わたくし、6月5日から昨日10日まで、モンゴルでの植林をメインにしたツアーに参加してきました。いつもどおり、わたくしにとっては「ショクリン」がメインなんだか、「ショクヨク」がメインなんだか、よくわからないツアーになったんですが、ともかくこちらでは、食べ物画像を中心にさくさくっと報告させていただきます。
わたくし、中国の内蒙古自治区には1990年代から何度か植林ツアーに行っているのですが、モンゴルは今回で二回目であります。モンゴルでも最近になって、(地球温暖化が原因なのか、カシミヤ山羊などの過放牧などが原因なのかは議論のあるところですが、)年々、草原の草が短くなってきており、沙漠化も進んでいるのは間違いなさそうであります。
今まで放牧していたふつーの羊さんとは異なり、カシミヤ山羊は草の根元まで食べてしまうため草原の再生は困難、でも、羊毛の四倍以上の値段で取引されるカシミヤはやはり魅力で、一番の輸出先は日本だそうであります。
もともと木や農作物を植えたり、土葬や火葬にしたりといった「土を掘り返すこと」自体がタブーだったモンゴル人にとっては植林という習慣もなじみがないようで、地下資源の利用や農業の発展とあわせて、よほどうまく植林していかないと沙漠化防止と豊かさ確保の両立はできないと思うのですが・・・もともと寒冷少雨で木の少ない草原の国ですから、もとは森林だった内蒙古の沙漠や、寒冷でも雨量(積雪量)の多いロシア側とは異なり公園や街路以外に木を植えること自体、ほとんど実施されていないようで植林自体が試行錯誤の段階のようであります。
日本の4倍以上の国土でその7割以上が大草原、そこに270万人が暮らしており、その半数近くが今やウランバートルや近郊に定住、しかもその数が増えて経済も発展しているが環境も悪化している、というのがモンゴルの現状のようです。
今回は日本モンゴル親善協会主催のイベントの一環というかたちで、地元の子どもたちと一緒に植林します。
と、前口上が長くなりましたが、わたくしはいつものお気楽ツアーで・・・
今回は昼過ぎに大阪の関西空港を出発、韓国・ソウル近郊の仁川(インチョン)空港で四時間ほどのトランジット(乗り継ぎ)待ちの後、モンゴル・ウランバートル近郊のチンギス・ハーン空港(ちょっと前まではボヤント・オハー空港)へと向かいます。
今回ツアーの空路は、すべて大韓航空(の共同運航便)だったんですが、わたくし大韓航空機に乗るのは(おそらく)はじめて、
この韓国伝統の簪(かんざし)が客室乗務員さんのトレードマークだったんですね・・・
どの便も素敵なおねいさんばかりだったので、帰路で立ち寄ったソウルの現地添乗員さんに訊いたところ、「ええ、大韓航空はいまでも容姿中心の採用ですし、最近はみんなプチ整形してるし・・・ぶつぶつ・・・」と、主婦もやってる添乗員さん、昔、大韓航空入社を目指したことでもあるのか、幾分ぼやきも聞かされたましたが・・・
でも、みんなとても愛想もよくて優しくて、しかも動作はきびきびとしてて受け答えも正確、とても好感が持てました。
で、ついつい・・・
午後の軽食だけにもかかわらず、ビールをどんどん頼んだりして・・・
格安航空便などは機内サービスが一部有料になってるそうですが、
こちらは酒類もすべて無料でした。ひっく
で・・・
まだ梅雨入りしていない仁川(インチョン)空港に無事到着、なんとここでわたくし・・・
じゃーん
李王朝末裔直々のお出迎え
を受けたのであります。ややきっぱりと
(ま、視線の先とわたくしの立ち位置とがちと異なりますが・・・)
ちなみに視線の先では・・・
わたくしのために用意された歓迎の歌や踊りなんかも・・・
ちょっと立ち位置が異なりますが・・・
「アンニョンハセヨー、ようこそ韓国へいらっしゃいました!!!」
「わははは、しあわせじゃあ・・・」
と、まあ・・・
いろんなイベントやショップのある広大なインチョン空港、やはりボルネオ植林で乗り継ぎ待ちしたクアラルンプール空港同様、四時間程度ならまったく退屈せずに・・・
