さる8月4日から8月10日までの一週間、中国西北部・内蒙古自治区での植林ボランティアをメインにしたツアーに参加してきました。
まあ、植林ツアーとはいっても実際の植林作業は半日ほど、あとは中国北西部の自然や文化を知る旅で、わたくしにとっては、しょくりんツアーとゆーより、しょくよくツアー、ま、いつもどおり食べ物が中心のご紹介になりそうですが・・・
さくさくっと、旅のご報告をさせていただきます・・・
ちなみに今回のツアーは沙漠地帯が多く、カメラはペンタックス(リコーイメージング)のWG-2GPSにしました。なにせ12m防水で微粒子状の砂にも強いはず、しかも小型軽量でGPS付きですから、まさにうってつけでした。
で、初日の4日は11:30に関西空港に集合、13:50発の北京行きに乗るので、それまでけっこう時間があります。離陸して安定飛行に入れば、すぐに機内食が出るのでしょうが、まあ、ちょうど昼時だし・・・
せっかくなので・・・
大阪ではすっかりメジャーになったラーメン店、神座(かむくら)の餃子・ラーメンセットおにぎり付きを・・・いやあ、関西空港にまで支店を出しているとは知りませんでした。野菜たっぷりであっさりしてて、しかもコクとうまみのある独特のスープ、けっこうクセになる味なのであります。
で、出国手続きや手荷物検査も(奇跡的に)すんなりと通過し、ツアー中に消費する酒と煙草を関空の免税店で購入(昨年のモンゴルツアーでは、さらにお安い韓国・仁川空港で買うつもりで、結局お目当て商品がなかったので)、いそいそと搭乗口に向かったのですが、北京からの到着予定が一時間以上も遅れているとかで・・・
ま、せっかくなので・・・
とーぶん飲めない、日本のよく冷えた生ビールなんぞを・・・ひっく
結局、一時間半ほど遅れて搭乗便が到着・・・
乗るのは、このぴかぴかの日航機・・・
ではなく、
やや薄汚れた、こちらの中華航空機であります。
やはりこちらのほうがお安いんでしょうか・・・
で、離陸して安定飛行に入ると、さっそく機内食が・・・
ま、せっかくなので・・・
いやあ、中華航空の機内食もなかなかのもの、燕京ビール2本で完食であります。
で、大阪から北京までは3時間ちょっとのフライトなのですが、北京時間は日本時間より一時間遅れるので本来の北京到着は16:00の予定、それから空港内レストランで豪華北京料理の夕食宴会後、のんびりと19:15発の内モンゴル自治区・包頭(バォトゥ)行きに搭乗予定だったのですが、なにせ関空出発が二時間ほど遅れたもので、急きょ夕食大宴会はキャンセル・・・
かわりに現地旅行社が手配してくれたマクドナルドの袋を片手に、いそいそと搭乗口へ・・・
ま、せっかくなので・・・
ビールだけは搭乗直前に自分で手配して・・・
箱の中味はやや中華味のチキンサンドでしたが、やはりマクド味、年配の隊員には食べない方もおられ、おかげでわたくしの標準一食分は、なんとかいただくことができました。げふっ
北京から包頭までは一時間半弱のフライトですが、やはり出発がやや遅れ(巨大な新北京空港ですが、それでも超過密ダイヤのようで、滑走路前には旅客機の渋滞が発生してました。やはり中国パワーは凄い・・・)結局、包頭空港に着いたのは夜の9時過ぎでした。
で、息つく間もなく空港から貸切バスに乗り継ぎ・・・
六年前に較べて、一段と明るくきれいになった包頭市街地を抜けて・・・
やがて黄河を渡り、二時間ほど黄土高原を突っ走ると、クブチ沙漠の緑化基地、恩格貝(エンゲイベイ)に到着。
クブチ沙漠は面積が四国ほどの、中国では6番目の大きさの沙漠ですが、もとは草原と森林だったところ、それが近年の人類の営み(農業や鉄鋼生産のための取水、過放牧など)により沙漠化が進んでいたところ、ここに90年代初頭から日本人ボランティアが木を植えて、沙漠化の拡大を阻止しようとしているのであります。
