N.GKS(エヌ・ジクス)のblog

海外での植林ボランティア活動をしていた団体N.GKS(エヌ・ジクス)のブログサイトです。 (2020年8月25日よりURLをhttp://からhttps://に変更しています。)

カテゴリ: 9次隊・モンゴル・中国西北部

えーっ、モンゴル滞在三日目に・・・

モンゴル建国800周年記念騎馬隊イベント
チンギス・ハーン
800年目の帰還

ユーラシアの祝祭
とゆーのを見物してきました。
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えーっ、ま、ガイドブックそのまんまなんですが・・・にっこり
ウランバートルからクルマで40分ほどの草原の特設会場で八月末までやってるそうです。

で、登場する騎馬軍団が、なんと500騎!
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太鼓の響きとともに、一斉にこちらに向かってきました。
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弓、槍、刀や馬術の競技、出陣式などを披露してくれるのですが、
特に目の前で展開される模擬白兵戦はすごい迫力でした。
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ちなみに、ガイドブック表紙にもあるこの槍先が、現在のモンゴル国軍の紋章になってます。

で、模擬白兵戦
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日本なら超一流の馬術スタントマンしかできないような高度な馬上テクニックを、500騎全部が猛スピードで駆け抜けつつ披露してくれます。

彼らはモンゴル軍の現役軍人だそうですが、モンゴル軍の現有兵力はウィキペディアによる9100人ですから、予備や裏方まで含めると、全兵力の一割近くが、このイベントに参加していることになりますね。陸軍だけだとすると、もっと高率になるか・・・

怪我もしょっちゅうみたいで、こんなクルマも用意してありました・・・
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モンゴルの騎馬軍団は、1000人程度の兵を供出できる部族長が千人隊長、以下、百人隊長、十人隊長と、十進法で統率されていたらしいのですが・・・

500騎なら千人隊長はいずこに・・・

じゃーん!

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護衛に守られた中央の方が、影の千人隊長であらせられます。ははーっすいません
(しかし、毎日同じTシャツを着てるな・・・洗ってますよ、一応・・・)

で、彼専用の運転手つき特殊車両であります。
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彼の征服した領土の地図もありました。
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中央の赤く囲ってあるのが現在のモンゴル国、それと万里の長城との間が、現在の中国・内蒙古自治区であります。漢民族が自分たちで「この長城から外はモンゴルでちゅよ。」と、つくったのですから歴史的に仲が悪いのはもっともか・・・

「チンギス・ハーン時代の栄光を再び!」というスローガンも繰り返されてましたし、(でもそれ以降800年間、外国と戦争していない平和な国なんですが。唯一の例外とされるノモンハン事件だって、モンゴルが外国を攻めた、というもんでもないし・・・)

今までやってた米軍との合同演習(いつか、G3さんが画像を紹介してくれましたね。)
を8ヶ国に拡大した、「国際平和維持軍合同訓練、カーン・クエスト」も8月11日から始まってますし、モンゴル陸軍兵士も、オダギリ小隊長も大変お忙しいと思いますが、頑張って下さいね。
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8月14日夜のTV東京系番組「カンブリア宮殿」で、前回記事で紹介した「モンゴル建国800年記念騎馬隊イベント」をやってましたね。
このイベント、日本のH.I.Sの社長がプロデュースしてたんですねえ。
そういえばアナウンスもモンゴル語と英語と日本語でしたし馬乳酒のコーナーにも「お腹が痛くなることがあります。」と日本語の注意書きもありました。

ま、今年は日本の首相や元首相が次々と訪問し、共同制作映画の大作も撮影中、さらに日本の大手旅行代理店が観光に力を入れているというのはモンゴル国にとっては頼もしい限りなんでしょうが・・・
どこかみたいに日本人が大挙して押し寄せ、リゾートホテルが乱立して環境破壊という図式にならないように願うばかりです。