缶入りの生マッコリを飲んだり・・・
韓国風ジャージャー麺を食べたり・・・
和風キムチうどんを食べたり・・・
って、たしかに出汁は和風でしたが、こちらのほうが辛かったような・・・
とかいってるうちに、あっとゆーまに出来上がり時間も過ぎ・・・
夕闇迫るインチョン空港ともお別れ・・・
機は黄海をまたいで、一路ウランバートルへ向けて進んだのであります。
ま、その機内でも・・・
右側の赤ワインを何杯おかわりしたのかは覚えておりませんが・・・
自宅では観れないナショ・ジオなんぞをぼんやり眺めてると、やがてウランバートルのチンギス・ハーン空港に到着しました。
空港から市内中心部のホテルまではバスで一時間ちょい、モンゴルでは日本時間より一時間戻るのでありますが・・・
ホテルに着いたのは、日本時間では午前一時過ぎ、画像中央のモンゴル時間でも、
午前零時は過ぎていたのであります。
仕方がないので自室でシャワーを浴び、一度すっきりしてから・・・
冷蔵庫にあったモンゴルビールなんぞをですね・・・
この「ゴールデン・ゴビ」とゆーモンゴルビール、わたくしははじめてでしたが、
なかなかおいしかったです。ひっく
(次回に続きます。)
反省と言い訳のP.S.
またしても一日目から飲み続けの食べ続け・・・となってしまいましたが、
ま、翌日からは・・・画像を撮る暇もなく、食べ続けの飲み続け・・・でしたので、
次回記事から食べ物画像や飲み物画像は少なくなる・・・かも知れません。
って、やっぱり今回も鯨飲馬食ツアーだったのね・・・あは、あははは
カテゴリ: 15次隊・モンゴル
15次隊・モンゴルツアー2/9
結局一日目は日本からモンゴルへの移動だけで潰れ、日付が変わってからウランバートルのホテルに到着したわたくし、ホテルの自室でモンゴルビールなんぞを飲みつつ、当日朝にあわてて詰め込んだ装備品を再点検したりして、結局、就寝したのは午前三時を過ぎてからでした。ひっく
で、翌日は、八時に起床して洋風モンゴル風ごちゃまぜバイキングの朝食を終え、九時半に貸切バスで二時間ほどのテレルジ国立公園に向けて出発しました。
ホテル前で記念撮影するモンゴル体型の二人と、やはりよく似た体型の背後霊・・・
今回のツアーにはわたくしの奥様も同行され、この背後霊さんはその友人であります。
ええ、この二人がいなければもっと静かな旅行に・・・わっ、ぼかっ、べきっ、ぐしゃ
ホテルの近く、ウランバートル中心部の、古い街並みの様子であります。
周縁部はこんな感じ、塀で囲われた定住型の白いゲル(テント)と戸建住宅が混在します。
モンゴルの6月から9月までは一応雨季、この日の朝も、ご覧のとおりの曇天でしたが、雨季といっても雨量は少なく、日本のような大雨や一日中降り続くような雨は滅多にないそうであります。
もう少し離れてきたところ、線路の柵の手前、隊員が立っているあたりまで一面が、
広大な男子用トイレ・・・といっても、もちろんただの草原なんですが・・・
で、こちらとは反対側、しゃがむと道路から見えない側が女子用トイレで・・・撮影はしませんでしたが・・・郊外にでたら人家がなくトイレ休憩で止まったところがトイレになるようであります・・・ま、牛や馬などの大きなフンもあちこちにあるし、遊牧民は昔の農村のように肥料にすることもないですし・・・
ちなみに放牧している家畜のフンの乾燥したやつは貴重な燃料で、これを集めるのも重要な仕事なのであります。
ちょうど二重連の列車が通過、鉄ヲタならたまらないシーンなんでしょうね。
もう少し郊外になると、あとは見渡す限り一面の草原、今はちょうど草が生え出して、
本格的な遊牧が始まる季節であります。
画像がちっちゃくて見にくいですが、馬に乗って遊牧している二人はまだ子どもでした。
そう、6月から9月までの4ヶ月間は、モンゴルの学校は夏休みで、宿舎生活をしていた
遊牧民の子どもたちはゲルに戻り、遊牧の手伝いをするのであります。
この丘を下って、右側に見える橋を渡るとテレルジ国立公園であります。