で、90年代にはなかった立派な宿舎(恩格貝賓館)のロビーに入ります・・・
(現在では、沙漠に森ができたということで、一大観光地になっているのであります。)
北京時間では夜の11時過ぎですが、東京時間ではすでに日付が変わってます・・・が、
日本からの長期ボランティアのみなさんが、わざわざお迎えして下さいました。
で、
みんなで寄せ書きする記念フラッグの手渡しを受ける今回ツアーのY隊長・・・
さらにもちろん・・・
恒例の蒙古族の歓迎の儀式で白酒パイチュウ(コーリャンの蒸留酒で50度以上!!!)を
一気に飲み干すY隊長・・・
前回、6年前にわたくしが参加した時は、深夜の到着ということで翌日の夕食時に延期してもらったのですが、やはり本来は到着時の儀式、この後、全員に次々と杯が回され、結局自室に入ったのは午前一時前、手早くシャワーを浴びて(奇跡的に生ぬるいお湯が使えました!!!)、
ま、せっかくなので・・・
宿舎内の売店が無くなってたので、かなり離れた屋外の売店まで買いに走った冷たいビールと関空の免税店で買い求めたおなじみのシーバスリーガル500mlペットなんぞを、やはりわたくしの旅の常備品である柿ピーでですね・・・ひっく
それにしても、このビールのキャッチフレーズ・・・とゆーのか、なんとゆーのか・・
なんとなく凄そう・・・
と、結局、ツアー初日は昼過ぎから午前三時過ぎまで、断片的にずっと飲んで食べてたのでありますね。わははは
(以下、二日酔いの次号に続きます。)
カテゴリ: 17次隊・中国西北部
17次隊・中国西北部ツアー2/10
前回記事からの続きであります。
8月4日の夜遅くに中国・内モンゴル自治区、クブチ沙漠の緑化基地である恩格貝に到着した御一行、さっそく翌日の早朝から植林活動であります。
ま、その前に・・・
とりあえずは腹ごしらえ・・・
この後、炒め物なんぞも出てきましたが、ま、朝食は比較的シンプルでした・・・
こちらが宿舎の恩格貝賓館
6年前は貸切バスが殆どでしたが、今回は高級乗用車が多かったですねえ・・・
それに玄関の電光掲示板がなくなって、二階の各部屋にはエアコンが付いてるな・・・
で、この日の玄関横には・・・
そう、なんとこのクブチ沙漠で・・・
「魅力恩格貝杯」争奪の沙漠ラリーが開催されていたのであります。
こちらがスペシャルステージ図で、画像をクリックして拡大していただくとわかりますが、中央の赤い星印が宿舎の恩格貝賓館、下半分が植林地で、さすがにコースからは外れているようです・・・
この航空写真の撮影時期は不明ですが、90年代初頭までは、すべてがこのスペシャルステージのような沙漠でした。この画像からも、道路沿いに植林が進んでいる様子がおわかりになると思います・・・
んで、
玄関前で記念撮影の後は・・・
本日の植林地に向かって、バスで出発であります。
90年代には舗装路などはなく周辺の緑もまばらでしたが、今ではこんなに育ってます。
こちらは90年代半ばに華道・草月流ボランティアのみなさんが植えた「草月の森」
植えてから20年近く経って、今や鬱蒼とした森になってますが、密植しているため間伐の必要があり、さらに木材として利用するためには剪定も必要なんですが、その費用や手間が大変で手つかずのままです。このままではいずれ森自体が全滅してしまいますが、最近になって、政府が樹木の伐採を一切禁止したとか・・・
まあ、伐採をいったん認めてしまうと、あちこちで勝手に切られてしまう恐れもあるので難しいところですが、専門家による育林のための間伐や剪定は厳しいチェック手続きのうえで認めるなど、しっかりした行政によるルール運用ができればいいのですが・・・
