選択肢が多い方が望ましいので供給者の量と質の確保が条件になる
→日本ではADR(裁判外紛争解決手続)制度があるが行政との仲介は荷が重いのでは
→対行政での顕在需要がないのでアメリカのような自然発生は期待しがたい
→法律や地方の条例による義務化、免許制度なども考えられるが、まずは実証実験から
→資金、質、中立・公正・公平性の確保(
略)
・第三者機関が機能を発揮するための条件
(略)
・市民・住民の変容を促す第三者の役割
(略)
・行政の裁量行為・処分の適正化に果たす
第三者の役割(略)

第8章より
・アダム・スミスの公平な観察者としての第三者
・ボイラー事故から石谷清幹が着目した第三者の役割
・公務員(と町内会・PTA・ボランティア活動などにミッションを感じる市民)への提言
→自分の心中の「公平な観察者」の声に耳を貸して第三者意識を抱きながら公共的活動に取り組んでほしい、ということに尽きる
・主体的な生き方から地域協働社会の構築へ
→メディエーションはステークホルダーが主体的に考え行動して、あるいはメディエーターがそのようにステークホルダーを変容させて、はじめて成功裡に終わる
→それぞれが主体性を確立したとき、協働による地域社会の構築の歩みが着実に始まる
・リサイクル・循環・想像力・第三者
→近年の廃棄物政策は、自然の物質循環にできるだけ沿って取り扱う、という考え方
→自然循環を守る取り組みが人々の生活を持続可能にする(森里海連環学)
→原発は自然循環に沿った技術とはみなしがたく、社会の循環、関係の輪に納まっていない

終章より
・各アクターの変容と特徴
→市民は学習で短期に変容し、その方向の大きな要素は情報
→行政は市民の変容が社会に定着することで変容するが、短期ではない
→行政を有効に機能させるのは第三者も含む市民の力
・第三者の登場と新たな役割
→市民に信頼される公平な第三者(機関)が一般的になれば、行政にとってもメリットが大きい
・市民と行政が一定の変容を遂げ第三者が活躍する将来の社会(略)
・序章での問いかけ(
近隣に廃棄物処理施設が建設されると聞いたら、あなたはどうするか)
→その答えの選択肢の中に、公平な第三者機関があったとすれば・・・
・市民との協働を行政の「しがらみ」の中に取り入れた地方政府は現に存在するので、その中から第三者機関の創出を主導したり、地域で生まれた第三者機関を利用したりする行政機関が現れる可能性はある
・公共の衆議の場を24年間も提供し続けている市民もいるので、市民主体で第三者機関が芽生える可能性もある
・なのでモデルケースとして第三者機関が設立されることは非現実的な想定ではない
→モデルケースは地方政府
の相互参照(情報交換)で全国に広がり、やがて国も動く
→それで新たな社会のステージが開ける・・・(これは強い願望を込めて・・・)
・・・
いやあ、実例や
古今東西の文献が網羅されてて、じつに濃い内容でした
惹句にもあったとおり、特に第三者(機関)の役割という観点は目からウロコでした
わたくしも著者とは別の「枠組み」で公共政策を実施していた際に、市民との対立や市民同士の対立を経験し、当時の都市問題の研究者や比較的冷静だった支援ボランティアの方などと議論していて、なるほどそういう考え方もあるのかと納得したことは何度かあり、その一部は政策にも反映できましたが、やはりその件に関係する「行政のしがらみ」や「市民文化」を変容させるまでには至りませんでした。あの場に、お互いが信頼できる第三者機関があれば、どうなっていたか・・・

すでに何度か書いてますが、わたくし文明史にも興味があり最近はこんな本を読んだりしてて、国家・農耕・文字・
市民・奴隷(今なら旧植民地の労働者や非正規?)の誕生と、それらと同時に生まれた専業の行政官僚との関係については、(やはり同時に生まれた)専業の神官(学者)との関係とは異なり、イマイチよくわからなかったのですが・・・
行政の権力行使と市民との対立は都市国家の成立から現在まで続いており、個人の確立と自由意志を前提とした国家(権力)→(社会契約説の理想社会?)などあり得ないと思ってたのが、本著に何度も出てくる「市民の学習と変容による行政の変容」や、それに重要な役割を果たす「公平な第三者機関」とゆーキーワードから、少しはその存在が見えてきました
国家や都市に束縛されない野蛮人(今ならグローバル企業のエリートとか?)と行政
の関係も、揺れ動く世界経済の仕組みのなかで、今後どう展開していくのか・・・
さらに新自由主義以降の行政の福祉政策や、ポピュリズムと行政の関係などなど・・・
まだまだ興味は尽きませんが、ともかく読み終えたので、まずは一杯・・・