ちなみに川の手前は高級別荘地。橋が2本見えますが、右側は現用の木橋、左側が建設中のコンクリート橋であります。画像左側の看板にあるようにゴルフ場もできて、まさにゴルフコースにぴったりの地形なんですが、あちこちに地ネズミやマーモットの巣穴がいっぱい、いわば全コース上に無数のホールがあるようなもので、しょっちゅう巣穴にホール・イン・ワンするため、かなりの予備ボールが必要なのだとか。
この木橋を渡ってテレルジ国立公園内へ入ります。
やはり川沿いは土中の水分が豊富なためか、木々が大きく育っていますね。
で、今回はちと寄り道をして、実際の遊牧民のゲルを家庭訪問させていただきました。
このふたつのゲルで四人家族が生活、左側の新しいゲルは居間や食堂、客間のような使い方をされてるようで、中央に大きなテーブル、周囲には客用?ベッドのほか、仏壇、テレビ、冷蔵庫などが置かれてました。
ちなみに暑い時は、天頂部の一部と右側のゲルのように下部のフェルトを巻き上げて換気、
冬はフェルトを何重にも重ねます。
風対策はラインのペグ固定ではなく、ゴムチューブに重りをぶら下げてありました。
このほうがフレキシブルに風を受け流すんでしょうね。なかなか参考になります・・・
ここは道路に近く、電柱から電力を引き込んでおられましたが、場所によってはソーラーパネルや発電機を使われるそうです。
で・・・
ゲルには敷居を踏まないように右足から入り、左側が男性、右側が女性で一番奥が主、奥から順に上座のルールなんですが、ご主人様の席と女性の一番上座に座ってしまった、背後霊さんとうちの奥様・・・ちなみに左端は今回の隊長であります。
さりげに女性側の上座に座られた御主人はさりげに無視して、長女のご機嫌をとろうとする背後霊さん・・・このあたり、さすが大阪人!
現地添乗員さんの通訳でいろいろと話し、塩とバターたっぷりのミルクティーや、自家製チーズなどをご馳走になりましたが、牛を90頭、羊を300頭ほど放牧されているそうで、一人では大変な作業量だと思いましたが、今は別に住むというお父上も手伝われているのかも知れません。
奥様はお茶やチーズを供されるだけで、客との受け答えは御主人がされてました。
「病気や怪我をしたときはどうされるんですか?」
「40kmほど先にお医者さんがいます。それでもだめなときはウランバートルの病院まで行きます。もちろん馬に乗って。」
現地添乗員さんから補足して説明があり、
「モンゴル人は我慢強いので大抵の病気や怪我はじっと我慢して治します。我慢できない場合にはその辺の薬草を使いますから、医者や病院に行くのは、よほど重大な手術を要するときだけです。」とのこと・・・
ちなみに今回の現地添乗員さん、外務省高官の娘さんだそうで、お父上の仕事で子どもの頃は日本に住んでいたという、きわめて日本語の上手な方だったので、別の隊員がモンゴル人にとって日本語でいう「ちょっとそこまで」の感覚はどのぐらいでしょう?とお訊きした時には、「10kmぐらいでしょう、もちろん馬に乗って。」とのことでありました。うーむ。
ちなみにこのゲルの・・・
ほんとの御主人は、右側のモンゴル体型の方・・・迷彩パンツの長男くんもなじんでたし・・・
家庭訪問の後は、前回も行った亀石に立ち寄りました。
このあたり一帯は奇岩が多いのですが、なかでも単独で巨大なのがこの亀石。
このあと一行は、この日の宿泊地であるツーリストキャンプに向かいます。
(以下、次号に続きます。)
15次隊・モンゴルツアー3/9
遊牧民のゲルを家庭訪問し、「亀石」へ立ち寄ったわたくしたち、テレルジ国立公園内のツーリストキャンプの中でも今回は比較的新しくできたキャンプサイトに、正午ごろに到着しました・・・
すぐ背後に奇岩群が迫りなかなかの絶景ですが、到着時には雨がパラつき始めました。
で、きれいなログハウスの管理棟兼レストランで、とりあえずは昼食であります。