ちなみにポプラは成長が早く、日本のような湿潤な気候では建築材には向きませんが、乾燥した中国・西北部では、きちんと剪定をすれば、充分建築材として使えるそうです。
バスで15分ほどで植林地付近に到着、舗装路を外れて徒歩で現場に向かいます。
中央オレンジ色の給水車から、延々とホースを引っ張って・・・
ホースが届かないところはバケツリレーで・・・
ここに、がしがしと穴を掘って、横たわっているポプラの苗木を植えます。
本日の目標は17人で合計150本・・・
現地の長期ボランティアが、あらかじめ看板を立ててくれてました。
ちなみに、自分たちの手で植えるのは、この日の午前中の150本だけですが、今回は合計1000本の植林、残りは長期ボランティアと現地の人たちに植えてもらうのであります。
で、隣には・・・
2010年に、うちの奥様が参加した第14次隊の植林地があり、
奥様のプレートの付いたポプラも生意気に残ってました。
さらにその隣には・・・
2004年・第7次隊の植林地があり、一部はけっこう大きくなってました。
ええ、わたくしのプレートの付いたポプラも・・・
他のポプラに比べてかなり成長は遅いですが、なんとか育ってくれてました。
8年も経つと僅かな地形の差や風による砂の移動などで著しい個体差が出てました。
で、長期ボランティアの方から、穴の掘り方や植え方を教えていただきます。
今回は、日本製スコップの長さプラスこぶし二つ分ぐらいの深い穴をひざまずいて掘り、
そこに2mほどに成長した(蒸散を防ぐために)枝葉を落とした苗木を埋めて位置を決め、
こんな形にすり鉢状に埋め戻して、その後、給水車のホースでたっぷりと水をやります。
このように土手にしておけば雨水を溜めやすいのですが少しでも傾斜がある場合には、
逆に高い方から雨水が流れ込むように形状を変えるなど、それなりの工夫が必要で、
それがまた、お砂遊びみたいで楽しいのであります。
この日は明け方に少し雨が降ったため、表面は乾いているものの砂が湿っているのがおわかりでしょうか。通常であれば表面から50cm程度は乾いており、これが次々と崩れて、どうしても大きな穴になるのですが、今回はすぐに湿った層になり、小さくて深い穴を掘ることができました。
次々と元気に穴を掘り進めていく参加者では最年少のSくん・・・
ひとつ穴を掘っては記念撮影と称し、たっぷり休憩をとる98kくん・・・
この日は明け方の雨のせいでめずらしく湿気があり汗まみれになりました。
早くビールが飲みたいぞ・・・がるるる・・・
ちなみに、わたくしが「手に汗を握って」いたスコップには・・・
その汗の塩分を求めてやってきた?チョウチョさんがいっぱい・・・あははは
ともかく、ようやく予定の本数を植えることができました。ひいひい
ちなみにその奥は見渡す限りの沙漠、まさに植林の最前線なのであります。
何度も書きましたが、ここは人類の営みにより沙漠化したところ、もともとは草原と森林だったのであります。人間が100年で沙漠化したのだから100年かけて緑に戻し、農業もできるようにして自然と共存していく、というのが故遠山正瑛翁の考えで、わたくしもその考えに共感、ちまちまとお手伝いをしている次第です。
で、植林後には成長した木の剪定方法の説明があったのですが、時間の関係上、剪定作業まではできずに・・・
とーとつに昼食であります。
以前は道路事情も悪く、植林地までボンカレーなんぞを運んでもらってたのですが、
今は宿舎に戻っての豪華昼食。
ま、せっかくなので・・・
いやあ、一仕事したあとのビールのうまいこと・・・
って、わたくしあまり仕事してませんが・・・