といいつつテレルジ国立公園内で、乗馬とゲル(テント)泊を大挙して楽しんできました。にっこり
ま、植林を終えたモンゴル二日目の夕方から翌日の午前中いっぱいという非常に日本人らしい、
短い期間でしたが・・・

宿泊したテレルジのゲル、中国語ではパオ(包)であります。
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で、下の画像の方が、このゲルの主、影の千人隊長であらせられます。
じゃーん!
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まっ、またおんなじTシャツやないかいっ・・・
しかし、このコンバースのキャップ、再帰反射テープがストロボでよく光るなあ・・・

笑い

笑い

笑い

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夜10時すぎの画像であります。
夕暮れになると気温がどんどん下がり、明け方には5度ぐらいになります。さすがのわたくしも、クールTシャツ一枚では寒くなってきたので、ストーブに火を点けようとしたのですが・・・

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キャンプ場の女の子が通りがかりにやってくれました。
どのスタッフも純朴で気立てがよくて働き者で・・・ラブ

朝の六時前にも別の女の子が来てくれましたがゲルは羊のフェルトを巻いてあるので断熱性が高く、朝夕2回の薪で充分暖かでした。
ちなみにマイナス50度にもなる真冬はフェルトを五重ぐらいに重ねて巻くそうです。

さて、夜もやっと更けてきて、ゲルの門前で持ち寄り大宴会をおっぱじめ、「黒チンギス」ヴォトカとほていの焼き鳥ですっかりでき上がり「こぉがらしとだえてぇー」と絶叫していたわたくし・・・
突如、隊員のみんなに・・・
「たっ、たらいまより、わたくひ、懐中電灯の照射比較をやってきまひゅ!」
「な、なんじゃ、そりゃ?・・・ま、そっとしておいたほうがいいぞ・・・」
にっこり
で、たぶん世界初のゲルへの照射比較画像であります!VS
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完全に出来上がっていたので、どうやって撮ったのかも覚えておりませんが、
左がSuperFireのSF-501、右やや下がFENIXのL0Pのはずであります。
もちろん、距離等のデータは一切不明・・・

じつはこの夜の三時ごろ、おしっこに出たわたくし、すごい星空を見たのですが、IXY50の手持ちで撮影を試みる気力は残っておりませんでした。ううっ
alaris540さんが居たら、きっと喜んだだろうなあ・・・キラキラ

さて、翌日は朝から乗馬であります。
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サラブレッドやアラブ種に較べて、ちと、ちっちゃいような・・・
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初心者は引き綱で、騎馬軍団の影の千人隊長といわれるわたくしは小学生のインストラクターから鞭を取り上げて借りて(ま、ただの結び目のあるロープでしたが・・・)単騎で草原を疾駆したのですが、馬も鞍もちっちゃくて、やがてお尻の皮がズルズルに・・・
(その状態で数日間、悪路の続く長時間のバスは、まさに地獄でした。)

このあたりは川に近いので、森もあって、まわりにはお花がいっぱい。
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そして乗馬コースになっている草原には、見渡す限り・・・
ドイツ山岳兵徽章エーデルワイスが咲いていました。
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ええ、この一面のエーデルワイスの中を単騎で駆け巡ったんですが・・・
これって・・・もし日本でやると・・・困った


追加P.S
このキャンプ場には日本から乗馬のためにやって来たグループが滞在されてました。
日本の乗馬クラブの一鞍(1時間程度)分で一週間は一日中乗れると、鞍や乗馬靴を持参されてました。
射撃や乗馬を楽しむなら、夏のモンゴルは最高ですね。
往復旅費や宿泊代を考えても日本などよりはるかにお安く、しかも大自然の中で楽しめます。
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今回は、北京とモンゴルでの、わたくしのつつましい食事なんぞをまとめてご紹介・・・

あは
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関西空港から北京への中華航空の軽食と燕京ビールであります。2本おかわりしました。
これで当分、日本食ともお別れであります。関西空港で搭乗前にざるそば定食を食べたばかりだったけど、おいしくいただきました。げふっ

