N.GKS(エヌ・ジクス)のblog

海外での植林ボランティア活動をしていた団体N.GKS(エヌ・ジクス)のブログサイトです。 (2020年8月25日よりURLをhttp://からhttps://に変更しています。)

2018年05月

前回記事からの続きであります。
一行はオルドス市の中心部から、さらに南下してチンギス・ハーン(成吉思汗)陵とされているところへ向かいました。
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あちこちの炭鉱(跡?)を過ぎ・・・


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こちらの砂丘は「植林のし忘れ」つーより、砂漠遊園地として残してあるようですね。なにせ高速道路から「見える範囲」ですからねえ・・・

数少ない営業中の服務区(SA)でトイレ休憩・・・
バブル崩壊後は鬼城化した新設SAも多いとか・・・
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成陵(成吉思汗陵)服務区(SA)の公共衛生間(公衆トイレ)へ急ぎます。
鬼城化したSAは閉まってるし、昔のように高速道路の走行車線にバスを停めて道端で用を足すと今は厳しく罰せられるそうですから、この日のトイレ休憩はここが初めてでした。

さすが「習近平トイレ改革」は徹底されてて・・・
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公衆トイレはどこもぴかぴか、清掃も行き届いてました。
しかも個室はドアが上から下まであって、きちんとロックできるようになってました。6年前に嘉峪関付近で入った新設SAのトイレは清潔でしたが、男子小用の間仕切りはなく、個室のドアは中ほど1/3程度でロックはなかったので、まさに全国的な大改革ですね・・・

と、ふたたびバスに乗り込み走ります・・・
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この辺りは植林地に囲まれて牧草地が回復し牛さんが放牧されてました。
ただし稜線の向こう側は砂漠化したまま・・・なんでしょうね・・・
なにせ高速道路から「見える範囲」だけですからねえ・・・

と、ようやく・・・
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成陵(成吉思汗陵)インターの出口へ・・・
いよいよチンギス・ハーン陵・・・
・・・へ行く前に・・・
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まずは「草原情大酒店・餐飲部」で昼食であります。
店名がいかにもです・・・

で・・・
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とりあえずは乾杯・・・


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ドイツ系でしょうか、このビールも旨かったな・・・かぱかぱ・・・

まあ、あとはみなさん・・・
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ひたすら、ばくばく、ごくごく、もぐもぐ、んぐんぐ・・・
ここのビールは旅行社T橋さんの奢りだったので、ご覧のとおり空き瓶がずらっと並びました。T橋さん、ご馳走様でした!!!

で、ようやく人心地がついて、店を出て一息・・・
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オート三輪も植林ツアーの初期に較べ新車が増えましたねえ・・・

と、今度こそチンギス・ハーン陵へ向かいます・・・
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このあたりの青い屋根はチンギス・ハーン陵で働く人たちの住宅街だそうです。

前回紹介したウィキペディア記事にもありましたが、ここは15世紀に移住してきたモンゴル族オルドス部の人たちがチンギス・ハーンを祀っている場所で、通訳ガイドのバヤンさんのお母さんもチンギス・ハーンの第三夫人を祀る仕事を先祖から受け継いで今は37代目だそうです。
お墓は別としても、この辺りにチンギス・ハーンの宮廷あるいは休息所があったことは事実でしょうし、ずっとここでチンギス・ハーンを祀り続けている人たちがいることは紛れもない事実でした。

と、ようやくチンギス・ハーン陵(とされるところ)に到着、まずは記念撮影であります。
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はるか奥に見えるのが陵墓(とされるところ)で、ここから歩きます。

反対側には・・・
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さらに長い参道が伸びています。

そう、
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画像をクリックして拡大いただくと分かりますが、我々は赤い線で囲まれた施設の9割以上をショートカットして、左上の駐車場まで来たのですが、それでもかなり歩くことになります。

以下、さくさくっと・・・
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12年前に訪れた時と同じ騎馬像の前で・・・