前回訪問時は、おそらくテレルジで最古、社会主義時代にできたようなツーリストキャンプだったんですが今回は管理・レストラン棟も、シャワー・トイレ棟も新しくて、とてもきれいでした。
ともかく乾杯であります。じゅるじゅる
で、まずは前菜から・・・
分厚いハムのほうがジャガイモより多いポテトサラダの次は・・・
モンゴル風の肉うどん・・・
モンゴル風の包み物各種・・・すでにいくつか食べた後ですが・・・
もちろん中身は・・・
肉、肉、肉・・・なんですが、この日の昼食は羊嫌いが多い日本人に配慮して、すべて牛肉を使用したとか・・・ま、わたくしはどちらも大好きなんですが・・・
ほかにも、パンにチーズ、バターに紅茶などが付いてましたが、日本と同じ一枚ごとパックになったスライスチーズが秀逸でした。ただ、薄くスライスした黒パンは固くてパサパサでしたが、これはまあ好みなんでしょうねえ。わたくしの自宅にホームステイした留学生たちも、最初のころはたいてい、「日本のパンは柔らかすぎる。」とか、「歯にくっついて気持ち悪い。」とかいってましたから・・・でも帰国してからはたいてい、また日本のパンが食べたいとゆーメールが来てましたが・・・
で、こちらが今夜のゲルで四人分のベッドとストーブ、小さなテーブルなどがあります。
右端のお方が、このゲルの主にして影の千人隊長といわれる・・・
いやあ、5年前が懐かしいなあ・・・
コンバースのキャップもコールマンのウェストバッグもストロボによく反射してますね・・・
ちなみに、こちらがゲルの天頂部。
観光用でやや装飾が多いですが、基本的には家庭訪問した遊牧民のゲルと同じ構造。
追記で、こちらが家庭訪問したゲルの天頂部・・・
屋根のフェルトを半分開けて光を入れ、雨風が入らないよう透明ビニールを掛けてありますが、これもまったく同じ仕組みでした。
こちらは夕方に撮った画像なんですが・・・
分解するとこんな感じ、これを馬やヤクに積んで(今はトラックも多いそうですが)大草原を移動しながらの遊牧生活、分解や組み立てには1時間もかからないそうです。
で、食後のお昼寝やお散歩なんぞを終える頃には・・・
スコーンと晴れてきて、馬に乗っての周辺散策に出発であります。
今回は、各自のヘルメットと乗馬用のスパッツを用意してくれたのですが・・・
わたくしのアタマに合うヘルメットは
ひとつもありませんでした。ううっ
でも、スパッツのほうは・・・
わたくし好みの色合いのやつがありました・・・でへへへ
ただ今回は単独行動や馬上からの撮影は禁止でしたので、自由に走ることもできず、
出発時の馬上からの画像のみ・・・
で、馬での散策が終わった時点で時刻はまだ五時前・・・
七時からの夕食には時間があったので、今度は徒歩での散策であります。
少し離れると、奇岩群の大きさがあらためてわかりますね。
でも、けっこう麓にまで岩が転がってきてるし、左上の岩なんか・・・
ちょこんと乗っかってるだけで、転がってきたらゲル群なんかボウリングのピン・・・
といいつつ、こんな奇岩群を見てると登ってみたくなる性分なんですね、わたくし・・
このあたりを裏から・・・
もうすこしで頂上・・・ありゃ、チムニーに腹がつかえたぞ・・・ひいひい・・・
で、なんとか頂上まで這い上がったのですが、さすがに狭くて、立つ場所もカメラを置く場所もありませんでした・・・
仕方がないので、頂上をまたいで・・・
左足先だけの記念撮影であります。あははは
(このとき、奥に見える反対側のピークに登っていた隊員が、わたくしの呼び声に気づいて画像を撮ってくれたようですので、その画像が送られてきたら、いずれここに追加しますね。)
(8/18追記です。画像がDVDで届きましたので下に一枚追加しました。M.Y.さん、ありがとうございました。元サイズは大きいので、クリックして中央あたりをズームすると、わたくしの雄姿がくっきりと・・・)
じゃーん
まあ、足先だけの記念撮影とゆーのもなんなので、別のピークに登りなおして、
自分の登ったピークを撮影・・・
でも、この自分のシルエットも、けっこう記念撮影になるかも・・・