あはは
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北京市内での「広東風・北京料理」と12年ものの紹興酒で、1日目の夕食であります。
ええ、何本おかわりしたかは覚えておりません。
ビールはここでも燕京でした。何本飲んだかは覚えておりません。あははは。

困った二日酔いマーク困った

翌日の早い朝食は、ドイツ系からスイス系に経営者が変わった空港近くのホテルで、洋風中華風取り混ぜてのバイキングでした。ここの焼きたてパンはいつもおいしいです。

北京からウランバートルの機内での軽食は熱々の中華風ハンバーガー、でもさすがに射撃を控えてるのでビールは我慢しました。えらいぞ、98k!
そして昼食抜きで撃ちつづけ・・・

あははは
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モンゴルで1日目の夕食は、とてもおいしい「チンギスビール」とロシア風ディナー!
空腹のため、まず飲み食いして、ジョッキが間に合わずにちがう種類のジョッキででてきたころで、ようやく一息ついて撮った画像であります。
ロシア圏はビールがイマイチ、と聞いてましたが、これは旨かったです。
ちなみに昼食をたらふく食べた他の隊員たちから、ステーキをいっぱいもらいました。ぐふふ

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レストランでの夕食を終えて撮った、午後九時半ごろのウランバートル市内であります。
ようやく陽が傾きかけております。

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ホテルに帰って11時すぎにようやく暗くなりました。でも、空にはまだ残光が・・・
ホテルの部屋では、柿ピーと空港で買ったシーバスリーガル500mlペットボトル、なくなれば、このペットに現地の安い酒を詰め替えて旅を続けます。
市内でも標高が1500m近いため、けっこう酔いが廻ります。ぐびぐび

困ったまた二日酔いマーク困った

画像はありませんが、翌朝の朝食はホテルのロシア風バイキング、わたくし、バイキング食べ放題というのがとても好きであります。がつがつ

で、
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モンゴル二日目の昼に、やっとモンゴル料理が・・・

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包み物の中身も、ヒツジ、ヒツジ、たまに野菜、ヒツジ、ヒツジであります。

ウランバートル最大のデパートに立ち寄ったのですが・・・
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パラソルの下は、露天の「公衆電話屋」さんであります。

なにやら、影の千人隊長に似た看板も・・・
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で、モンゴル二日目の夕食であります。
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ヒツジ、ヒツジ、野菜、ご飯であります。このヒツジ、シンプルな塩茹でで旨かったです。
なんでも大きなミルク缶にブツ切りの羊肉と岩塩と焼き石を入れて蒸し焼きにしたとか・・・
わたくし基本的に、シンプルな肉料理が大好きです。

この大きな塊も、他の隊員たちから次々とお恵みが・・・
がは、がは、がははは、いくらでも食べられます。がつがつ

ヒツジとチンギスビールの夕食後は、柿ピーやほていの焼き鳥、岩塩、キャビアを肴に、
満天の星空の下、黒チンギスヴォトカのお湯割りをかぱかぱと・・・
「ほぉのぼのあかりぃてぇ、なぁがるるぎんがぁ、
  おぉりおんまいたぁちぃ、すぅばるはさざめぇくぅ・・・とくらあ!」
「おう、次は高原列車いこう、高原列車・・・
  きぃしゃのまどかぁらぁ、はんけちふればぁ、まぁきばのおとめぇが・・がははは」

困ったまたまた二日酔いマーク困った

モンゴル三日目は、朝、昼、夜ともにロシア風でしたが、やはりヒツジが多かったです。
ま、ずっとチンギスビールは追加してましたが・・・
この日の夕食は、わたくしと息子にはちとボリューム不足でしたので持参したカレーうどんのカップ麺をお夜食に食べました。
カレーうどんやラーメンが、わたくしにとっては日本の味なのであります。
モンゴル最後の夜、他の若手隊員(といっても今回はわたくしと同世代・・・ううっ)が、高級クラブで豪遊したらしいのですが、お値段は一人20ドルだったそうです。
うぐぐぐ、行けばよかった・・・