mixiチェック

前回記事の続きとゆーか、食べものと経済つーことで惹かれたとゆーか・・・
「食べものから学ぶ世界史」~人も自然も壊さない経済とは?~のご紹介
P9021165
著者は平賀 緑(表紙カバーイラストはふしはらにじこ)

裏表紙カバーにあった惹句
P9021167

著者略歴・発行所・発行年月日などについては奥付のとおり
P9021171
そう、岩波ジュニア新書シリーズで中高生向けレベルでしょうか

奥様が借りられた本ですが、わたくし向けレベルでボリュームも新書版で160頁ほど、前回記事の分厚いハードカバーと異なり、挫折せずに最後までスラスラと読めましたが、食と経済と歴史の関係をジュニアにも分かるよう、まとめるのは大変だったでしょうね

著者は食料栄養学の修士号と経済学の博士号をお持ちのようで、この両方の分野を学ばれた方とゆーのはけっこう稀少なのではと思ってます

例によって目次のみのご紹介
P9021168

P9021169

P9021170
目次を順番に眺めるだけでも食と経済の歴史が覗えます

以下、わたくしの読後メモから・・・
(分かりやすい本でしたが、てきとーメモなので興味を持たれた方は本書のご熟読を)

「はじめに」より
・命か経済か?
→経済の語源は「経世済民」→世を治めて民を救うこと
・世界には120億人を養うのに充分な食料がある
→現在78億人の世界人口のうち、慢性的な栄養不良(飢餓人口)は7~8億人
→充分な量と質の食料を得ることができない中~重度の食糧不安人口は約20億人
→同時に食べ過ぎによる不健康で寿命を縮めている人は十数億人
・農家は食べて行けず廃業し、膨大な資源を使って生産した食料の1/3が廃棄されている
・農業と食料システムで排出される温室効果ガスは全体の26%~34%ともいわれている
・人と社会と地球を壊しながら食料増産して経済成長することが生きるために必要?
→健康や自然環境を切り捨て、お金で測れる部分だけで効率性や成長を目指す仕組みだから当然
→この「資本主義経済」はせいぜい200~300年前からで日本では150年前から
→自然の法則でも不変のシステムでもない
資本主義経済の成り立ちを「食べもの」が「商品」に変わったところからまとめてみた

序章「食べものから資本主義を学ぶとは」より
・飢餓があるから、アジア・アフリカで肉や油の需要が増えるから、人口が90億人に増えるから、農業生産は大規模に近代的に拡大していくことが必要?
・飢餓があるいっぽうで食べ過ぎや肥満があるのはなぜか?
「食べもの」が「商品」になり資本主義経済に組み込まれたから
→お金がないと食べられないから
→食べるために働くことの意味が変わったから
→食べるモノ=自分で栽培・育てるモノから買うモノ=商品=食品へ
→商品は売って利潤を得るモノで自分で使うモノではない
→自分で使うモノは使用価値が重要だが商品は交換価値が重要(商品作物)
・人と自然を破壊しても、それでお金が動けばGDPはプラスになる(肥満の惑星)
→必要以上に消費すれば(食べ過ぎれば)経済成長する
→それでメタボになってジムや医者に行けば経済成長する
→さらにトクホやダイエット食品を買い食いすれば経済成長する
→食品ロスを増やせば処理事業とかで経済成長する
→自家菜園とかで健康な食生活をしてもGDPには計上されず経済成長にはつながらない
・資本主義とは→やめられない止まらない(NHK欲望の資本主義)
→必要な食べ物だけを売って儲けられる時代は終わったが売り続けないと成長できない
→新商品、名産品、ご当地グルメ、キャラクター商品・・・
→塩や砂糖や油も人間の本能以上に食べさせる(商品を買わせる)創意工夫で売り続ける
→市場が成熟しモノがあふれていても競争し続けなくてはならないから
→フロンティアを海外や貧しい人たちにも広げてきたが、そろそろ飽和状態に
・1980年代から、さらに経済成長しようとする新自由主義やグローバリゼーションへ
→金融資産の実体経済サイズを超えた膨張により、新しいフロンティアが求められた
→必要以上に人を動かす過剰な観光業の推進、水道など公共事業の民営化、データの商品化、経済の金融化、マネーゲーム・・・
→資本主義が好きな人も嫌いな人も現在はこのシステムで生きている
→気候危機とパンデミックで問題が表面化した今こそシステム・チェンジに取り組むべき