わははは、愉快愉快
で、岩場を下りて、丘を下る頃には、影はますます長くなり・・・
わははは、ますます愉快愉快
で、テントサイトに戻れば、いよいよ待ちに待ったキャンプ宴会のはじまりであります。
(次号に続きます。)
15次隊・モンゴルツアー4/9
モンゴル二日目の夜(といってもまだまだ明るいのですが)になって、いよいよキャンプ宴会のはじまりであります。
一日目の夜は機内食だったので、これがはじめての夕食宴会、今回のメンバーは60代から70代が中心でしたが、みなさん元気な人ばかり、しかも酒好きが多かったので、おおいに楽しみにしていたのであります。
まずはビールから・・・
現地時刻でも7時を過ぎているのですが、ご覧のとおり、
窓の外はまだまだ明るいのであります。
で、この日のメインは、なんといっても・・・
こちらの「羊の石焼き」
このミルク容器の中に、まるまる一頭分の骨付き羊肉と焼け石が入っています。
じゃーん
って、かなり取り分けたあとの画像になってしまいましたが・・・
なにせ食べるのに夢中だったもので・・・
まあ、石焼き芋と同じなんでしょうね、岩塩と焼け石で骨付き羊肉を蒸し焼きにした、
モンゴルの伝統料理であります。
これを素敵なおねいさんが、各テーブルにどんどん取り分けてくれます。
で、各自の前にある、このおにぎり付きプレートにですね・・・
好きなやつを・・・どかっ!・・・と・・・
わたくし、最初は部位をまったく考えず、ともかく大きなやつを取りましたが、
あとはそれぞれの部位を味見して・・・
わははは、完食、完食・・・
ちなみに右のプレートは、ほかのみなさんのプレート・・・
いや、そんなことは・・・なかった・・・のか・・・どーだか・・・
これ以外にも、ボルシチなどいくつかの料理が出たと思うのですが、
まったく記憶になく、画像もありましぇん。ええ、きっぱりと
さすがに(羊の肉だけで)お腹がいっぱいになったわたくし、ビールのおかわりをすることもなく(人さまからはいただきましたが)、一服するために一息入れるために、外に出たのですが・・・
八時を過ぎて、ようやく東側の山々が夕日を受けて、赤く染まりはじめてました。
で、この日のキャンプサイト、我々18名のグループ以外には、遅れてきたオーストラリアからの5名のグループだけと聞いてましたので、隊の酒飲み連中には、わたくしのゲルに酒とつまみと椅子とグラスを持って集合、そこで朝までどんちゃん騒ぎじゃあ!!!と、一次会で伝えておきました。
で・・・
まず10名ほどが集合、わたくしがインチョン空港で買ったカティサークをはじめ、黒、青、赤、各レベルのチンギス・ウォッカ、陶器瓶入り韓国焼酎やプレゼント用に用意した日本の高級ウィスキーミニチュアボトル各種、柿ピーにイカフライなどなど・・・
で、おおいに盛り上がっていたのですが、例によってわたくし、一服するために外に出た時、たまたま通りかかった欧米系の二人連れに声をかけたところ、英国とノルウェーから来たとのこと・・・
「ここは影の千人隊長のゲルじゃ、旅人は歓待するのがモンゴル流、まあ入らんかいっ!」
と、無理やり宴会に引き込んだとゆーか、よろこんで入ってきたとゆーか・・・
「まずはチンギス・ウォッカをかけつけ三杯・・・おおっ、ええ飲みっぷりやないか・・・
管理棟ではオーストラリアからの5人組だけと聞いてたが、どないなってんねん。」
と(英語風大阪弁で)訊いたところ、あとはオーストラリア人1人とアメリカ人2人の計5人で、たまたま知り合って一緒にモンゴルを廻ってて、その後はロシアに行く予定とのこと・・・
それぞれ3ヶ月から6ヵ月の休暇で世界各地を周遊中、全員が20代半ばから後半の、いわゆるエリートサラリーマンでした・・・うーむ、この年代の優秀な社員が長期休暇を取って世界漫遊できるとは・・・
そうこうしてるうちに、シャワーがえりのうちの「お騒がせ二人組」も入ってきて・・・
こぽこぽこぽ・・・って・・・自分らの分以外に客にも注いだらんかいっ!!!