そう・・・こちらが12年前の画像であります。
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施設は充実してるようですが、本人の体型はあまり変わりませんね・・・

でも、あの時はモンゴル族のおねいさんのガイド付きだったものなあ・・・
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彼女もモンゴル族オルドス部の出身だったんでしょうね・・・
今頃どうしてるのかな・・・


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12年前には、確かこんなのはなかったはずです・・・

正面左側にある天に祈るための祭壇・・・
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正面にある霊廟(お墓とされるところ)・・・
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12年前にも書きましたが、いずれも基壇部は中国伝統の陰陽説による円形と方形の組み合わせ、上部構造はモンゴル伝統のゲルや祭壇になっています。
まさに民族融和の象徴として建てられたんですね・・・

せっかくなので・・・
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霊廟前でも記念写真。
ちなみに今回のツアーでは、集合写真はH田隊員の一眼レフで、旅行社T橋さんにシャッターを押してもらってたのですが、T橋さんが記念写真での中国式掛け声を教えてくれました。「1,2,3,茄子!!!(いー、あー、さん、ちぇいずっ!!!)、ダメダメもっと大きな声でもう一度!!!」 そう「チーズ!!!」は英語なので中国語ではよく似た発音の「茄子!!!」でやってるんですね。その後、観光地でこれを大声でやると、周りの中国人観光客から大受けでした。

で・・・
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ここから中は撮影禁止でしたが、12年前にあった近代的(ソビエト的)な怪しい展示は一掃され、発掘された遺物などが中心になってました。

通訳ガイドのバヤンさんによると内部に灯されている灯明は、混乱期には遠くの省まで運ばれて、ずっとオルドス部の人たちが守り続け、これまで一度も消したことはないそうです。

で、戻る道すがら・・・
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旅行社のT橋さんの指し示す、このあたりの松9本が・・・
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1991年に故・遠山正瑛翁が自ら隊員を募集し隊長を務めた「日本沙漠緑化実践協会」の第1次隊が植樹したもので、第1次隊は悪天候で恩格貝へ入れず、やむなくここで記念植樹されたとか・・・今では協会からの派遣隊だけでも250回を超えているようです。

T橋さんによると、第1次隊の記念プレートが見つからず、工事のため一時的に保管されているか新しく作り直されているのではないか、とのことでした。

ま、せっかくなので12年前の画像をご紹介・・・
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少なくとも松は大きく無事に育ってるようですね・・・よかったよかった・・・

まあ、近くにできてた新しいプレートにも・・・
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故・遠山正瑛翁の座右の銘が書かれてたので、当面はよしとしましょう・・・
とのことでした。

で、駐車場まで戻り、12年前よりはるかに立派になってた売店へ・・・
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モンゴル服はすでに奥様用のがあるしなあ・・・


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中国の国内線では、武器類は託送荷物に入れててもひっかかるし・・・

白酒(パイチュウ)入りのよさげなスキットルがあったのですが、実用には軽いペットボトルが一番だし・・・とゆー次第で、今回みなさんへのお土産は一切ありません・・・げひげひ

と、チンギス・ハーン陵(とされるところ)を後にした一行は、いよいよクブチ沙漠の植林拠点となっている恩格貝を目指します。

(次号に続きます。)

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前回記事からの続きであります。
内モンゴル二日目の朝、包頭市内のホテルを出た一行のバスは高速道路をひたすら南下し、オルドス市を目指すことになります。
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包頭市のシンボル、鹿のモニュメントともお別れし・・・