1章「農耕の始まりから近代世界システムの形成まで」より
・学校では狩猟採集⇒農耕・牧畜⇒文明⇒都市⇒国家と人類は発展したと教わったはず
・ところが「反穀物の人類史」(ジェームス・C・スコット著みすず書房2019)によれば、
→農耕・牧畜は支配する側の都合によるもので、人類は逆に不健康になった、
→小麦・大麦・コメ・トウモロコシを主食にした
→世界消費カロリーの過半数になるほど
→食べ物は多様性に富むほうが人にも自然にも、健康のためには望ましいはず
→作物も動物も人間も、単一栽培や家畜化や都市化で密になり、病原体の繁殖と変異が増えた
→穀物は育てるのにも食べるのにも手間がかかるが長期保存や輸送ができる
→富・軍備の蓄積に都合がよく、収穫量を正確に査定でき課税も配分もしやすい
→主食として人民や奴隷に生産させた政治的作物
→都市や国家には興亡があったが近代までは大多数が身近な田畑や自然から食を得ていた
(貿易はごく一部の富裕層のための小型軽量な貴重品に限られていた)
・大航海時代と重商主義
→欧州の経済と金融の中心はイタリア半島の都市からオスマンの東方占拠などにより、大西洋側にあるイベリア半島のポルトガルやスペインへ
→新世界から奪った金銀により、お金が増えて食料の物価が上昇し混乱した
→うまく活用したのはオランダと英国で経済と金融の中心も北上した
→大量に運べるハンザ同盟などの北海バルト海貿易(麦類や塩漬けニシンやタラなど食料も)
→重商主義とは植民地から奪った富が多い国が強い国になるという政策
→欧州の重商主義で地域経済社会が破壊された植民地が後進国・途上国といわれる地域に
・資本主義と産業革命の始まり
自給自足⇒家内制手工業⇒機械制大工業・・・(略)
→都市部の労働者は自分で食べものを作る土地も時間も台所もなく商品を買うしかない
→需要が生まれ商品の市場が形成される
→北米からの小麦パンと、カリブ海からの砂糖の入ったインドからの紅茶
→世界商品に
→すべて植民地の奴隷労働によるもので莫大な利益に(三角貿易)
→パンと甘い紅茶は工場経営者が必要としていた労働者向けの簡便・低価格・高カロリー食
→大量生産された白い小麦パンと白い砂糖での長時間・低賃金労働
→身体はボロボロに
→1845年の関税撤廃→地主と資本家の立場が逆転し、さらに・・・

2章「山積み小麦と失業者たち」より
・自由放任主義による競争と過剰生産→大量生産したものを大量消費させる
→労働者の購買力(賃金)をある程度維持しつつ国内に商品があふれたら海外へ
・19世紀末から過剰生産・価格暴落による倒産・失業の恐慌は始まっている
・第一次世界大戦後のアメリカ好景気からバブル崩壊、1929年の世界恐慌へ
→アメリカの戦争特需→農業バブル→戦争終結→欧州などの農業再開→農業バブル崩壊→銀行から借金したまま農家が次々と廃業→ウォール街の株価大暴落→大不況
(食料が余って暴落していても、失業でお金がなければ買うことはできない)
→アメリカから借金して賠償金にしようとしていたドイツに感染
→ドイツからの賠償金で戦後復興しようとしていた英国・フランスに感染
→世界中に感染し世界恐慌に
→アメリカ政府はまず緊縮財政とデフレ政策による自然回復という伝統的手法
→1933年のニューディール政策・ケインズ理論→政府介入による経済回復
→実際には第二次世界大戦の戦争特需により立ち直った