今回は高齢者や初めての参加者も多かったため、午後からは長期ボランティアによる沙漠講座が2階の会議室であったのですが・・・
立派な会議室ができてました・・・なんでも最近、ここでミスコンも行われたとか・・・
その時に来たかったなあ・・・じゅるじゅる
(と、さらに次回に続きます。)
17次隊・中国西北部ツアー3/10
前回、前々回記事からの続きであります。
中国・内モンゴル自治区にあるクブチ沙漠の緑化基地、恩格貝で早朝から植林したわたくし、昼食後には宿舎二階の豪華な会議室で長期滞在ボランティアによる「沙漠講座」を一時間ほど拝聴しました。
遠山先生がお元気な頃は、夕食後に毎晩、ご本人による沙漠講座を拝聴してましたが、当時はオンボロ宿舎のオンボロ集会室で、ご本人はずっと咥え煙草で・・・まさに隔世の感ですねえ。
もちろん、若い長期ボランティアの方にも、その遺志はしっかりと引き継がれているようでしたが。
ただ我が隊の代表によると、遠山先生はもともと農業がご専門で、昔はスタッフの中に林業の専門家もいたが今はいなくなったので樹林の循環と利用がこれからの課題とのこと。たしかにこの後に視察した付近地でも、砂が固定した一帯での農業や畜産は盛んになってるようでしたが樹林の方はどちらかというと育てっぱなし、森のサイクルやその利用までは考えられていないようで、このままではやがて一帯が全滅するかも知れないそうで、まだまだ課題は多いようです。
さて、沙漠講座の後は、周辺のウォッチングであります。
こちらが中国政府によって建てられた故遠山正瑛翁の御廟と立像。
中国人観光客も多かったです。
「この地に骨を埋めてほしい。」との遺言どおり、お骨の一部が祀られています。
こんな、ご本人自筆の碑も完成してました。
ちなみに王明海氏は遠山先生と一緒に恩格貝の緑化事業をはじめた中国の企業家で、
今は恩格貝での温室栽培に専念されているとか・・・
ま、せっかくなので、
はるか植林地を見はるかす遠山先生と・・・
で、今回は沙漠ウォッチングとゆーより、砂が固定化された一帯の農業ウォッチング・・・
大規模なビニールハウス群があちこちに作られています。
一棟に家が一軒、それぞれに住居付きなんですね・・・
中の様子。
こちらは果物や野菜でしたが、水を循環させたクロレラ栽培のハウスも多いとか・・・
そりゃあ日照量は凄いでしょうね・・・
こちらは牧草地。
向こう側に我々が植林した林が拡がっているのがおわかりでしょうか・・・
もとはこのような感じの草原と森林がクブチ全体に拡がっていたことでしょう。
(木や草の種類はもっと多かったでしょうが。)
それがこの100年ほどの人の営みにより完全な砂沙漠になり、今また人の手で、緑が蘇えっているのであります。
で、周辺の様子を観察して、宿舎に戻ると・・・
夕食であります。
いやあ、ほんとに食材が豊かになりました。
90年代は一皿目がヒツジとタマネギの炒め物、二皿目がヒツジとジャガイモの炒め物、三皿目がヒツジとピーマンの炒め物・・・質の悪い獣脂で炒めた同じ味付けのヒツジ料理のみで、ご飯もビールグラスも砂だらけだったのですが、今回は麺類なんぞも次々と出てきました。
で、夕食後は恩格貝ともお別れ、バスで包頭駅を目指します。
玄関まで見送りに来てくれたのは・・・
じょしだいせーのおねいさんたち!!!
そう、彼女たちも大学のボランティアグループで植林していたのでありますね・・・
「ううっ、バスに乗るのは嫌じゃあ・・・こっちのグループに入れてくれい・・・」
と、暴れる98kさんを押し込んだバスは、非情にも恩格貝を離れていきます。
お見送りしてくれた長期ボランティアの方たち・・・
いやあ、お世話になりました・・・じょしだいせーたちをよろしくねっ!