バスは黄河を渡ります。
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ご覧のとおり、今は近くに何本もの橋が架かってますが、植林ツアーの初期には近くに橋はなく、鉄の箱舟を並べて鉄板を乗せた「浮橋」を渡るので、車体を軽くするためバスから降りて鉄板上を歩いたり、道路でも未舗装部分で何度も砂に埋もれてスタックし、みんなで押したりしてましたが、現在は片側4車線の高速道路が平行して何本も走っています。
さらに当時は郊外へ出ると、貧しい家は日干しの泥レンガ作りで、ふつーの家は焼きレンガ作り、金持ちの家になると壁はタイル張りが定番でしたが、
今では・・・
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どの家も真っ白な壁と赤い屋根で統一され、とてもきれいになってました。
ただ、すべて同じ色で、しかも新しいので不思議に思ってると、旅行社のT橋さんから説明があり、新しい市長が郊外をクルマで走ってみると、あまりに家屋がみすぼらしかったので、全ての壁を白く、屋根を赤く塗るよう指示して補助したからで、中味は昔のままとのことでした。

他にも、大規模な緑化でオルドス市までの200kmも見渡す限り植林したけど、あくまで政府要人が高速道路を走る際に見える範囲だけで、そこに枯れた木があれば急いで緑のペンキを塗ってたとか、いかにも現代中国らしいエピソードも、
あれこれと話してくれてました。
そう・・・
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この稜線の向こうは沙漠のままなんですよね・・・
グーグルの衛星写真で見ると、すぐにわかるんですが・・・
まあ、砂を固定して道路を守るため、まず道路周辺から緑化していくのは確かに基本なんですが、「見える範囲」とゆーのが、やはり現代中国らしいです。

と、料金所をいくつか通過・・・
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ちなみに料金所では何回か交通警察が抜き打ちで車内に入ってきて、シートベルトの着用を確認してました。
けっこう厳しいですが着用率を高めるには有効ですね。




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イタリアのアウトストラーダではTELEPASSでしたが、中国は日本と同じETCなんですね・・・ただ後払いではなく先払いで、このETCが全国に普及する前に、すでにスマホを使う最新のITCがあちこちで導入されているようです。中国の高速道路は植林初期には粗末なものでしたが、今や全国に13万km、さらに毎年6000km以上を延伸しているとか・・・日本の高速道路の総延長が9000kmですから凄い勢いです。これも現代中国らしいですねえ・・・

と、あちこちに炭鉱(跡?)が見えてくると・・・
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いよいよオルドス市の中心部に近づいてきたようです。

(以下ウィキペディアより一部抜粋)

オルドス市
は内モンゴル自治区西南部に位置する地級市。
黄河が北に大きく屈曲した地点にあたるオルドス高原に位置する。
2002年2月26日、伊克昭(イフ・ジョー)盟から市となった。

オルドス市の市域は(近代化以前は)遊牧の好適地であるとともに、モンゴル高原から華北、華北からモンゴル高原に通じる交通上の要衝であり、古くは匈奴と秦・漢が争奪した地帯である。
匈奴の呼韓邪単于は、後漢に従いこの地に王庭をおいた。
15世紀にモンゴル族のオルドス部が移住してきたため、これにちなんで地名の上でもオルドスと呼ばれるようになった。
オルドスはモンゴル語・テュルク語で「宮廷」を意味する「オルド」が語源であり、この集団はモンゴル帝国の始祖チンギス・ハーンの生前の宮廷をチンギスの霊廟として奉祀しており、現在も成吉思汗陵が存在している。(ただし実際の墓ではない。もともと移動式のゲルでチンギス・ハーンを祀っていたのを変更して、周恩来とウランフの後押しで1956年にできた建物であり遺骸は棺になく弓矢や鞍などが祀られてる。しかし棺を担いだオルドスの扎薩克で中国最後のモンゴル王公である奇忠義は人骨の一部が納められていたとも証言している。)

貧困都市であったが、1990年代から石炭生産に力を入れたことで中国有数の産炭地となり、石炭バブルによって空前の好景気に沸いた。2000年の西部大開発プロジェクトを受けて開発が進み、人口も約30万人から200万近くに急増した。1人当たり域内総生産(GDP)が2007年に北京や上海を抜き、2010年には香港やマカオと並ぶ中国トップクラスとなり、バブル崩壊まで「中国一豊かな都市」と呼ばれた。