3章「食べ過ぎの『デブの帝国』へ」より
・戦後の大きな政府・大量生産+大量消費による経済成長
→資本主義の黄金時代
→農業・食料部門も工業化・大規模化
→農薬・化学肥料・農業機械による大量生産へ
→農業は自立的な営みから、大規模生産した商品作物の(製品)原材料出荷に
→商品として大量生産すれば資本主義では市場拡大が必要
(胃袋には限界があるので)
→海外へ拡大するか新商品にして消費拡大する
→アメリカは食料援助から海外市場の拡大へ
→冷戦で戦略的な意味も持つようになる
・「デブの帝国」(グレッグ・クライツァー著パジリコ2003)より
→トウモロコシは家畜の飼料や油から高果糖コーンシロップにも
(1970年代から)
→あらゆる加工食品と動物性食品に姿を変えて間接的に大量消費される
→アメリカ人は「歩くトウモロコシ」に
→日本人も身体の炭素の4割がトウモロコシ由来に
→大豆も多くは油と添加物の原材料、大豆粕は家畜の飼料で大量消費
→どちらも大量生産・大量加工・大量流通・大量消費の構造が形成され、安くて豊富でおいしい、高カロリー食品がいっぱいの時代が到来し「デブの帝国」が出来上がった
→この過程で利潤を得たのは農民や消費者ではなく、穀物商社・食品製造業・小売業・外食産業
→米国中心のモデルだが日本でも複製され、現在は中国・インド・アジア・アフリカにも・・・

4章「世界の半分が飢えるのはなぜ?」より
・国連世界食糧計画のハンガーマップ2020を見ると飢餓地域の殆どが昔の植民地の地域
→飢餓とは慢性的な栄養不足で生存や生活が困難になっている状態を指すが、最近では糖分や油でカロリーだけは足りるか過剰になっている「隠れた飢餓」も問題に
→世界には120億人が食べられる食料があるのに餓死しているのだから飢餓は殺人そのもの
→飢餓地域の75%が農村
→「商品作物を作る産業」としての農業で生活できなくなったから
→植民地に貧困と飢餓が作られてきた歴史に根本的な要因がある
・17世紀から1970年代までの歴史
→植民地の資源も人も奪い欧州に安く提供し植民地を工業製品の市場とした(三角貿易など)
→1960年代に多くが独立したが英国の新植民地主義で輸出向け農業が継続された
→第二次世界大戦後のアメリカは過剰生産した小麦や大豆などを食料援助名目で大量輸出した
(旧植民地(途上国)の農民は太刀打ちできず困窮していく)
→マーシャルプランでやがて欧州も過剰生産になり途上国へ
(開発や技術援助名目で)
→1960年代の「緑の革命」
→一代雑種(ハイブリッド)・農薬・化学肥料・機械化・灌漑(大量の水)による高収穫
→維持するためにはこれらを先進国から買い続けなければならない
(現地の在来品種を駆逐し生物多様性も90%減少させた)
→恩恵を受けたのは裕福な農家で貧しい農家は穀物価格の下落で破産
→市場が飽和すると自給自足していた小規模農家にも借金させて普及させた
→農家は借金まみれになり利潤は企業へ(メキシコ農民の例)
→緑の革命は穀物の収穫量を増やしたが多数の飢餓を作り出した
・1980年代から世界はさらにグローバル化し新自由主義によって、途上国でも食と農をその中に組み込みながら経済成長を求め続けている・・・

5章「日本における食と資本主義の歴史」より
・「日本にはコメを中心にした素晴らしい和食があったのに戦後の経済成長により西洋化、アメリカナイズされ、食料自給率の低下や食生活の乱れに・・・」というのが通説
→ところが米国の小麦や英国の砂糖が入ってきたのは19世紀半ばで世界商品となった時期
→明治期から政府・軍部・財界・大企業が食に関係してきた
・近代前の農民の糧飯(かてめし)は少量のコメに雑穀や野菜を混ぜた混ぜご飯が多かった
→当時大多数だった農民にとって、コメは年貢として収めるもので日常食ではなかった
→明治の産業革命以降に労働者や兵士のための新たな食料システムが形成された
・江戸時代に商品経済が発展していたので、明治になっても外国人の貿易を居留地に留め欧米資本の侵入を食い止めて、日本での資本蓄積を可能にした
→この実力と環境が19世紀のアジアで唯一、産業革命できた要因の一つ
→産業革命の資金(外貨)を稼がせるため、既存の大商人を「政商」にし支援・保護した
→政商は貿易を担い海外へ、領事館・銀行と三位一体でアジアにも進出(世界商品である小麦、砂糖、満州の大豆→日本版東インド会社)
→今も続く大手食品産業へ