やがて・・・
周辺がすっかり緑になった、十数年前の洪水による堰き止め湖にも・・
やはりすっかり緑になった、もとの砂丘にも陽は沈み・・・
黄河を渡る頃にはすっかり暗くなって・・・
夜の包頭駅に到着したのであります。
ここから西安まで南へ約13時間、ほぼ直線で1000km以上の鉄道旅が始まります・・・
(以下、次号に続きます。)
17次隊・中国西北部ツアー4/10
中国・植林ツアー報告の四回目であります。
さて、内モンゴル自治区のクブチ沙漠で植林を終え(夕食もたっぷり食べてから)、バスで包頭駅に着きました。わたくしが包頭を訪れたのは6年ぶりですが、さらにそれ以前、北京行きなどの列車に乗った頃の包頭駅は古くて殺風景な汚い駅だったのですが、今や見事な駅ビルに変身してました。(前回画像参照)
包頭市街も、以前は製鉄の街で道路の舗装はガタガタ、あちこちに水たまりがあって埃まみれ、夜は真っ暗になる街でしたが、今は世界中からレアメタルのバイヤーが押し寄せる国際都市になり、幹線道路はライトアップされ、高級ホテルといえばロシア式の「青山賓館」だけだったのが、あちこちに近代的な高層ホテルが建ち並び、街のネオンサインがきらめいてまさに不夜城・・・そういえば先週の新聞に、中国がレアメタルの国際取引所を包頭市に設立するとの記事が載ってましたね。
90年代に隊で、緑化を所管する包頭市の建設局を表敬訪問した際には、副市長や建設局長などのお歴々がこぞって歓待してくれたのですが、今ならよほどの要人でもない限りハナもひっかけてくれないかも・・・
で、現地ガイドのおねいさんが駅員のおねいさんと交渉し、かなり早めに一等客専用VIP待合室に入れることになり、ここで二時間以上、列車を待つことになったのですが・・・(時間のかかるパスポートなどのチェックを、改札前に受けておかないと乗車できないそうです。)
この部屋・・・
まったく窓がないのにエアコンが切れててとても蒸し暑く、
むしろ駅前の路上のほうが涼しかったです・・・
しかも前面はガラス張りで向こうは一般待合室・・・つまりそちら側から丸見え・・・
この画像は改札が始まって並んでる時ですが、それまでは前の通路にも人がいっぱい、
通路に新聞紙などを敷いてみんながごろ寝してるので、足の踏み場もない状況でした。
こっちを見ながら食事を作る家族があったりで、その頃の画像は撮れませんでした・・・
そーいや昔の大阪駅でスキーやでかいキスリングを持って信州行の急行「ちくま」を待ってた頃と似てましたねえ・・・(古)
一般客は若い女性が多かったので現地ガイドに訊けば、西安への出稼ぎが殆どでしょう、とのこと、夏の観光シーズンで賑わう西安のほうが包頭より、まだまだサービス関係とかの仕事があるんでしょうね・・・
みなさん荷物を殆ど持ってませんでしたが社員寮完備の仕事が多いそうで、まさに身体ひとつでの出稼ぎ、ただし社員寮とはいっても八畳で16人が標準だそうで、つまり二段ベッドがぎっしりと詰まっているだけの部屋だそうです。
やはり貧富の差は大きいようですね・・・
わたくしは、ま、せっかくなので・・・
寝転がっている人たちの間をすり抜けて、売店でビールを買ってきました・・・
(つまみの激辛酢蟹は別の隊員が買ってきたもので、ほんとに辛かった・・・)
んで、ローリングボストンをテーブルにしてと・・・
売店に行ったついでに一般用のトイレにも行ったのですが、さすがに新しい駅ビルだからでしょうか、掃除もされてて、日本の駅の公衆トイレとさほど変わらない、比較的きれいなトイレ・・・だったのですが・・・
やはり個室にはドアがなかった・・・
男性小用の反対側には、ずらっと個室が並んでいるのですが・・・すべてにドアがない・・・
壊れたり外したりしたのではなく、はじめからないのでありますね、これが・・・
で、そちらで用を足している人と、ヘタすると視線が合うんですよね、これが・・・
女性用はとーぜん両側に個室が並んでおり、やはりドアはなかったそうで一緒に行った女性隊員はさすがに用を足せずに、そのまま出てきたとのこと・・・
やはり民族性のちがいなんでしょうね・・・