2003年から建設が始まった康巴什新区(カンバシ新区)のような巨大なニュータウンでは、開発と不動産投資が急速に進みすぎ、人の住まない住宅が増えて鬼城(ゴーストタウン)化も問題視されるようになっている。『浙商網・浙江経済報道』の2013年の報道によると、石炭価格の大幅な値下がりにより市内に35ある炭鉱の半数以上が停止しており、市の成長率は内モンゴル最下位にまで落ち込んだと報じられており、1,000億元以上の負債を抱え、不動産市場が崩壊しているオルドス市は危機に瀕しており、中国の地方政府として初の破産に直面していると報じる中国メディアもあった。
・・・
ちなみに旅行社のT橋さんによると、現在の人口は40万人とのことです。
そう、不動産バブルが崩壊して石炭価格も下落、新築や建築中のまま放置された高層マンションや高層ビルが立ち並ぶ「最新廃墟都市」で、廃墟好きとしては一度は見ておきたかったのであります。

以下、さくさくっと・・・

まだ郊外ですが・・・
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建築途中で放置されてるのがお分かりでしょうか・・・

せっかくなので動画でもご紹介・・・




この一画は見渡す限り建築中で・・・
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どの棟も放置されたままです。


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こちらは完成してますが、住んでるのは数世帯だそうです。まさに鬼城・・・


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こちらも窓ガラスがなく全棟が未完成・・・


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人が住んでるのはごく一部のようですが、街路樹や道路などのインフラは今のところ、まだ管理されているようでした・・・

こちらは商店や事務所・・・
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やはり無人であります・・・

こちらは・・・
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官公庁でしょうか・・・
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日曜日のせいもあるのでしょうが、ほぼ無人でした・・・

オルドス市のシンボルは「馬」・・・
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中心部なのでクルマは走ってましたが包頭の比ではなく、住んでる人は少なそうです。


こちらは低層の高級コンドミニアム・・・
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やはり無人のままが多いようです。

ま、日曜日でしたから・・・
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人工湖のほとりや・・・


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「オルドス婚礼文化園」とゆー公園施設には人も集まってましたが、
都市規模の割には圧倒的に少数で、やはり包頭の比ではありません。

こちらは日本でいう「国民体育大会」のために建てられたスタジアム・・・
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オリンピックの開会式でもできそうですが、今は利用されていないそうです。

ともかく・・・
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日本でもバブル崩壊後に放置された建物やリゾートはけっこうありますが、
なにせ規模が違いました。いやはや・・・

と、この後は120万人規模で完成しマンションも完売したけど2万人しか住んでいないとゆー最新の「カンバシ新区」へ入って詳細を見る予定だったのですがドライバーが道を間違えたようで、ついに時間切れとなり、たどり着くことはできませんでした。

いやあ、それにしても・・・
と、複雑な思いを抱きながら一行はさらに南下、いよいよ上記ウィキペディアの説明にもあった、チンギス・ハーン陵(成吉思汗陵)???に向かいます。

(以下、次号に続きます。)

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第23次隊で5月19日から5日間、内モンゴル自治区に行ってきました。
参加人数は21名(旅行社T橋氏を含み22名)で、全員元気に帰国しました。
今回ツアーにご寄付をいただいたみなさんに、まずお礼を申し上げます。

N.GKSでは、この数年間たまたまマレーシア・ボルネオ島での熱帯雨林再生のための植林ツアーが続いてました。
そこで故・遠山正瑛翁が内モンゴル自治区・クブチ沙漠の恩格貝で植林ボランティアを始めてから今年で27年目になるし、N.GKS(当時は緑の協力隊・関西澤井隊)として初めて植林してからでも19年目、特に2008年の北京オリンピック前後から中国政府が国を挙げて緑化を推進して10年が経過したので、今回あらためて現地の変容ぶりを確認し、その現状と課題を・・・となった次第。