・1914~1945
→第一次世界大戦の戦争特需→大豆油脂などが拡大
→その後の世界恐慌→昭和恐慌→製糖・製油(当時世界の4割)などは大手企業の寡占状態へ
→第二次世界大戦の戦争遂行→さらに製油・製粉・製糖は拡大し今も続く大手企業に
→敗戦から10年で高度経済成長(資本主義の黄金期)へ・・・

・通説的には「経済成長すれば食生活が変化し、肉や油や乳製品を求めるようになる」が、これは人間の本能なのか、消費者の嗜好の変化だけが理由なのか・・・
→1910~2010の純食料供給量の変化をよく見ると、戦後には小麦の供給量も増えているが、それよりも野菜、牛乳・乳製品、魚介類が急増している
→ご飯がパンに代わったというより、真っ白なご飯に野菜・魚介類のおかずを充実させた
→これが「和食」でイメージされる日本型食生活で戦後に確立されたもの
(農林水産省のすすめる
日本型食生活も昭和50年代(1975~)のバランスのとれた食事)
・戦後の飢餓脱出期(1945~1954)
→飢餓は財閥が移入していた食料の途絶、農村の担い手不足、帰国者の急増などから
→アメリカの食料援助(冷戦との関係、穀物商社・大手食品企業の思惑も)
・内食充実期(1955~1969)
→朝鮮戦争特需→産業・農業の復興→食料供給量の増加
→米国の農業機械・農薬・化学肥料による大量生産→過剰→市場拡大へ
→粉食(パンや麺類)、油食(マーガリンなど)の推奨
→スナック・加工食品の発展
→スーパー誕生などの流通革命、テレビによる新商品の宣伝・・・
→食品の大量生産・大量流通・大量消費時代の到来
→戦中・戦後の食生活を恥じる親世代は、娘に料理番組や料理学校で学ぶことを勧めた
→日本の伝統や農業とはかけ離れた料理を教わり家族のために作る
「内食」が充実
・外食発展期(1970~1979)
→屋台やハレの食事から、低価格・大量販売・多店舗展開の大量消費社会へ
→大阪万博1970への飲食店出店、外国企業への規制緩和(資本の自由化)がきっかけ
→ハンバーガー、ドーナツ、フライドチキン、ピザ、アイスクリーム・・・
→小麦粉・油・動物性食品・砂糖を使った外食が広まり需要が増加
・飽食・グルメ期(1980~1990)
→肥満、飽食の時代、総グルメ、バブル経済・・・
→1980年代からの新自由主義とグローバリズム
→1985年のプラザ合意
→食料の開発輸入と食品産業の海外進出→食市場のグローバル化の加速
・中食興隆期(1991~1999)
→1991年のバブル崩壊によりコンビニ弁当などの低価格志向へ
・戦後の食料需給の変化は食の洋風化という消費者の嗜好の変化だけではない
→戦前の財閥時代から近代化に関わってきた総合商社が
製油・製粉・製糖にも介入していた
→戦後の穀物・油糧種子の輸入から食品加工、外食、加工型畜産、流通・小売りまで各段階の食料システムの形成にも大きく関与している
→例えば日本ケンタッキーに投資した三菱商事は、エサとなる穀物の輸入から配合飼料の製造、養鶏、鶏肉処理産業、畜産物販売業まで一連の各段階に関与している
・戦前から引き継がれた大手食品企業や総合商社に支えられながら、輸入原料に依存した戦後の食料システムが構築され、食生活に影響してきた
→農業や食文化、消費者の嗜好を超えた、世界経済の中の政策決定と産業動向によるもの
→現在では、ここで成長した食品産業がグローバルに展開している