笑い翌朝はめずらしく元気!笑い

4日目のホテルでの朝食を最後に、中華航空の機内食から再び中華料理に戻りました。
ま、これからの中国・内蒙古自治区でも酒池肉林は続きますが・・・
あは、あは、あははは・・・げふっ



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4日目の朝、モンゴルからいったん北京へ戻るため、空港道路を空港に向かいます。

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二日目に植林したところはウランバートル市役所の造園部の方が手入れをしてくれてました。

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空港へのゲート

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門には大阪の伊丹空港と同様に、その地名である「ボヤント・オハー」と書かれてますが、
ウランバートルのボヤント・オハー空港は、建国800年を記念して、今年から・・・
「チンギス・ハーン空港!」になったのでありますね。きっぱりと
ビールといい、ヴォトカといい・・・ま、中国の大熊猫ブランドみたいなもんか・・・

で、そのチンギス・ハーン空港であります。

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空港前の丘には、住宅街が拡がってました。

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これがモンゴル国で最後の画像、いよいよお別れであります。(やっとTシャツが変わっているぞ!)
思い起こせば、この下の駐車場でM.M.P(モンゴリア・ミリタリー・プログラム)のナランさんと、
固い握手を交わしてから、あっという間の4日間でした。
きっと、また来るからね、バイルタェ(さようなら)、バイルラー(ありがとう)、モンゴル!



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・国境線・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・





いきなり北京市街であります。にっこり

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なんか空の高さが一変したなあ・・・ともかく見渡す限りの建設ラッシュでした・・・

モンゴルから中国・内蒙古はお隣なんですが、直行便はなく北京で国内線に乗り換えます。
で、夜の内蒙古自治区、包頭行きの国内線に搭乗するまでに僅かな時間があったので、
歴代皇帝が天に祈ったという、北京の天壇公園を見学したのですが・・・

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なにやら怪しげなものが・・・

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皇帝が全国から集めさせた、天から降ってきた石(隕石)だそうですが・・・


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ど、どう見ても怪しかったです・・・困った

閉園間際に短時間だったので、全体の一割も見学できませんでしたが、その後、市内のレストランで、久しぶりの本格中華を急いで食べました。

ちなみに、レストランの男子用トイレにあったアウトドア用品の広告であります。

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フランスのペツル、スペインのバフ、スウェーデンのプリムス、イタリアのガルモント。
ううっ、滅多に買えない高級品ばっかり・・・
原創頭灯→オリジナルヘッドランプ、多功能頭巾→マルチパーパスバイザーなんでしょうね。
モンゴルではキリル文字ばかりだったので、漢字を見るのがうれしいです。

で、北京から包頭までは、夜行列車で行った時は延々15時間かかったんですが、今回は国内線ジェット、僅か1時間で到着であります。
包頭から黄河を渡って、クブチ沙漠の緑化基地である恩格貝までは、これも昔は未舗装の悪路をバスで5時間以上かかったのが、今回は2時間足らずで着きました。

ただ、深夜にバスで大平原を突っ走る間じゅう、ずっと空中を横に走るカミナリが左右で光り続け鳴り続け、近くに落雷したりして、とてもこの世のものとは思えない音と光が漆黒の闇の中で続いてました。

内蒙古の1日目は、とんでもない自然現象の歓迎を受けたのであります。雷

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やっと中国・内蒙古自治区クブチ沙漠の植林基地、恩格貝までやってきました。
わたくし、ここに90年代から、ちまちまと木を植えております。

まずは、今年新しくできた、ビジターセンターの展示パネルから・・・
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画像が見にくいですが、上が1990年、下が2004年の現地であります。
わたくしがはじめて行った時は、下のパネルの中央右側に見える逆コの字型の建物、レンガ造りの研究・宿泊棟なんですが、これが一番大きな人工物で、その周辺以外はまだまだ上のパネルのような地肌が見えてました。
それが十数年の植林で、噴水の手前に新しくできたホテルから見渡せる限りのご覧の範囲までは、再び緑の大地に生まれ変わり農作も可能になってきたのであります。