「ホカノ、トモダチ、ヨンデキテ、イイデスカ・・・フタリダケダト、チョットコワイシ・・・」
「おう、何百人でも連れてこんかいっ、わしは影の千人隊長やぞ・・・ひっく・・・」
で、
メキシコで買ったとゆー、お気に入りのポンチョを着たオージーも来たのですが、
なにやら三人でこそこそ話して、彼一人がふたたび暗闇に消えて行きました。
で、しばらくすると、残る二人のアメリカ人とともに現れたのですが、三人の両手には冷えたビールやワインがいっぱい・・・そーいやさっき、こそこそとドル紙幣を出し合ってたな・・・
うーん、若いのによく気がつくのう・・・
で・・・
わははは、愉快、愉快
結局、このキャンプ場の宿泊客のうち酒飲み全員が、わたくしのゲルに(世界各国から)集まったわけでなんですが、我々があちこちで植林しているボランティアグループであること、今回は東日本震災支援へのお礼も込めてウランバートル近郊で、地元の子どもたちと一緒に植林することなどを伝えると、
「ほんとに素晴らしい活動です、わたしもリタイアしたらそんな生活をしたいです。」
と、なかなか殊勝なことを・・・って、わたくし、まだ現役なんですが・・・
で、おおいに盛り上がっているゲルを出てみると・・・
10時を過ぎて、ようやく暗くなってきた草原に月がかかり・・・
おそらく世界で二番目の、ゲルへの照射比較であります。
右はFENIX LD-10のハイモード、左はたぶん40w程度のゲルの白熱電球(クリア)・・・
って・・・ゲル内の白い光点は一体なんなんだ???
ふたたびゲル内に戻ると「まだまだ若い者には負けぬ・・・」と国際腕相撲を挑むもの、
各国の国歌や民謡を合唱し出すものと、さらに盛り上がってて・・・
教えてもらったばかりの「あっち向いてホイ」を延々と続けるものまで・・・
とまあ、じつに楽しい国際的キャンプ宴会となりました。
で、ゲルでの宴会後は・・・
またゲルの外で飲みつつ、みんなで草原に寝転がって、満天の星の観察会をやってたんですが・・・すっかり出来上がってたのと、見える星の数があまりにも多すぎるため、当日の星座表を持ってた天体に詳しい隊員でさえ、まったく星座を特定できませんでした。あは
(次回に続きます。)
15次隊・モンゴルツアー5/9
モンゴル二日目の夜に国際的なキャンプ宴会を楽しんだわたくし、
翌朝にはキャンプ場とも素敵なスタッフともお別れであります。
でへへへ・・・
わわっ、割り込むんじゃないっ・・・・・・
ううっ、最後はツーショットにしようと思ってたのにぃ・・・
とまあ・・・
朝の放牧で羊さんが移動しはじめたキャンプ場を出発、バスはウランバートルに戻って、
午後からは市内見学の予定なのであります。
今回の植林ツアー、日本モンゴル親善協会のイベントにあわせての植林で、出発便や到着便の都合もあってかなり変則的なスケジュールとなっており、この日の午後と翌日の午前が施設見学などになりました。
ほんとはウランバートルで丸一日の観光日程か自由時間が欲しかったのですが・・・
そう、前回は丸一日がウランバートル観光で、わたくしは息子と抜けだしモンゴル陸軍射撃プログラムに行ったのであります。
ま、逆に言えば今回が初めてのウランバートル市内見学で、見学先としてはN.GKS隊の定番コースである自然史博物館をはじめ、お寺や宮殿などを見学したのですが恐竜のコレクションで有名な自然史博物館の内部は撮影禁止でしたし、他の施設もちょうど夏休みに入ってモンゴル人は全館無料!ウィークになっており、どこも内部はモンゴルの人でいっぱい、まあ、街の様子と外観だけでも、さくさくっと紹介させていただきます・・・
新しくなった国会議事堂とスフバートル広場
5年前に来た時はまだ建設中で、陸軍射撃プログラムに参加していたわたくしと息子は夕方にここで隊と合流したのですが、やっと完成したようですが広場はまだ整備中でした・・・
中央はもちろんチンギス・ハーン、手前の人物が影の千人隊長・・・なのかっ???