6章「中国のブタとグローバリゼーション」より
・戦後の大きな政府による「資本主義の黄金時代」の行き詰まり(1970年代頃から)
→新自由主義による小さな政府と規制の緩和、貿易の自由化へ
→企業の多国籍化、グローバル・サプライチェーン化→グローバル・バリューチェーン化
→農産物や食品の世界貿易量も急増、食料の生産から消費までの距離も離れた
・1970年代初めの三大ショック
→オイルショック→安い石油が前提の大量生産・大量消費による経済成長の行き詰まり
→ドルショック(ニクソンショック)→総資産に対する金融資産の膨張
→穀物価格の急騰→天候不順?「穀物の大強盗」?
・食と農のグローバル化
→途上国に対する構造調整計画(穀物輸入など)の押し付け
→日本ではプラザ合意と前川レポートによる食料輸入と開発輸入
→1986ガット・ウルグアイラウンドからの食料貿易の自由化・規制緩和

・「中国のブタが世界を動かす(柴田明夫著 毎日新聞社2014)」より
→中国の農業生産は1980年代半ばに過剰生産になるほど自給できるようになった
→その後に経済発展を目指し海外からの投資・規制緩和・付加価値の高い商品作物生産へ
→特に海外投資を受けた近代的大規模畜産システムの発展→エサ穀物の大量輸入へ
→世界一の大豆輸入国・豚肉生産国に(他の食料も輸入大国に)
(日本や台湾からの投資を受けたインスタントラーメン生産も世界一に)
・総合商社のグローバル戦略
→日本の食関係の企業は高齢化する日本市場では成長しない
→海外でも特に成長する中国やアジア諸国へ多国籍企業として進出させる
→それらの海外進出をリードしているのが総合商社
→すでに投資と商取引を融合させてるので総合商社というより総合投資会社
→北米と南米から小麦、大豆、トウモロコシなどの食材を輸出し、中国などに輸入する
→同時に中国などの加工食品産業や畜産業に投資して食材の需要を喚起する
→中国アジアで需要を増やし、北米南米で供給を増やして、日本の総合商社が成長する戦略
・日系企業のグローバル展開
→1980年代から海外進出へと方針転換してきたが、近年は「グローバルフードバリュー
チェーン戦略」と称し、産官学連携での
「Made WITH Japan」の推進へ
→「Made IN Japan」から「Made WITH Japan」へ切り替えて成長する戦略
→「和食」のユネスコ無形文化遺産への登録も「日本人の伝統的な食文化」をブランド化してグローバル展開していくための戦略の一環→食材は外国産でも構わない
→これは「食産業の海外展開」を後押しするものの、日本の農業や進出先での農民たちの生活、日本と進出先の人々の食生活にどのような影響を与えるか・・・
→人の健康と自然環境のための食と農が軽視され、企業のビジネスと経済成長が目的の、資本主義的食料システムの発展が目指されてはいないか・・・
・今後どのように持続可能な経済の仕組みをつくり
人の健康と自然環境に望ましい食と農の
システムを築いていくか考える必要がある

「おわりに」より
・資本主義のすべてを悪と決めるのではなくシステムの成り立ちとカラクリを理解する
・商品としての価値ではなく使用価値(有用性)を重視する社会に移行する(斎藤幸平)
・自分で食事を用意できるスキルを持つ→自己防衛や環境負荷を減らすためにも必要
・地域に根ざした食と農のシステム(表紙カバー)に→自分が食べるものが見えてくる
・「命か経済か」より「命のための経済」を取り戻すことが大切→経世済民

「あとがき」より
・自然と人のつながりで育てられた「食べもの」と「商品(食品)」との違いを実体験したことが食と資本主義の歴史を研究する今につながった
・食べものの世界には(じつは)ドロドロした政治経済の話が多い
→例えば大豆には伝統食・健康食のイメージより、ブラジルの森林火災やモザンビークの追い詰められた小農たちの血と涙の話が聞こえてくる
・資本主義が好きでも嫌いでも、そのO.Sを理解しなければ食の問題を見誤ると思う
・命を食すことを教えてくれた鳥たち、一番多くを教えてくれた亡き夫に感謝を込めて・・・

冒頭にも書きましたが、食から経済や歴史をジュニアにも学んでもらおうとする本で、とてもわかりやすく、参考文献や参考サイトも数多く紹介されてました
わたくしも何冊か図書館に予約しましたので、いずれまた・・・
それにしても食の変化というのは嗜好の変化というより、資本主義経済の世界戦略の変化に、大きく影響されているという事実は、あらためて認識する必要がありますね
まあ、わたくしの「粉もん」嗜好は絶対に外せないけど、最近は小麦の価格が・・・