で、次のパネル
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右がわたくしの尊敬する故・遠山正瑛先生、左が江沢民1996年当時の国家主席であります。

遠山先生は、鳥取大学の砂丘研究所を退官されてから中国西北部の沙漠緑化にたった一人で取り組まれ、このクブチ沙漠に来られたのが1990年、わたくしが現地ではじめてお会いした時には、
すでに90歳を越えておられましたが・・・

朝は誰よりも早くスコップを担いで植林地に行かれてました。
我々、日本からの短期ボランティアと話すのが本当にうれしそうで、「わしは80歳でタバコを、90歳で酒をはじめた。100歳になったら女遊びを・・・がははは」といっておられましたが、一昨年、98歳の生涯を閉じられました。
「わしはこのクブチ沙漠に骨を埋めるんじゃ」とも、よくいっておられましたが中国政府の手によって、現地に立派な銅像や御廟が完成していました。

晩年、アジアのノーベル賞といわれるマグサイサイ賞も受賞され、NHKのプロジェクトXでも取り上げられた人物ですが、ずっと日本との往復は我々と同じエコノミークラス、しかも北京と包頭の往復は硬座の夜行列車!これは、さすがのわたくしでも疲れるんですが、先生は週に何度も北京や日本へこれで往復されてました。

何度か同行した機内では、トイレ前でタバコを吸ってて中華航空のおねいさんに叱られ、
「先生、こっちで吸わないとだめじゃないすかぁ。」
「おおっ、タバコまだあるか、1本くれい。」と、もらいタバコしたついでに、
わたくしのような素人にまで延々と夢を語るような、本当に気さくで無邪気な方でした。
(ま、中華航空も、とうとう全面禁煙になってしまいましたが・・・ううっ)

先生の活動に賛同した日本の企業、労働組合、大学や高校をはじめ、華道の草月流、仏教等様々な宗教団体など、いろんな団体の協力や外務省の援助もありましたが、やはり圧倒的多数は個人の資金と手によって、今では300万本の森になってます。

現在は遠山先生の日本沙漠緑化実践協会を離れた多くの人たちが、中国各地の荒漠地で独自の活動をしておられ、ま、わたくしも(鯨飲馬食ツアーで)恩格貝以外でもちまちまと・・・

国家主席との会談と前後して、中国でも緑化政策が本格化し、包頭からの道路も整備され、あちこちで緑が見られるようになってきました。ま、政府要人などから見えるところだけ、とゆーハナシもあちこちで聞きましたが・・・

おかげでここは有名な観光地になり、中国のあちこちからも観光客が・・・
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で・・・
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この「恩格貝はあなたを歓迎します。」の横断幕・・・
よく見ると・・・
「熱烈歓迎日本朋友光臨恩格貝」の横断幕の裏を使ってるんですね。
うーむ、日本からの植林ボランティアが多い時には裏返すのか・・・
それとも、もう使わなくなってしまったのか・・・

ちょっと前までは、その都度、それぞれのボランティア隊の名前を書いた、
歓迎の横断幕を掲げてくれてたんですが、さすが合理的というか現実的というか・・・
ま、関心が高まり、中国人観光客が増えているのはいいことなのですが。にっこり

次回記事以降では、実際の植林現場などを紹介する予定です。

P.S
もとは森林だったクブチ沙漠、中国では10番目ぐらいのちっちゃな沙漠ですが、それでも四国ぐらいの面積があり(ちなみに北京市と天津市を足すと、やはり四国ぐらいになります。)そのうち緑化できたのは、僅かに大阪市内ぐらいの面積です。
我々のような日本人ボランティアだけで緑化するには、あと百年はかかるでしょうが、中国の人たちが一人一本植えてくれると数年ですべてが緑の大地になります。
ま、貧富の差が広がっていることもあり、そう簡単にはいかないでしょうから、ま、ちまちまと・・・

 
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