ま、わたくし98kは今回(宴会担当)副隊長でしたので、いつもどおり食べ物中心の紹介になりますが・・・

昼前に関西空港(東京組は成田空港)に集合、慌ただしく出国手続きを済ませ搭乗ゲートへ・・・
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搭乗予定のエア・チャイナ機は、すでに駐機しているというのに・・・

さっそく搭乗前宴会をやってる宴会担当98k隊員と同担当Y原隊員・・・
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「ありゃま、もう搭乗口に並びはじめたようですよ・・・もぐもぐ・・・」
「ようやく座ったばかりだけど、あわてて飲み切らねば・・・ごくごく・・・」
ちなみに、この画像を撮ってもらってた酒類調達担当のH田(昨年のボルネオ島ではT中)隊員は、搭乗ゲートに来るより先に、混んでた売店の行列に並んでたようで、すでに飲み切った後でした。
さすが酒類調達担当ですねえ・・・あっぱれ、あっぱれ
さらにちなみに、今回はH田隊員の撮った画像もダウンサイズして使わせていただいてます。

と、全員無事に搭乗し巡航高度まで上がると、さっそく・・・
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エア・チャイナのおねいさんに頼んで・・・


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ひさしぶりの燕京ビールをば・・・

やがて軽食が出て・・・
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今や日本と中国との国際線では「もみじ饅頭」がデフォなんですね・・・

とーぜん完食し・・・
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007シリーズを次々と観て、次々と観た作品だったことを思い出してると・・・

無事に北京空港に到着・・・
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で、国内線への乗り換え・・・
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・・・の際のセキュリティ・チェックで、F井隊員が関空免税店で買った限定「余市」ウィスキーが・・・
そう、中国では国内線のセキュリティ・チェックがとても厳しく、空港の免税店で封印した液体でも、国内線には持ち込みできないのでありますね・・・
しかし・・・現役時代は海水淡水化プラントの建設などで海外暮らしの長かったF井隊員、セキュリティと交渉した結果、「この場で飲み乾すなら没収しない。」とゆーことになったようです。
さすが乾杯の国とゆーか、なかなか粋な計らいであります。

で・・・
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なにせ高級な限定「余市」ですから、呑兵衛隊員は魔法瓶のフタで二杯三杯と回し飲み・・・


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「まだ残ってるよ、ウィスキーが苦手な人も味見だけでも・・・
めったにない限定品だよ!!!」
と、N.GKS始まって以来の「セキュリティ・チェック大宴会」となりました。
めでたし、めでたし・・・

わたくしもダブル2杯分ぐらい一気にいただき、へろへろになったのですが、内モンゴル・包頭行きの国内便までには少し時間があり、機内やホテルでの夕食の予定もなかったので・・・
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空港内のレストランで、とりあえず乾杯!!! 

お隣のテーブルでも・・・
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とりあえず乾杯!!!


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みんなで取り分けて、早めの夕食宴会となりました。

と、すっかり暗くなった北京空港を出発・・・
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さっそくエア・チャイナのおねいさんに・・・
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「ビールありますか?」と訊いて「ごめんなさい、ありません。」
と冷たく去られたりして・・・

1時間ちょいで内モンゴル自治区・包頭空港に到着・・・
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最年少のH田誠一朗隊員と、後ろに見えるのは公安のパトカー・・・
カラーリングがキマってます。
今回、彼には重い荷物運びや連絡係など隊員全員がお世話になりました。
ありがとね!!!
ボルネオ島サラワク州で毎回お世話になっていたN嶋さんと同名なのも何かの縁でしょう・・・

で、ようやく包頭市内のホテルの部屋に到着したのは現地時間の23時過ぎ・・・
日本時間では、すでに日付が変わってました。
なので、この日はシャワーを浴びてすぐに就寝・・・
するはずもなく、同室だったI倉隊員と、レトルトししゃもやナッツでウィスキーをかぱかぱと・・・
彼はシーバス・リーガルの500mlペットに「角」を、わたくしはジョニーウォーカー黒ラベルの500mlペットに「赤ラベル」を入れて持参してました・・・
いやあ、「安物にすり替え仲間」だったんですねえ・・・
彼は現在も放置された竹林の管理再生ボランティアをされてるそうで、飲みながら興味あるお話が聴けました。
と、この日わたくしは現地時間の1時半ぐらいに就寝・・・