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こちらのサイトではひさしぶりの記事更新・・・
ドーナツ経済学が世界を救う~人類と地球のためのパラダイムシフト~
のご紹介であります
P8231146
ケイト・ラワース著 

裏表紙カバー裏にあった著者略歴
P8231148
著者はザンジバルの農村や国連での実務経験のある経済学者


訳者、発行所、発行年月日については奥付のとおり
P8231149
翻訳版は2018年発行ですが原著は2017年発行で数値などは概ね2015年現在

例によって目次のみのご紹介
P8231150
付録等を含め400頁ほどもあるハードカバーで、とても全ては読み切れずメモしたのは目次にある「
経済学者になりたいのは誰か?」(序章)のみ・・・

とりあえず表紙カバー裏にあった惹句であります
P8231147
以下、序章からの部分的な読後メモ

・この60年間の世界の明るい面
→世界の平均寿命は1950年の48歳から71歳へ、
→1990年以降でみても1日1.9ドル未満で暮らす極度の貧困層は半分に、
→安全な水やトイレを初めて利用できるようになった人は20億人を超える・・・

・ただし、そのほかの面では
→9人に1人は充分な食べ物を得ておらず、2015年で600万人の5歳未満が死亡、
その半数以上は下痢やマラリアなど簡単に治療できる病気が原因、
→1日3ドル未満で暮らす人は20億人、仕事のない若者は7000万人以上、
→2015年で富裕層の上位1%の富が、残り99%の富を上回っている
→地球破壊の加速も人口増加も経済規模の拡大も深刻
→1日の消費額が10~100ドルの中流層が一気に拡大し消費財の需要も急増する

・ケインズもハイエクも経済学が支配する世界を懸念していたが広まるばかり

・経済学をとる学生は世界中で同じ米国標準基礎講座「経済学101」を学ぶ
→それは1950年の教科書で1850年の経済理論にもとづいている
→ケインズとハイエクは対立していたが、どちらも不備のある仮説を受け継いだ
→同じことが盲点になり、考え方のちがいに気づけなかった
→仮説の誤りを明らかにし、見落とされた部分に光を当て経済学を見直すこと

・人類の長期的な目標を実現できる経済思考を模索したらドーナツのような図ができた
→同心円状の二本の大小の輪
→ドーナツの範囲が人間にとって安全で公正な範囲
→内側は飢餓や文盲など人類の危険な窮乏(その境界が社会的な土台)
→外側は気候変動や生物多様性の喪失など危険な地球環境の悪化(その境界が環境的な上限)

・21世紀の経済学者の七つの思考法
1目標を変える(GDP⇒ドーナツへ)
→経済学は70年以上、GDPの前進を指標とすることに固執してきた
→所得や富の不平等も、生活環境の破壊も、その固執の中で黙認されてきた
→惑星の限りある資源の範囲内で、すべての人が人間的な生活を営めるようにするという目標
→ドーナツの安全で公正な範囲に、すべての人が収まる経済
→ローカルでもグローバルでも

2全体を見る(自己完結した社会
み込み型社会へ)
主流派の経済学は、きわめて限定的なフロー循環図のみ
(サミュエルソン1948年)
その視野の狭さを逆に利用して、新自由主義的な主張を展開している
経済は社会や自然の中にあるもので太陽からエネルギーを得ている
新しい全体像から市場の力も家計の役割もコモンズの創造性も新しい視点へ

3人間性を育む(合理的経済人
社会的適応人へ)
20世紀の経済学の中心にあるのは「合理的な経済人」
利己的で、孤独で、計算高く、好みが一定で、自然の征服者として振る舞う
人間は本来はるかに豊かで、社会的で頼り合って、おおざっぱで価値観が変わりやすく、生命の世界に依存している
ドーナツの範囲にすべての人を入れる目標の実現性を高める人間性を育むことは可能

4システムに精通する(
機械的均衡ダイナミックな複雑さへ)
市場の需要と供給が交差した曲線図は19世紀の誤った力学的平衡の喩えにもとづくもの
シンプルなフィードバック・ループで表せるシステム思考図で金融市場の急変動、経済格差をもたらす構造、気候変動の臨界点まで、様々な問題についての新しい洞察が生まれる