ちなみに別の場所にあって、早い時間に閉鎖されてしまったVIP専用トイレの個室にはいちおードアがありましたが、すべてのカギやヒンジが壊れてて閉めることはできませんでした・・・
で、日付が変わる頃、ようやくVIP専用改札から素敵な駅員さんの案内でホームへ・・・
包頭からひとつ東の大都市、呼和浩特(フフホト)始発の西安行き快速夜行列車で、われわれはこの列車の軟座(一等)個室寝台車に乗車します。
包頭から西安に行くには、今までは銀川や蘭州を廻って行くルートだけだったのですが、最近まっすぐに南下する新線ができたそうで、かなり時間も短縮されたようですが、それでも約1000km、約13時間の旅であります。
ちなみに今回のように途中駅から乗車する場合は、始発駅から添乗員などが乗って見張っておかないとたちまち占拠されてしまう、とゆーのは、中国で鉄道を利用する度に聞いていた話なのですが、今回は要員が手配できなかったのか、それともひとつ手前が始発なのでついつい油断したのか添乗員が乗っておらず、案の定、わたくしたちの四人用個室も家族連れに占拠されてました。
いかにもわたしたちは正当に乗車していた、といった態度でしたが、まあ最後は気持ちよく退去してくれ・・・たのはいいのですが、寝台のシーツや枕はすでにぐしゃぐしゃ、ま、家族連れだから仕方ないか・・・
車掌にシーツなどを替えるよう苦情をいっても無駄で、せいぜい追い出してくれるだけだそうです。そもそも始発駅から個室に乗っていない方が悪い、指定料金も始発駅からなんだから、とゆーことらしいですね。ま、フフホトから包頭まで外からカギを閉めとけばいいだけなのですが、空室を立ち客が利用するのは合理的といえば合理的、やはり感覚のちがいですね。
そういえばVIP待合室でもカギが開いてたので、何度も一般客が入ってきて中には居座るカップルもおり、現地ガイドが「一等乗車券を見せろ」といっても「あなたにその権利はない」といわれて駅員を呼んだりしてました。
さらにちなみに、最近は旅行業者でも指定席の一括確保は不可になり、親戚の名前を全部使ったとのこと、ま、こちらは公平性もいくらかは考慮されるようになった、とゆーことなのでしょうが、軍や政府関係者により突然指定席を取り消されることは今でも多いらしく、中国の鉄道網は、まだまだ軍や政府関係が最優先、まあ軍事施設そのものなんでしょうね・・・
で、こちらが一等寝台の四人用コンパートメント・・・
今回の旅ではわたくしは若手の部類、とーぜん上のベッドを使いましたが、さすがにゆったりしてました。以前、硬座(二等)寝台に乗った時には三段ベッドで長さは充分なのですが、最上段は高さが50cmもなく、しかも内張り天井がなくて、潜り込んで横たわれば鋼鉄製の錆びた屋根に手が届きました。そこには文庫本サイズの手動開閉式の換気ハッチがあり、唯一、息苦しさを紛らわせてくれたものでしたが・・・
で、この夜の発車時刻は午前1時過ぎ、植林作業の疲れもあったため・・・
荷物台に置いたシーバスリーガルを柿ピーでちびちびやってたのですが、
さすがに午前2時前には就寝しました。
さて、翌朝の車窓風景であります。
画像を拡大していただくとわかりますが、黄土高原の典型的な風景であります。
砂の積もった地層の断面のあちこちに横穴が穿たれていますが、昔はここを住居にしていたそうで、夏は涼しく冬は暖かく、今では農産物の倉庫などに使われているそうであります。
で、予約の時間に食堂車に行き・・・
ほとんどが一般車両からあふれた人たちでしたが、その席に予約客が来るまでは特に追い出さないようでした。
で、新線の車窓を眺めて待っていると・・・
朝食であります。
不思議な組み合わせですが、小豆粥、ミルクティー、漬物2種、ボイルドエッグに饅頭に中華ハムといった、きわめてヘルシーでシンプルな朝食でした。
やがて、毛沢東の「長征」の最終目的地で、中国革命の聖地となった延安市に到着。
もちろん、紅色革命の聖地としての観光客も多いようですが・・・
「黄土(高原)風情も感受してねっ!」とゆーキャッチコピーもありますね・・・
風景はまったく変わらないので延安→西安間の鉄ヲタ向け画像「世界の車窓から・・・」
高速列車「和階号」用の機関車???