翌朝、ホテルの部屋から見た包頭市内であります。
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手前の古いアパートは全て無人のようでした。

包頭市は山崎豊子の「大地の子」でも知られる鉄鋼の街、1999年の春にはじめて来たときには、外国人が泊まれるのはロシア式の「青山賓館」など数えるほどしかなく、道路は未舗装部分も多く、鉄や石炭を積んだ大型トラックが頻繁に通るので池のような大きな水溜りがあちこちにできてて、バスが大揺れに揺れてました。
今ではレアメタルの産地として世界中からバイヤーが集まり高層ホテルが乱立、道路網も整備され夜でも不夜城のように明るく、街には緑がいっぱいでした。

ともかく朝食であります。じゅるじゅる
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ま、わたくしはごく質素に・・・
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何度かおかわりしましたが・・・

ちなみに今回はじめて気づいたのですが・・・
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偶数は双号、奇数は単号なんですね・・・
で、エレベーターホールが中央ですから、中央の左隣がまず401、中央の右隣りが402、401の左隣(もしくは向かい)が403、402の右隣り(もしくは向かい)が404・・・となるので、左側は全て単号、右側は全て双号になるんですね・・・
ちなみに中国では劇場の指定席なども同様だそうです。


ホテル前の様子・・・
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鹿は包頭のシンボルで、昔は高層ビルがなく、どこからでも見えましたね。

コンビニ・・・
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さりげに某コンビニ・チェーンと色遣いが似てました・・・


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泊まったホテルでは結婚式でしょうか、正面玄関でお祝い準備をしてました。
クルマはドイツ車が多く、今回お世話になった旅行社のT橋さんによると、天安門事件の際に、アメリカや日本の自動車メーカーは引き上げたけど、ドイツの各社は留まったので今でも多いとか・・・

で、貸し切りバスに乗り込みホテルを出発・・・
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今回案内いただく通訳のバヤンさんはモンゴル族で、実家では羊など500頭を飼っておられるとか。

そういえば包頭の街でもモンゴル語併記が、さらに増えてましたね・・・
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「明立」の左にあるのがモンゴル文字で、漢字以外の使用は長いあいだ許されなかったのですが、各自治区では漢民族以外の文化や伝統も大事にしてますよ、とゆーアピールなんでしょうね。
モンゴル国も長年ソビエト・ロシアの支配下にあってキリル文字以外の使用は許されなかったのですが独立後はモンゴル文字を併記するようになってますね。

と、バスは包頭市を出てオルドス市に向かいます。

(以下次号に続きます。)

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明日から第23次隊が内モンゴル植林ボランティアツアーに出発します!!!
ちなみに今回の参加予定者は21名。
わたくし98kが内モンゴル・クブチ沙漠に行くのは2012年の第17次隊以来、
じつに6年ぶりであります・・・
わたくし1999年の第1次隊以来、何度かその変遷ぶりを見てきましたが、
今回も環境がどのように変化しているのか見るのが楽しみです。

2012年当時の画像を何枚かコピーペーストしておきます。
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クブチ沙漠・恩格貝にできた故・遠山正瑛翁像と・・・



人の営みによって砂漠化してしまった当時の植林地・・・
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その十数年前に華道・草月流のボランティアが植えた「草月の森」・・・



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そう・・・
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いったん森に囲まれるとタクラマカンからの砂も固定して肥沃な土になり、
牧草も茂っています。

今回の様子についても帰国後に記事を連載しますのでご期待ください!!!

ま、わたくしはいつもどおりの宴会要員なんですが・・・



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