5分配を設計する(再び成長率は上向く
設計による分配へ)
「不平等ははじめ拡大するが縮小に転じ最終的に成長により解消される」(クズネック曲線)
不平等は経済に必然的に伴うものではなく設計の失敗によることが明らかになった
→価値を広く分配できる方法はたくさんあり、その一つがフローのネットワーク
単なる所得の再分配ではなく富の再分配
土地・企業・技術・知識を支配する力から生ずる富の再分配と、
お金を生み出す力の再分配の方法

6環境を創造する(成長で再びきれいになる
設計による環境再生へ)
20世紀の経済理論では「きれいな環境」は贅沢品で裕福な社会だけに許されるとされてきた
(いずれ成長により解消されるもの→クズネック曲線)
そんな法則はなく、環境破壊は破壊的な産業設計の結果
直線型ではなく循環型の経済で、生命循環のプロセスを人類に完全復帰させられるよう、環境再生的な設計を生み出せる経済思考

7成長にこだわらない(成長依存
⇒成長にこだわらないへ)
主流派の経済学では「終わりのない経済成長」が不可欠
自然界に永遠に成長し続けるものはない
その自然に逆らおうとする試みが高所得・低成長の国々で行われている
GDP成長を経済目標から形だけ外すことはできても成長依存を克服するのは易しくない
現在の経済は、繁栄してもしなくても成長を必要としている
必要なのは、成長してもしなくても繁栄をもたらす経済
金銭面でも政治面でも社会面でも成長依存している今の経済を、
成長してもしなくても動じないものに変える発想の転換

・これらの思考法のはじめの一歩を踏み出したばかり、みなさんと未踏の世界へ・・・

とまあ、序章からの部分的なメモで、これだけだと夢物語のようですが、各章では具体的な手法も詳細に書かれてて、実現も可能ではと思いました。
興味を持たれた方は是非本書を熟読いただきたいのですが、序章を読む限り経済学には門外漢のわたくしにも分かりやすく、訳文も平易でした。

ま、せっかくなので・・・
訳者あとがき(日本でも出版する価値があると判断した三つの理由)からの部分メモも・・・
1ドーナツ経済の図
図には思考を左右する力がある
これまでの図は右肩上がりの成長曲線や需要と供給が交差する曲線だった
2011年にドーナツ図が考案発表されて以来、国連など様々な場所で紹介、利用されてきた
2楽観的で大胆で説得力のある経済のビジョン
目標は貧困の根絶と環境保全で明確
地球環境を守りながら人類全員を幸せにする・・・と聞くと絵空事のように感じるが、本書を読めば、そういう目標こそ理にかなっていることが見えてくる
→「生命の網の中での人類の繁栄」
3現在の世界が抱える問題の全体像を提示している
主流派の経済学の視野の狭さ
正しい対策のためには問題の全体を知ることが欠かせない
すべての問題は繋がっており、順番に取り組むのではなく同時に取り組むべきと説く
ある問題に変化があれば、別の問題に必ず影響が及ぶから

わたしたちはふだん経済学の影響をほとんど意識せずに暮らしているが、著者によれば、経済は経済学で設計されており、知らないうちに経済学の発想や言葉で考えている
したがって経済学しだいで世界は大きく変わる
地球の未来は、新しい経済学を築けるかどうかにかかっている・・・

わたくしの苦手な経済学も地球には大事な分野なんですね

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とーとつですが・・・
BCTJカレンダー2022であります。
PB190660 (1)
そう、Borneo Conservation Trust Japan 認定NPO法人・ボルネオ保全トラスト・ジャパンの2022写真カレンダーで、制作費を除いた売り上げが熱帯雨林の保全活動に使われます。

もちろん写真作品なので、中身までは紹介できませんが・・・
PB190661
ボルネオ島サラワク州キナバタンガン川流域を中心にした素晴らしい写真がいっぱいでした!!!

bctjapanで検索、入会せずにカレンダーだけを購入することもできます。
PB190662
ええ、わたくしはどどんと2部も・・・
だって送料が同じだったんだもの・・・


BCTJの案内パンフレットも同封されてました。
PB190663


PB190664
エヌ・ジクスとしての活動は現在休眠してますが、キナバタンガン川の流域は再訪したいなあ・・・


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