こちらは保線作業車でしょうか・・・でもエアコンみたいなのやカーテンも付いてるし・・・
ま、よくわかりませんが・・・新線だけあって線路やホームは真新しいです・・・
とかいいつつ、鉄道の旅はけっこう、のんびりゆったり過ごせるので・・・
(ま、硬座のほうは満員で、のんびりゆったりどころではないでしょうが・・・)
こんなところに行ったり・・・まだ残っててよかった・・・
車内販売でこんなのや・・・
こんなの買って飲んだり・・・水分補給はまめにしないとね・・・
とかしているうちに、今度は昼食のお時間であります。
昼の食堂車は人民軍・夏用制服のおねいさんやおにいさんたちでいっぱいでした。
士官学校とかの生徒さんでしょうか、若いおねいさんが多かったです。
やはりこちらも軍優先なのか・・・
各自が金属製飯盒を使っているのがおわかりでしょうか・・・
このあたりは軍隊らしいですね・・・
昼食の内容も、こちらのわれわれのものとは異なってました・・・
で、昼食が終わってしばらくすると、いよいよ列車は・・・
現中国・西部最大の都市であり、かつてはオリエント世界の中心だった長安の都・・・
そう、西安市に到着したのであります。ふう、やっと着いたぞ・・・
(以下、次号に続きます。)
17次隊・中国西北部ツアー5/10
中国・植林ツアー報告の5回目であります。
包頭から夜行列車で西安に着いたのは翌日の午後二時前、一番暑い時間帯でした。
平日で暑い中にもかかわらず、駅前は乗降客でいっぱいであります。
ここから隊員の一人が、同じ趣味の地元団体に招待されてて別行動となり、残りはいったんホテルに向かいます。で、駅前で残りの隊員を待ってたのは、いかにも陽気で洗練された都会人、
とゆー感じの西安の現地ガイドさん、
「みなさん、西安駅は歴史のあるたいへん古い駅ですね、んで、駅前も歴史のあるたいへん古い駅前ですね、とゆーことで駅前には観光バスの駐車スペースがありませんね。わはは・・・
とゆーことで暑いですが自分で荷物を持ってバスまで歩いてね。わははは」
ひいひいいいながら10分ほど歩き、ようやくエアコンの効いたバスに辿りついて、中で説明を受けます。
「みなさん暑かったですかぁ、今日の最高気温は32度、昨日は35度でしたから、とても涼しい日ですね・・・あはは
ちなみに西安市では、どんなに暑い日でも気温が39.9度以上になることは決してありませんね。気温が40度になると全ての仕事は休み、という決まりがあり、労働者も企業も休むと収入が減りますから、公式には決して39.9度以上にはならないのでありますね。でも実際にはもう何回も40度を超えてますね。あははは」
と、なかなかお茶目な方でもありました。盆地なので夏はめっちゃ暑くなるそうです・・・
で、バスはとりあえず西安の中心街にあるホテルへ直行しました・・・
さすが800万都市の中心部にある新しいホテル、今回の宿舎の中では最も立派でした。
で、わたくしの泊る部屋
奥がツインのベッドルームで、リビングルームと両方にテレビやライティングデスク、ネット端子などがあり、見栄えだけでなく、なによりふつーに無色透明なお湯が出たり家具や内装の作りつけにガタや欠陥がなかったりと、清潔さを含め、ともかく基本性能が日本のホテルと同じで、どれもが「まともに」機能してました。
ちなみに、わたくしの中国での経験からは、今までに一度もなかったことであります。
で、熱いシャワーを浴び、お昼寝したりしてくつろいで、夕方になってから市内観光へ・・・
そう、昼間はとても暑いので夕方から活動するのでありますね。
乾燥してるので日が少し陰ると、けっこう涼しくなりました。
まずは旧市街を囲む城壁にある西門(安定門)へ・・・
こちらは城壁の西側なので巨大な鐘楼があり・・・