広場に面したウランバートル市役所と、背後は建設中の新庁舎・・・
市庁舎以外にも、オペラハウスなど広場周辺の重厚な建物は、殆どが戦後ソ連に抑留された日本の将兵によって建てられたもので、建て替えの際に、あちこちから日本語の書かれた部材が出てきて、調べてみると当時の技術では最大限の工夫が随所になされていたことが判明したそうで、そのことが最近報道されてモンゴルで感動を呼んでいるとのことでした。
わたくしの親の世代になりますが、我々が想像できないような過酷な状況の中でもベストを尽くされてたんですねえ・・・
で、こちらがモンゴル・チベット仏教の総本山、ガンダン寺
内部に10以上ある、僧堂や寺院の周囲にはマニ車がずらりと・・・
お坊さまも読経代わりにですね・・・(違)
こちらが高さ26.5mの観音様が祀られている観音堂・・・
共産政権に破壊され1996年に再建されたものだそうです。
ガンダン寺を出て、市内を走っていると、こんな看板が・・・
うーむ、ペイントボールゲームもあるのか・・・日本では禁止されてるのになあ・・・
ま、実銃はいっぱいあっても、ゲームはできないからなあ・・・
で、遅めの昼食はロシア料理店へ・・・
タイガービールをモンゴルのロシア料理店で飲めるとは・・・
って、キャビアがずいぶん少ないですが・・・じつは・・・
モンゴル土産とゆーと、食品ではまず岩塩、それに5年前はロシア産のキャビアがとても安かったんですが、今回もたまたま同じ食品スーパーへ連れて行ってもらったところ、同じキャビアがなんと5倍以上のお値段に・・・岩塩もけっこうお高くなっており、小さな袋に小分けして売られていました・・・高騰した理由はわかりませんが・・・
で、この後にボルシチがでて、そのあとのメインディッシュはロシア風ハンバーグ・・・
みなさん、肉の臭いがきついとかで残しておられましたが、もちろんわたくしは完食・・・
で、午後からはザイサンの丘にある、ザイサン・トルゴイ(戦勝記念碑)へ
300段ほどの階段を登ります。ひいひい・・・あともう少し・・・
やっと登頂であります。
ふむふむ、みんなでナチスをやっつけて・・・
ソ連軍とモンゴル人は、ずっと仲良く暮らしてたんですね・・・
丘の上からは、ウランバートル市内が一望できます。
ご覧のとおり、町はずれには定住型の白いゲルも点在してますが・・・
市内中心部のほうは、まさに100万都市の様相であります。
ちなみに、丘の麓にはこんなのも飾ってありました・・・
そりゃまあ、なにせ対独戦勝利の立役者ですからねえ・・・四号より装甲厚いし・・・
ちなみに民主化後、粛清の象徴だったスターリン像は全て破壊されたそうですが、
レーニン像は残してあるそうです。
こちらがボクトハーン宮殿の正門、内部は現在博物館になってますが、
こちらも無料ウィークとあって、ものすごい人出でした。(外国人は有料)
中庭ではドキュメンタリー映画でしょうか、仏教儀式の撮影が行われていました。
で、夕方の6時から国立劇場で国立民族歌舞団の公演を見学・・・
この画像、7時半に公演が終わってから撮影したものですが、まだまだ明るかったです。
で、今回は特別サービスで撮影OK、とゆーことで・・・
いろんな踊りあり・・・
歌あり、演奏あり・・・
寸劇あり・・・
アクロバットまでありましたが・・・
なんといっても・・・
左の方のホーミー(喉歌というのか、二重発声歌唱というのか・・・)がわたくしには秀逸でした。
高音部の口笛のようなきれいなメロディーと低音部が見事に一人の口から出てきます。
なんでも、人と接することが少ない遊牧民がさみしさを紛らわすために自然の音を真似たのが起源とかで、モンゴル人男性でもホーミーができるのは1000人に1人といわれており、しかも父親もできる場合が殆どだそうで、さらに女性でできるとなるとモンゴル全土でも現在たった1人しかおられないとか・・・
全体的に充実したプログラムでしたが、踊りの振り付けなどは、まだまだ社会主義時代のイメージが残っており、その意味でも懐かしい感じがしましたねえ・・・劇場内部も薄暗くていかめしく、いかにも、とゆー感じでしたし・・・
(モンゴル紀行、次回に続きます。)