城壁内にある旧市街の東側には・・・
巨大な鼓楼があるとゆー、まさに由緒正しき「都」のオリジナル都市なんですね。
建物の中は、現在は美術工芸品などの土産物屋になっているのですが・・・
中二階にある古いガンポート(銃眼)から古代シルクロードが眺められます・・・
で、さっそく覗いてみると・・・
まさにここがシルクロードの東の起点。ちょうど向こうから西日が差してますね・・・
昔はここからテヘラン、イスタンブールなどを経てローマまで続いていたのであります。
まあ、古代シルクロードのわりには、ずっと高層ビルが建ち並んでますが・・・
城壁の上はジョギングやサイクリングのコースになってて、レンタサイクルもありました。
走っているのは18年前に来て城壁一周14kmマラソンを夫婦で完走した某隊員・・・
画像を撮ってるのは14kmどころか城壁を登るのにも息を切らしている某隊員・・・ひいひい
で、西門を後にして、平城京などのモデルとなった朱雀門を抜け・・・
こちらは後世に改築されたものですが、それぞれ四方の門の名前は同じまま・・・
ペルシャ・カーペットの製造直売所へ着きました・・・
ペルシャ・カーペットとはいっても、ペルシャを経由してヨーロッパに伝わったもので、
シルクカーペットはここ長安が本場、まさに東からの「絹の道」の起点ですね・・・
二畳分のカーペットを織るのに、おねいさんが専従して一年半ほどかかるそうです・・・
高級なカーペットには縁のないわたくし、シルクロードの地図を見つけました。
長安(西安)から羅馬(ローマ)まで、海運が発達するまでは、まさに東西の大動脈。
(画像をクリックするとかなり拡大されますので・・・老眼の方はご利用くださいね・・・)
で、今回の旅の説明のために、さらに一部を拡大・・・
(こちらの画像も少し拡大されますので・・・老眼の方は・・・)
長安(西安)の北、98kと落書きしたあたりが黄河の南に拡がる四国ほどの面積のクブチ沙漠、ここで植林して1000kmの鉄道旅で西安に着いたのですが、明日の午後には空路で一気に敦煌へ、で、そのままバスで400km離れた嘉峪関まで走る予定で、まさに西安からはシルクロードを辿る旅・・・
わたくし、蘭州の西ぐらいまでは植林ボランティアで行ったことがありますが、それより西の世界ははじめて・・・
まあ、敦煌よりさらに西になるとタクラマカン砂漠や天山山脈があり、わたくしにとっては未知のヨーロッパ世界はまだまだ遠いですね・・・
とか、バスの中で画像を確認しつつ考えているうちに西安市内のレストランに到着、
かなり遅めの夕食であります。
さすが大都会、食材も味付けも洗練されてましたが基本は四川風、けっこう激辛でした。
大好きな麺類も出てきたのですが、やはり麺は日本のほうが好み・・・なんですが・・・
おねいさんはチャイナドレスのほうが・・・じゅるじゅる
ま、せっかくなので・・・
で、こちらのおねいさんも・・・
やはり、せっかくなので・・・
わははは、しあわせじゃあ!!!
お二人とも日本語学科の大学生で、こんなのや人参酒の実演販売もしてるそうで・・・
二人とも、とても愛想がよくて「カワイイ」ので、みなさんけっこう買われてましたねえ・・・
ま、わたくしは試供品をかぱかぱ飲んでただけですが・・・
夕食後には西安の街も歩いてみたかったのですが、さすがに疲れと酔いが・・・
で、現地ガイドさんオススメの足つぼマッサージへ・・・
漢方薬たっぷりの足つぼマッサージをたっぷり1時間、これはけっこう効きました・・・
で、自室に戻って、この旅ではじめて、ゆっくりと浴槽に浸り・・・
シーバスリーガルが残り少ないな・・・安酒を買って中味を入れ替えねば・・・ひっく
(と、次号はいよいよ敦煌から嘉峪関へ・・・)